第9話 戻った身体

朔夜は短く息を整え、錫杖を胸の前で静かに構えた。

その目は、三人の魂のほつれだけを見据えていた。


カン──。


錫杖が床を打つ乾いた音が、異空間の静寂に溶ける。

その響きは波紋のように広がり、空気の質がほんのわずかに変わった。


朔夜の唇が、ゆっくりと動き始める。


「──戻れ。形を失わず、在るべき座へ還れ」


三人の胸元を走る光の糸が──

まるで心臓に触れるように、ふっと震えた。


次の瞬間、光が一気に収束し、バシュッと音もなく三人の身体へ吸い込まれる。


空気が揺れ、地面が一拍遅れてついてくるような感覚。


そして──


ドクン。


本来あるべき場所へ、魂が嵌まり込むような衝撃が走った。


宗介の視界がぐらりと揺れ、背丈も重心も、呼吸の音までもがいつもの自分のものに戻る。


「……あ……戻った! 俺の体だ!!」


てんも、はっと目を見開きながら自分の両手を見つめる。

指をぱたぱた動かすたびに、そこへちゃんと自分が返ってくる。


「ほんとだ! ぼくの体だぁ!!」


蓮は胸にそっと手を当て、静かに息を吸い込み、確かめるように吐き出した。


どこにも違和感がない。

体の奥で、魂が正しい位置に戻ったと告げてくる。


「……魂の座標、正常。

 完全に元に……戻った……」


三人の身体に、ようやく世界がかちりと噛み合った。

三人の声が、涙混じりの安堵に変わっていく。


緊張がほどけて、思わず笑いが漏れたその瞬間──


空間が、悲鳴のように軋んだ。


車両の壁が歪み、座席が牙のように裂け、

天井の吊り革が触手のように伸びる。


「うわっ!?まだ終わってねぇのかよ!!」


「くる……襲ってくるよ!!」


「魂が戻ったから、怪異が……!」


蓮の言葉を遮るように、朔夜が錫杖を構えた。


「いいか──もう逃げ場はない。ここで終わらせる」


低く落ちた声が、車内の空気を一気に凍らせた。

朔夜の指が二本、ゆっくりと立てられる。その動き自体が式の起動。


「《霊鎖重錠──三重》」


バシュゥゥッ!

バキィィィィィン──ッ!!


次の瞬間、車両全体に巨鎖が爆発するように展開した。

床は割れ、天井は軋み、空間そのものが縛られる。

見えない結界が圧縮され、金属の悲鳴みたいな音が車内に響く。


怪異の影が捻じれ、潰れ、ギチギチと締め上げられるたび──

ぎゃああああァァァッ!!

耳を裂くような波動が吹き荒れた。


「まだだ……押し込む」


息一つ乱さず、朔夜がさらに指先に霊力を込める。


「《圧滅》」


ギギギギギギギギ──ッ!!!


重錠がさらに太く、密度を増した。

車体が悲鳴を上げて傾き、ついには──


ガァァァァァン──ッ!!!


巨大な鎖が一気に収縮し、影を中心へ叩き潰す。

衝撃で窓が震え、光が炸裂し、闇が粉々に砕け散った。


空間に一筋の亀裂が走る。


パリン──ッ。


世界が割れた。



 ***



風が吹いた。


気づけば三人は、夜の静かな「無人駅」のホームに立っていた。

どこにも電車はなく、異常な気配もない。


「……戻ってきた……!」


「ほんとに……本物の駅だ!!」


「空間の歪みも……消えてる……」


三人の顔に、ようやく心からの笑顔が浮かぶ。


朔夜は周囲を一度見回し、錫杖を軽く持ち直した。

「……怪異は、最初から電車に擬態した空間だった。 実体は駅そのもの。人が噂で語り、恐れ、盛り上げたことで形を得た“場所の怪異”だ」


宗介が眉をひそめる。


「ってことは……駅が本体ってことか?」


「そうだ。電車に乗せたつもりで、人の魂をゆっくり削って持っていくタイプだった。だが──」


朔夜は淡々と続けた。


「儀式が成功した瞬間、ついでに潰した。 もう二度と出ない」


「ついでって言い方やめません!?」 宗介が叫ぶ。


「車両ごと圧し潰してたんだよ!? マジで死ぬかと思った!」


「でも、助かったよね!」 てんが嬉しそうに宗介の背中を叩く。


「……まあ……結果オーライだけどよ………っていうかさ。魂を戻すのに、なんでまたわざわざ電車に乗ったんだ? あれ、正直もう二度と乗りたくねぇんだけど……」


朔夜はふっと横目だけで彼を見る。

いつもの冷静さだが、説明の質量はきっちり重い。


「……電車だから、ではない。あの車両の内側は、駅そのものが生み出した異空間だった。魂は、生まれた場所の内側でしか動かせない。外に持ち出した瞬間、形が崩れてしまう」


宗介がぱちりと瞬きする。


「つまり……?」


「魂そのものを正しく戻すには、怪異の作った中枢──今回でいう『車内空間』に入る必要があった。 あそこはこの駅の核だ。駅の外で儀式を行っても、魂は動かない。ただの抜け殻に終わる」


てんが「へぇーっ」と目を輝かせるが、宗介の顔色は薄くなる。


「……じゃあ、俺ら、死にかけたあの空間……入るしかなかったってこと?」


「そういうことだ」


朔夜はさらりと言い切った。


「電車の姿をしていただけで、本質は異界の胎内だ。魂を引き戻すなら、胎内に踏み込むしかない。それが理屈だ」


「理屈はわかったけどさぁ……!」

宗介は頭を抱え、情けない声を上げる。


「もうちょっとこう……安全なやり方はなかったの!?」


てんちゃんがうなずく。


蓮は肩をすくめ、小さな息をもらす。


「……仕方ないよ。あれしか方法はなかった。朔夜さんの判断は……正しかったと思う」


朔夜は蓮の言葉に軽く目を向け、わずかに頷いた。


「……あの場で三人とも魂は戻り、怪異も潰せた。結果は上出来だ」


宗介はしばらく黙っていたが──

やがて観念したように、ふっと笑う。


「……まあ、助かったんだから、それでいいか。あん時はマジで泣くかと思ったけど……」



夜風がホームをかすめていく。

異界の影はもうどこにもなく、ただ3人の鼓動だけが生きている。


この帰還後の静けさこそ、彼らが勝ち取った現実そのものだった。



***



無人駅のホームに、ひんやりした風が流れた。


三人はしばらく地面に座り込んで、まともに呼吸も整えられなかった。

魂が自分の身体に戻ったという事実が、じんわり胸に広がってくる。


「……はーー……ほんとに戻った……!」

宗介が泣き笑いで空を見上げた。肩の力が抜けて、そのまま仰向けになりそうな勢いだ。


「うう……筋肉痛やば……宗介くん……君……どんだけ暴れたの……」

蓮は自分の腕をさすりながら呻く。普段感じない種類の痛みが全身に走っていた。


宗介は「あー……」と気まずそうに後頭部をかいた。


「いや、その……蓮の体で……けっこう剣振った。ていうか、全力で走ったし……跳んだし……あと壁も蹴った……すまん。」


「壁!? 跳んだ!? ……僕そんな動きできる身体じゃないのに……!」

蓮が目を潤ませて抗議する。


「ぼくは!」

てんちゃんが胸を張って宣言した。

「学んだよ!!」


宗介と蓮が同時に嫌な予感の顔をする。


「な、なにをだよ……?」

「嫌なフラグしか感じないんだけど……」


てんちゃんは明るく言い切った。


「これからは!お風呂出るときはパンツ履く!!」


「そこ!?学びポイントそこなの!?」

「いや履いてなかったのが問題なんだけど!?」

 宗介と蓮が同時に叫ぶ。


しかし当の本人は頬をふくらませて言い返す。


「だってー、家の中だし!でも……宗介くんの体だったし……なんかその、ちょっと気になって……」


視線がほんの少しだけ泳ぐ。


朔夜は腕を組んで、それを眺めながら小さくため息をついた。


「……天真にしては……本当に珍しい自制だな」


「ほめた?」

てんちゃんが嬉しそうに跳ねる。


「いや、驚いただけだ」

朔夜が即答する。


宗介が蓮に視線を向けた。

「……なぁ蓮。あの間……てんに俺の体、変なとこ触られてないよな……?」


「知らないよ……宗介くんの筋肉は勝手に暴れてたし……」

 蓮は肩をすくめる。


「やべぇ……俺、自分で自分を守れてなかった可能性が……!」


「宗介くんの体、全部すごかったよ!」

てんちゃんは無邪気に笑う。

その一撃で宗介が地味に崩れ落ちる。


「やめろぉぉぉ……!!」


朔夜はその騒ぎを見ながら、眉だけをわずかに下げた。

「……騒ぐ元気があるなら問題ないな。魂も正しく戻っている」


 三人は同時に息をつく。


「さて……帰るか」

朔夜が歩き出しながら言った。


「帰ったら……ご飯食べて寝て……」

蓮はまだ痛む肩をさすりながら続ける。


「また冒険しよっ!」

てんちゃんが満面の笑み。


「もういいだろっ!!」

宗介の叫びが駅に響いた。


***


帰り道。

蓮がスマホを見ながらぽつりと言う。


「そういえば……新しい都市伝説、見つけたんだ」


「やっぱそうなるのかーー!!」

「蓮くんそれ危ないやつー!!」


朔夜は歩を止め、振り返る。


「………………帰るぞ」


その静かな一言に、三人は慌てて追いかけた。


夜明け前の道に、四人の足音と笑い声が響いていった。


終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜の探検隊 異次元電車の回 怪丸 巴 @shunp000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画