第53話 王命の召喚状と、月詠みの預言

王城での一件は、その日の夕方にはレオルドさんから遣わされた伝令によって、俺たちにも知らされた。

 カインが提出した『王立浄化ギルド設立法案』は、レオルドさんの反対によって保留。事実上の否決となり、カインは多くの貴族の前で大恥をかいたらしい。


「やったじゃない、アラタ! これでしばらくは、あの陰険エリートの邪魔も入らないわね!」


 店のカウンターをピカピカに磨き上げながら、リリアが満面の笑みでそう言った。セナさんもクロエも、安堵したように微笑んでいる。

 俺も、心の底からホッとしていた。

 これでまた、平穏な『洗い物』ライフに戻れる。依頼に来てくれる冒険者さんたちの、大切な装備にこびりついた一つ一つの『汚れ』と、じっくり向き合うことができる。


(よかった……本当に、よかった……)


 そう思っていた俺は、あまりにも甘かった。

 カイン・フォン・アークライトという男の、秩序への執着と、俺への憎悪の深さを、完全に見誤っていたのだ。


 翌日の昼下がり。

 『アクア・リバイブ』は、いつものように多くの冒険者で賑わっていた。

 そんな穏やかな空気を引き裂いたのは、店のドアが勢いよく開け放たれた音だった。


「ご、ごめんくださいッ!」


 入ってきたのは、いかにも高そうな鎧に身を包んだ、二人の兵士。その胸には、見慣れない紋章が刻まれている。いや、見慣れないはずだ。それは、アークライト家のものでも、ギルドのものでもない。この国の頂点に立つ――王家の紋章だった。

 店内にいた冒険者たちが、一斉に息を呑む。さっきまでの喧騒が嘘のように、シンと静まり返った。


「な、なによ、あんたたち……」


 リリアが、警戒心を露わに問いかける。

 兵士の一人が、まるで機械のような無機質な動きで一歩前に出ると、一枚の羊皮紙を掲げた。そこにもまた、王家の紋章が金色に輝いている。


「――王命である!」


 その言葉が、店内に重く響き渡った。

 王命。

 それは、この国に住む者であれば、決して逆らうことのできない、絶対的な命令。


「浄化師、皿井アラタ殿に申し伝える! 明朝、王城へ出頭し、国王陛下の御前で、その力を示すべし!」


 俺の頭の中が、真っ白になった。

 おうじょう? こくおうへいか? ごぜん?

 意味の分からない単語の羅列に、俺のコミュ障ハートは完全にフリーズしていた。


「ふざけないでよッ! これは絶対、カインの差し金よ!」


 リリアが、カウンターを乗り出して兵士に掴みかかろうとする。それを、セナさんとクロエが必死に止めていた。


「お待ちください、リリア! 王命に逆らえば、反逆罪に問われますわ!」

「……罠。でも、断れない」


 セナさんの青ざめた顔と、クロエの苦々しい呟きが、これが冗談ではない現実なのだと、俺に突きつけてくる。


(どうして……なんで、こんなことに……)


 俺はただ、汚れたものを洗いたいだけなのに。

 どうして、国のトップにまで目をつけられないといけないんだ。

 絶望に打ちひしがれる俺たちの前で、兵士は羊皮紙――『召喚状』を、カウンターの上に恭しく置くと、一礼して去っていった。

 後に残されたのは、重すぎる沈黙と、冒険者たちの戸惑いの視線だけだった。


 閉店後、店のテーブルを囲む空気は、鉛のように重かった。

 レオルドさんにも連絡してみたが、「王が直接下した命令となれば、私の一存では覆せん……すまない」という、悔しそうな返事が来ただけだった。もう、打つ手はない。


「……アラタ様、大丈夫ですの?」


 エリアーナさんが、心配そうに俺の顔を覗き込む。

 大丈夫なわけがない。

 明日、俺は王様や偉い貴族たちがずらりと並ぶ場所で、『洗い物』を披露しないといけないんだ。そんなの、公開処刑と同じじゃないか。

 俺が胃を押さえて蹲りそうになった、まさにその時だった。


 ――カチリ。


 静かな、小さな音が響いた。

 音のした方を見ると、テーブルの上に置いてあった、あの小箱――浄化され、白銀の輝きを取り戻したアークライト家の聖遺物が、淡い青色の光を放っていた。


「な、なんですの、これ……?」


 セナさんが驚きの声を上げる。

 光は、まるで呼吸をするように、穏やかに明滅している。それは、俺たちが浄化の儀式の時に見た、禍々しい光とは全く違う、どこまでも清らかで、優しい光だった。

 そして、俺たち全員が見守る中、小箱の蓋が、ひとりでにゆっくりと開いたのだ。


(中身は……空のはずじゃ……)


 俺がそう思った瞬間、開いた小箱の中から、くるりと丸められた一枚の古い羊皮紙が、まるで生きているかのようにスルスルと滑り落ちてきた。


「これは……!」


 エリアーナさんが、ハッとした表情で、その羊皮紙を両手で慎重に拾い上げる。

 彼女がテーブルの上でそれを広げると、そこには、俺たちには読めない、美しい曲線を描く古代の文字が記されていた。


「エリアーナさん、これ、読めるの?」

 リリアの問いに、エリアーナさんは息を呑みながら、こくりと頷いた。


「……はい。これは、わたくしたちエルフの、それも神代の時代に使われていた古い言葉ですわ」


 彼女は、まるで聖典を読むかのように、その文字を指でゆっくりとなぞり始める。

 そして、震える声で、そこに記された預言を、俺たちに読み聞かせてくれた。


「――『大地の淀みは、月の嘆きと共に始まる』」


 その言葉に、俺たちはゴクリと喉を鳴らす。

 エリアーナさんは、続けた。


「『その浄化の鍵は、星を読む月詠みの一族が持つ……』」


 月詠みの一族。

 聞いたこともない言葉だった。だが、その響きは、俺たちの心に深く、そして重く突き刺さった。

 王命という、目の前に突きつけられた、逃れられない現実。

 そして、『大地の淀み』という、この世界全体を蝕む、巨大な『汚れ』の謎。


 二つの巨大な運命が、この小さな浄化専門店で、確かに交錯した。

 俺の、平穏な引きこもり洗い物ライフが、もう二度と戻ってこないであろうことを予感させる、新しい嵐の始まりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る