第54話 謁見の間と、値踏みの視線

(無理だ、帰りたい、物置に帰りたい……!)


 王城から遣わされた、豪華絢爛な馬車の中で、俺は体育座りをして膝に顔を埋めていた。

 ガタガタと小気味よく揺れる車輪の音も、窓の外を流れる美しい王都の景色も、今の俺の心には一切届かない。ただただ、これから向かう場所のことを想像して、胃がキリキリと悲鳴を上げていた。


「ちょっとアラタ! いい加減に顔を上げなさいよ! 王城に着くまでに、その服がシワだらけになっちゃうでしょ!」


 向かいの席に座るリリアが、呆れたように俺の足を軽く蹴る。

 その隣では、セナさんとエリアーナさんが心配そうに俺を見ていて、俺の隣に座るクロエはいつも通り無表情で前を見据えている。

 そう、俺たちは今、あの忌々しい『召喚状』に従い、王城へと向かっているのだ。


「……だって……無理ですよ……。王様とか貴族とか……陽キャの最終形態みたいな人たちが集まる場所に、俺みたいな社会のゴミが行ったら、その場の空気を汚染してしまいます……」

「そうですわ、アラタ様。わたくしたちがついておりますから、どうかご安心を」

「…アラタは、一人じゃない」


 セナさんとクロエの優しい言葉が、かろうじて俺の精神を繋ぎとめていた。

 やがて、馬車の速度がゆっくりと落ち、重厚な城門をくぐる感覚が伝わってくる。

 終わった。俺の平穏な引きこもりライフは、完全に終わったんだ……。


 ◇


 馬車を降りた俺たちを出迎えたのは、まるで天まで届きそうな、白亜の城だった。

 そして、その内部は、俺の貧相な語彙力では到底表現できないほどの、壮麗な空間が広がっていた。床は鏡のように磨き上げられ、天井には巨大なシャンデリア。壁には、この国の英雄たちの姿を描いたであろう、巨大な絵画がいくつも飾られている。


(うわぁ……床のワックス、どこのメーカー使ってるんだろう……この光沢は、相当な技術だぞ……)


 つい、職人としての視点で現実逃避しかけた俺の腕を、リリアがぐいと掴んだ。


「ほら、行くわよ! ぼさっとしてない!」


 案内役の兵士に導かれ、俺たちはどこまでも続く赤い絨毯の上を歩いていく。

 やがて、ひときわ大きく、豪華な装飾が施された両開きの扉の前で、兵士が足を止めた。


「――『浄化師』、皿井アラタ様御一行、ご到着ーっ!」


 腹の底に響くような声と共に、重厚な扉が内側へと開かれていく。

 その先に広がっていたのは、まさに地獄だった。

 だだっ広い空間。高い天井。そして、その両脇にずらりと並んだ、色とりどりの派手な服を着た人々――王侯貴族たち。

 その全員の視線が、まるで槍のように、俺一人に突き刺さった。


「…………ひっ」


 喉から、カエルの潰れたような声が漏れた。

 好奇、侮蔑、嘲笑、値踏み。

 ありとあらゆる種類の負の感情が、視線となって俺を貫く。

 ヒソヒソと交わされる声が、嫌でも耳に入ってきた。


「あれが、噂の……」

「思ったよりも、みすぼらしい男だな。まるで物乞いのようだ」

「フン、レオルド卿も、あのような山師に騙されるとは、脳が回ったものだ」


 ダメだ。足が、震える。一歩も、前に進めない。

 俺がその場で固まっていると、リリアが背中を強く叩いた。


「シャキッとしなさい! 胸を張るのよ!」


 リリアに無理やり背中を押され、俺たちは絨毯の上を進んでいく。

 その先、一段高くなった場所には、いかにも王様といった風情の、威厳ある初老の男性が玉座に腰かけていた。

 そして、その玉座のすぐ傍らに、見知った顔が立っているのを見つけた。

 白金の髪をなびかせ、その口元に、全てを見下すかのような歪んだ笑みを浮かべて。


「――ようこそお越しくださいました、浄化師殿。この私が、貴殿を推薦した、カイン・フォン・アークライトです」


 カインが、芝居がかった仕草で一礼する。その瞳は、勝利を確信した者の、愉悦の色に染まっていた。

 俺は何も言えず、ただ俯くことしかできない。


「さて、早速ですが、陛下。本日は、この男が真に国家の宝となりうるか、その真価を我々自身の目で見極めるために、お集まりいただいた次第」


 カインは、さも自分がこの場の主催者であるかのように、朗々と語り始める。

 王は何も言わず、ただ静かに頷いた。


「そこで、彼に浄化していただくにふさわしい『品』を、ご用意いたしました」


 カインがパチンと指を鳴らすと、謁見の間の奥から、二人の屈強な衛兵に護衛された侍従が、ビロードの敷かれた盆を恭しく捧げ持って現れた。

 その盆の上に載せられているものを見た瞬間、謁見の間にいた貴族たちが、ざわめきと共に一歩後ずさったのが分かった。

 無理もない。

 それは、黄金と宝石で飾られた、豪華な王冠だった。

 だが、その輝きは、どこまでも鈍く、淀んでいる。まるで、何百年ぶんもの怨念を吸い込んだかのように、禍々しいオーラを放っていた。


「あれは……我が国の至宝、『始まりの王冠』……!」

「建国王陛下が戴かれていたという、あの……!」


 貴族たちの囁き声が、俺の耳に届く。


「この王冠は、我が国の歴史そのもの。ですが、長き時を経て、歴代の王たちの『重圧』と『孤独』を吸い込みすぎた結果、今や触れる者に絶望を与える、呪物と化してしまいました」


 カインが、うっとりとした表情で王冠を見つめながら説明する。

 そして、彼は再び俺に視線を戻すと、その唇を、三日月のように吊り上げた。


「さあ、浄化師とやら。この、我が国の歴史そのものである『始まりの王冠』を、お前のその汚らわしい手で清めてみせろ」


 その声は、謁見の間全体に響き渡った。


「……できるものなら、な!」


 絶対的な侮蔑と、悪意に満ちた挑戦状。

 謁見の間の全ての視線が、再び俺へと集中する。

 俺は、ただ、その禍々しくも……どこか悲しげに輝く王冠を、呆然と見つめることしかできなかった。

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