第52話 王城の舌戦と、父の威光

王城の中心、『円卓の間』。

 この国の未来を左右する重要法案が審議されるその場所は、重厚な緊張感に包まれていた。

 だが、その中心で熱弁を振るうカイン・フォン・アークライトの心は、絶対的な自信と勝利への確信に満ちていた。


「――皆様、もはや議論の余地はありますまい! 出自不明の男が振るう、規格外の『浄化』の力! これを個人の裁量に委ねることの危険性は、賢明なる皆様であれば、既にご理解いただけているはず!」


 カインは、集まった貴族たちの顔を一人一人見回しながら、朗々と語りかける。

 その声には、聴く者の心を掴む不思議な熱がこもっていた。


「私は提案したい! 国家の威信にかけ、この国に『王立浄化ギルド』を設立することを! そして、その神聖なる力を、我々が正しく管理・統制するのです! これぞ、国の秩序を守り、民の平穏を保証する、唯一の道であると!」


 おお、と。

 貴族たちの中から、賛同の声が上がる。

 カインは内心で、ほくそ笑んだ。

(フン……愚かな者たちめ。だが、扱いやすい)

 恐怖と独占欲。それを巧みに刺激すれば、老獪な貴族たちなど、赤子の手をひねるようなものだ。

 父、レオルドは、例の汚物屋に洗脳され、もはや正気ではない。先日提出したギルドマスターの不信任案も、時間の問題で可決されるだろう。

 全てが、自分の描いた筋書き通りに進んでいる。

 この法案が通れば、皿井アラタの力は合法的に自分のものとなる。

 あの忌々しい男を、自分の足元にひれ伏させる、その瞬間を想像し、カインの口元に歪んだ笑みが浮かんだ。


「――では、これより、『王立浄化ギルド設立法案』の採決に入り……」


 議長が厳かに宣言しようとした、まさにその時だった。


 ギィィ……。


 円卓の間の重厚な扉が、ゆっくりと、しかし抗いがたい力で開かれた。

 議場にいた全員の視線が、その扉へと注がれる。

 そこに立っていたのは、一人の男だった。

 プラチナブロンドの髪を後ろに流し、その身にまとったギルドマスターのマントが、まるで王の外套のように威厳を放っている。


「ち、父上……!?」


 カインが、思わず驚愕の声を上げた。

 レオルド・フォン・アークライト。

 だが、そこにいるのは、カインが知る、呪いに蝕まれ、苦悩と諦観にやつれた父の姿ではなかった。

 その双眸に宿るは、かつて『歴戦の英雄』と謳われた頃の、鋭い覇気。その背筋は、天を衝くかのように真っ直ぐに伸び、ただそこに立つだけで、議場の空気がビリビリと震えるほどの威圧感を放っていた。

 貴族たちが、息を呑む。

 まるで、眠っていた獅子が、目を覚ましたかのような……。


「な……なぜ、ここに……。父上は、ご病気では……」

 カインが狼狽しながら問いかける。

 レオルドは、そんな息子に一瞥もくれず、ゆっくりとした足取りで議場の中央へと進み出た。そして、議場全体に響き渡る、鋼のような声で、高らかに宣言した。


「――待った! その法案、ギルドマスターとして、そしてアークライト家当主として、断固として反対する!」


 議場が、騒然となった。

 カインは、一瞬の驚愕の後、その顔を怒りで真っ赤に染めた。


「父上ッ! 何を血迷ったことを! あなたは、あの汚物屋に洗脳されているのですぞ! 目をお覚ましください!」

「洗脳、だと?」


 レオルドが、初めてカインへと視線を向けた。その瞳は、絶対零度の光を宿していた。


「正気か、カイン。洗脳されているのは、貴様の方ではないのか? 力への『欲望』という、最も下劣な呪いではないのか?」

「なっ……!?」

「浄化の力が危険だと? 笑わせるな。真に危険なのは、力そのものではない。それを独占し、己の支配欲のために利用しようとする、貴様のような歪んだ心だ」


 レオルドの言葉は、一つ一つが重く、カインの胸に突き刺さる。


「そもそも、冒険者ギルドとは、冒険者たちの自由な活動を保障するために存在する組織だ! 国家による管理など、その理念を根底から覆す愚行に他ならない!」

「し、しかし! あの力は、あまりに規格外すぎる! 何が起こるか分からぬ以上、管理下に置くのは当然の処置!」


 カインが、必死に反論の言葉を絞り出す。

 だが、レオルドは、そんな息子の主張を鼻で笑った。


「ならば聞こう、カイン。Sランク鑑定士である貴様に、問う」

「……なんです?」

「貴様が『偽物』『汚物』と断じた、あの皿井アラタ殿の力こそが――我がアークライト家を、何百年もの間、静かに蝕んできた『本物の呪い』を、完全に浄化したという事実を。貴様は、どう説明する?」


 レオルドの口から放たれた言葉に、カインは、思考が停止した。


(……は? い、今、父上は、なんと言った……?)

(呪いを……浄化した……? あの小箱を……? ば、馬鹿な、ありえるはずがない……!)


 カインの知らない、しかし決定的な事実。

 それは、彼の描いた完璧な筋書きの、土台そのものを粉々に打ち砕く、破壊の鉄槌だった。


「そ、そんなものは……まやかしだ! あの男が父上に見せた、幻に決まっている!」

「幻、か。ならば、今ここに立つこの私自身も、幻だというのか?」


 レオルドが一歩、前に踏み出す。

 その全身から放たれる圧倒的な覇気に、カインは思わずたじろいだ。


「答えよ、カイン! 私の問いに、答えられぬのか!」


 歴戦の英雄が放つ、魂の咆哮。

 その威光の前では、カインがこれまで積み上げてきたエリートとしての自負も、小手先の弁舌も、全てが無力だった。

 彼の頭の中は真っ白になり、ただ、わななく唇から、意味のない音が漏れるだけだった。


「あ……う……」


 公衆の面前で、醜態を晒す、アークライト家の神童。

 それまでカインを支持していた貴族たちの視線が、急速に冷めていくのを感じる。彼らは、勝者を見極めることに長けた、狡猾な獣だ。

 もはや、どちらが『本物』かは、火を見るより明らかだった。


 議長の咳払いが、凍りついた空気を破った。

「……本法案は、ギルドマスターからの強い反対意見を鑑み、一度、保留とさせていただく!」


 その声は、カインの敗北を告げる、無慈悲なゴングだった。

 カインは、顔面蒼白のまま、その場に立ち尽くす。

 耳の奥で、父の冷たい声が響いていた。


(なぜだ……なぜ、私の邪魔をする……)


 視線の先で、父が貴族たちと談笑している。その姿は、まるで凱旋将軍のようだった。

 カインは、唇を強く噛み締めた。

 血の味が、口の中に広がる。


(父上……貴方までもが、あの汚物屋の側に付くというのか……!)


 尊敬していた父への想いは、今、どす黒い憎悪へと完全に反転した。

 王城の華やかな議場で、アークライト家の父子の間には、もはや修復不可能な、深く暗い亀裂が、決定的に刻み込まれていた。

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