宇宙の樹には宇宙が生る

朽葉陽々

 アルタという少年が、一本の樹を見上げていた。

 夜空色の幹。同じく夜空色だったり、星雲色だったりする木の葉。それに紛れるように、小さな青い実が生っていた。

 彼が住む村の真ん中、小高い丘の天辺に生えたこの樹は、村人たちには「宇宙の樹」と呼ばれている。宇宙の色をした樹。宇宙のような実の生る樹。きっとこの宇宙はこの樹から始まったのだと、神聖さを信じられている樹。

 でも、皆は知らない。彼以外には誰も知らない。

 この樹が本当に、宇宙の生る樹だということを。



 宇宙の樹に生る青い実は、見た目の割にずっしり重い。だから、熟すとすぐに落ちてしまって、収穫できるような時間の余裕がない。だから誰も知り得ない、のだけれど。

 アルタだけは知っている。だって、たった今、それを見たのだから。

 落ちた実が、地面で爆ぜる。硬質な音と共に、実の中から溢れたのは宇宙だった。

 夜空のようなものが靄のように広がって、その中に小さな星が散っているのが見えたのだ。そしてその夜空のようなものは、広がりながらどこかへ飛んで行ってしまった。

 きっと、あれが宇宙ってものなんだろう。アルタはそう直感した。なら、落ちる前の実はどうなっているんだろう? さらに小さい宇宙がしまってあるのかな。アルタは自分の好奇心に釣られて、落ちる前の小さな実を覗き込んだ。

「……うわぁ……」

 煮詰めたように濃い夜色が、ほんの僅かに光を透かしている。その内側に、細かな金属の粉みたいなものがきらきらしていた。きっと星だ。まだ熟れる前、大きくなる前の、小さなちいさな星。

 もっと間近で眺めたくなって、アルタは実に手を伸ばす。けれどどうにも指先が届かず、彼は肩を落とした。いっそ樹に上ってしまえば、と一瞬だけ思って、

「……はぁ。あーあ……」

 首を横に振って溜め息を吐く。

 宇宙の樹は神聖なもの。ひとが軽々しく触れてはいけないもの。

 それが村の中で信じられている教えで、掟で。普段からきつく言い聞かされていたそれが、咄嗟に頭の中を過ってしまったのだ。

 酷くつまらない気分になって、アルタは樹に背を向けた。丘を降りるのだ。家に帰らなければ。もともと、お使いから帰る途中だったのだ。

(母さん、怒るかな。……怒ってるだろうな)

 もうひとつ、溜め息。

 アルタの家は、昔からある金物屋だ。父も、その父も、そのさらに父も、ずっと金物屋をやってきた。そして母たちも、それを当然と思って嫁入りした。だから両親は、アルタのことも金物屋になって当然だと思っている。まだ鑿や鎚を握ることは少ないけれど、店番をしたり、出来上がったものを客に届けたり、そういう役目はもっと小さいころからずっとやっていた。

 今日だって同じように、父が作ったものを、母に言われた通りに届けて、代金を受け取って帰る途中だった。客の家から自宅に帰るのに、丘の麓を回っていくより早いからとこっちまで登ってきて、……そして、宇宙の樹に見惚れてしまって。

 お使いの途中でぼんやりしていたなんて知ったら、母は怒るに違いない。怠惰を嫌う真面目なひとだから、時間を無駄にしていると言うに違いない。しかもそれが宇宙の樹の前だなんて知ったら、父も怒るに違いない。信心深くて真面目なひとだから、樹に対して不敬だって言うに違いない。

 それを想像すると、やっぱり酷くつまらない。アルタはさらに溜め息を吐きながら、とぼとぼと家まで帰っていった。

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