第7話 駅はすぐそこ

「さああかね、駅はもうすぐだよ」


 パチモンに促されるままに自転車を押して歩き出し、今度は適度にブレーキをかけながら階段を下っていく。そんな折、ふと気になってパチモンに訊いてみる。


「ねえパチモン? さっきの星空もそうだけど、要は世界が夢を見ているから、今は何でもありってことなの?」


 パチモンは喋るし、時間はメチャクチャ。鏡は姿を映さないし、星はSF小説もびっくりの煌びやかさと来ている。それこそ、今なら願えば背中に羽をもって飛べるんじゃなかろうかとすら思えてくる。


「もちろんそんなことはないさ」


 それなのに、パチモンの返事はつれないものだ。


「一見なんでもありに思えるけど、それは世界がそうあれと見ている夢だからってだけなんだ。だから、僕らの意思であれこれ自由にはできないし、何が起きるかの想像もつかない。僕らにできるのは、あくまでも眺めるだけなんだよ」


 階段を降りたところで改めて自転車に跨り、駅へと向かってペダルを漕いでいく。公園が見えてくれば、駅はもう目と鼻の先だ。速度が乗るに従い私の髪が大きく揺れ、晒された頬に感じる風が心地いい。


「私たちにできるのは眺めるだけっていうけど、それだと結局いつもの夢を見ているのと同じなんじゃないの?」

「それは違うよ、あかね」


 段差を超えるたびに揺れる前かごで、パチモンは器用に振り向き、ハンドルに両の前足を乗せる。


「あかねは普段の夢をどのくらい覚えていられる?」

「ええ? どうだろう?」


 毎朝の起床時、つい今しがたまで夢を見ていたこと自体はほぼ覚えている。そして、それが夢だったと自覚するあたりまでは色々と内容も記憶しているように思う。だがはっきりと目が覚め、それがどんな夢だったかを思い返そうとすると、まるで雲でも掴むかのように形にならない。結果、最後に残るのは夢を見ていたという感覚だけで、いうなればそれは、すべて白紙のページで綴られた本のようなものなのかもしれない。


「質問をかえるよ? あかねは夢を見ている時、それが夢だとはっきり認識できるかい? もっと言えば、夢の中の自分が本当にあかね自身だと自覚できるかい? そのうえで、自分の意志で行動できるかい?」

「ちょっとパチモン、そんな一遍に訊かれてもわからないよ」

「あはは、ごめんごめん」


 パチモンが前に向き直り、尻尾を振ったかと思うや、「でもね」と首を捻って再び顔をこちらに向ける。


「夢って、本来そういうものなんだよ。場所も、時間も関係ない。自分を含めた登場人物や内容も自分じゃ決められないし、それなのに夢を見ている間はそれを疑いもしない。そして、目覚めればそのほとんどを忘れてしまう」


 確かにその通りかもしれない。夢はいつだって自分では思いもしない内容で、だからこそそれは夢なのだ。そして夢だからこそ、あんなことがしてみたい、あそこに行ってみたい、あの人に会いたい――いつか叶えと夢想する。しかして、その記憶はいつだって目覚めとともに霧散してしまう。


 だからこそ儚い。まさしく読んで字のごとく、人の夢だ。


「さっき僕は、眺めるだけって言ったよね?」

「うん。だから、それって結局いつもと変わらないんじゃないの、て」


 繰り返す問答に、パチモンが笑った――気がする。どうしてだろう、パチモンの喋っていることがわかるとはいえ、表情はあくまで猫のそれであるからして、人のようにわかりやすく喜怒哀楽を示してくれるわけではない。それでも今、確かにパチモンが笑っていると思えた。

 そんなパチモンが、笑顔のままに続ける。


「まるで違うんだよ、いつもと、今じゃ」

「違うっていうと?」

「普段の僕らは夢を見る。いいかい? 眺めるんじゃなく、見るんだ。そして夢を見るということはすなわち、眠りに落ちて、自らが夢の世界の住人になるということで、それ以外の方法はない。それが今はどうだい? あかね、君は今、自分が眠っていると思うかい?」

「そんな、まさか。ちゃんと起きてるよ」

「だろ? そこだよあかね、いつもと違うのは。僕らは今、目覚めた状態で、つまり自分の意思を持った状態でここにいる。そして、夢の世界の住人になることなく、その外側から眺めることができるんだ」


 そこまで聞いて、初めて私も「そうか」と得心がいく。


「その顔は、どうやらわかってもらえたみたいだね」


 これまたニヤリと笑う――どうしてかそうだとわかる――パチモンに「うん」と首肯し前を、世界を見る。


 夢の世界は本来、いつだって一人称なのだ。眠りとともにその世界に落ち、そうだと気付かないままに主人公を演じている。むしろ、演じなくてはならない。だから、眺めるなんて、できるはずがない。

 それは、言ってみれば物語の主人公と、その物語の読み手程の違いであると言えるだろう。もちろん、今の私たちは読み手側。主人公からはその存在すら認知することができない、三人称の視点。


「ねえパチモン、これって」ごくりと唾を飲む。「すごくない?」

「だから言ったでしょ? 今じゃなきゃ行けないところがあるって」


 それは、私を叩き起こしたパチモンが言った台詞だ。当のパチモンは猫のくせに器用にウィンクを決めると、前方に向き直ってかごに前足をついて立ち上がる。


「ほらあかね、駅までもうすぐだよ」


 歩道から車止めを避け、駅前の公園の敷地内に入る。公園内の遊歩道を通れば、少しではあるものの駅へのショートカットになる。


「ねえパチモン、駅に着いたら次はどこへ行くの?」

「さあね? 僕にも行先はわからないんだ。でも、きっと見たこともないようなところに行けるはずさ」


 見たこともないところ、か。今だって私からすれば、十分に見たことのない世界なんだけどな。今にも雨あられと降り注いできそうな星の下に、そう思う。それでも、自然と高鳴る鼓動が、ペダルを踏む足に力をこめさせる。


 駅はもう、すぐそこだ。

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