その3

「――おや、こんばんは。君たちも旅人かい?」


 たどり着いた先で待っていたのは、松葉色の装束に身を包んだ一人の壮年の男だった。

 焚火を前に石の上に腰掛け、にこやかな笑顔を向けながら気さくに左手を上げている。

 記憶喪失のボクが言うのもおかしな話だけど、その姿は……至って普通の人のように見えた。


 ――君たち『も』……ってことは、あの人は旅人さんなのかな。


 とにかくまだ分からないことも多い今の状況で、人と出会えること自体がボクにとっては嬉しいことだ。

 さっそく話しかけに行こうと踏み出したボクの勇み足は……しかしボクの肩を掴んだシャルの手によって阻まれた。


「……少し下がってて」


 そのままボクの耳元で小さく耳打ちすると、代わりに一歩前に出る。


 ――え? どういうこと?

 

 そうボクが質問するより早く……シャルは両手を挙げて口を開いた。


「――大丈夫、危害を加えるつもりはない……だからそう警戒しないでくれ」


「……なるほど、お見通しというわけだ」


 男は「ふぅ」とため息を吐くと、背中の後ろに隠していた右手を表に回した。


 ――わ……。


 心の中で小さく悲鳴を上げながら、ボクはシャルの背中に半身を隠す。

 彼のその手には、大振りのナイフ……マチェットナイフが握られていた。


 あのまま、ボクが駆け寄っていたらどうなっていたのだろう。

 ……もしかしたら、という想像に身が震える。


「ん? その恰好……」


 怪訝そうな顔で、男はシャルの姿を眺める……そしてふと何かに納得したように頷いて、表情を綻ばせた。


「――あぁ、なるほど! これは失礼……。僕はアダムス。あっちこっち旅をして回っている」


「私はシャルだ。こっちの背中のが……」


「ポ、ポット、です……」


 ――? 何だかよく分からないけど、うまくいきそう?


 突然朗らかになり始めた場の空気に困惑しつつ……会話の流れに乗ってボクは答えた。


「シャル君に、ポット君……OKだ。すまなかったね、怖がらせてしまって」


 男……アダムスはそう言いながら、立てかけてあったリュックサックの紐にマチェットナイフを括りつけ、ウインクをして見せる。


 もう危害を加えるつもりはないから、安心してくれ……ということだろう。


「いや、私が貴方だったとしたら、同じく警戒していた……当然の行動だと思う」


 ――そっか。一人旅の途中で、夜に急に何人も人が来たらびっくりしちゃうよね……。


 自分の身を守るための準備をするのは、当たり前のことだろう。

 いくら相手が子供だったとしても……。


 ――あ、いや……今の世界では、見た目の年齢は関係ないんだ……。


 誰もが不老不死となった世界。

 それなら、例え見た目が子供の姿だったとしても……その実、相手が何を企んでいるかなど分かるはずもない。

 実際にはボクは見た目通りの子供、という自覚ではあるのだけど……。


「まぁ、これも何かの縁さ。せっかくだから、焚火で温まっていきたまえよ」


 催促するように、アダムスは笑顔で手招きする。

 シャルは言葉に頷きながら、歩を進め始めた。


「そうさせて貰おうかな……ポット?」


 しかしボクの体は、凍てついたように動かなかった。

 アダムスの言葉や仕草に、何か問題があったわけではない……ただ。


 彼が発した「焚火」という言葉に反応して、その燃え盛る炎の方に意識を向けた……ただそれだけのことで、ボクの体は金縛りにあったかのように動けなくなっていた。


 ――炎。


 魅入られる。


 チリチリと散る火の粉と、揺らめくその赤い輪郭。

 鼻の奥で痺れるような、灰の香り。

 その全てがボクの脳裏にある『何か』を刺激して……そして、身を竦ませる。


 ――また、だ。

 シャルの鎌を見た時と同じ……。


「――どうしたんだい、ポット君?」


「う、あ、え……いえ、ボクは……」


 ガクガクと、足が震える。

 炎の明滅、それと同じリズムで視界も眩む。

 ……立っていられない。


「――う、ぅ……」


「ポット!?」


 倒れ込んだボクの体を、シャルが受け止める。

 しかしそれでも、ボクの動悸は収まらなかった。


「だ、大丈夫かい!?」


「分からない……急に倒れてしまって」


 耳鳴りのような、二人の話す声が聞こえる。


「こういうことは、よくあるのかい?」


「いや、私もついさっき彼とは会ったばかりで……何百年も死んでいて、今日目覚めたらしい」


「――何百年も……?」


 息を呑むようなアダムスの呟き。

 それが驚愕の感想からによるものだと、定まらない意識の中でも理解できた。


 ――心配、かけさせちゃう……。

 シャルもアダムスさんも、初めて会ったばかりの人なのに。

 ボクは迷惑をかけてばかりだ……。


 ――大丈夫、落ち着けば……。


 ゆっくり深呼吸をして、息を整える。

 考えないようにすれば、大丈夫なはずだ。


 さっき話している時も、焚火自体はずっと目には映っていた。

 意識を向けてさえいなければ、そんなに辛くはない。


 一度固く結ぶように目を瞑って、もう一度開く。

 まだ少しくらくらするけど、何とか大丈夫そうだ。


「す、すいません。ちょっと眩暈がしちゃって……」


 四肢に血流が流れるのを感じながら、座ったままどうにか体を支える。


「――すまない、ちょっと失礼するよ」


 多分、倒れた時に駆け寄って来てくれていたのだろう。

 いつの間にか目の前に居たアダムスの固くてごつごつした手が、ボクの額に触れる。


「……ずいぶん冷えてる。ポット君、食べられるかい?」


「あぁ、ちょうどさっきお腹を鳴らしていた」


 ――なんでシャルが答えるの!?

 しかもお腹を鳴らしてたって……。


 マスクをつけていて表情は分からないけど、多分仏頂面で真面目に答えている彼女を見て……ボクは声を荒げてしまいそうになる。

 流石にそれほどの元気はなかったけど。


「辛い物は?」


「……多分好き? です」


 少し頭を捻ってみたけど苦手というイメージはなかったので、そう答える。

 流石にシャルも、勝手に「大丈夫だぞ」なんてことは言わなかった。


「よぅし分かった。ちょうどさっきカレーを作っていてね……」


 アダムスは勢いよく立ち上がると、火の傍に置いてあった鍋と、リュックサックから小袋や食器類を持ってきて、てきぱきと食事の支度を始めた。


「僕は甘口派なんだけどね……この唐辛子を入れて、少し辛くしてみよう。温まるはずさ」


 小袋から刻まれた唐辛子を取り出し、皿に盛り付けたカレーにまぶす。


 ――お、美味しそう……。


 目の前から漂ってくるその芳醇な香りに、忘れていたはずの空腹がお腹を蹴り出して激しく主張を始めた。

 溺れてしまいそうなほどに口の中で唾液が分泌されて、ボクの頭の中はカレー一色に染まる。


 ――いやいや。


「で、でも良いんですか? アダムスさんのご飯なんじゃ……」


 すんでの所で理性が帰って来て、ボクはアダムスにそう尋ねた。

 いくら何でも突然訪ねてきて晩飯を頂くなんて、厚かましいにも程がある。


 しかしアダムスは屈託ない笑顔を浮かべながら、「構わないさ」と答えた。


「僕はもう先に頂いたところだからね。良かったらシャル君も食べると良い」


「……私? いや、私は……」


「まぁまぁ遠慮しないでさ。その様子だと、あまり食に興味がないタイプの天望人だろう? 君」


 シャルの了承を待たず、アダムスはもう一皿への盛り付けを始めてしまう。


「確かに僕たち天望人は、食べなくても大丈夫ではあるけどね。でも栄養が不足すると動けなくはなるし、最終的に餓死だってしてしまう……。蘇れるとはいっても、なるべく食事は摂るのが賢明さ。何より――」


 やけに楽し気な様子な様子で、アダムスは語る。

 こうして誰かと話して、食事を振舞えるのが嬉しくて仕方がない……とでも言うような。

 そしてそれはどこか、ボクには見覚えのあるような姿に感じられた。

 

「――『食』は人生の豊かさの象徴だからね! だからほら、遠慮せずに食べるといいさ」


「そこまで言うのなら……頂こうかな……」


 遂に押し負けて、シャルはペストマスクを外した。

 それを見てアダムスは笑顔で頷いている。


「さぁ召し上がれ!」


 そして遂に盛り付けの終わったカレーが、ボクたちの前に並んだ。

 焚火の照り返しを受けて、その一品は宝石のように輝いている。


 ボクはゴクリと喉を鳴らし、スプーンを手に取った。


「「いただきます」」


 とろりと溶けたセピア色の液体を掬う。

 スパイスの効いた刺激的な香りが脳の奥を突つくのに触発され、早くそれを食べさせろと急かすように胃が収縮を始めた。


 中身を零さないようゆっくりとスプーンを口の中に招待し、舌を浸す。

 ルーと野菜の甘みが程よい温かさと共にじんわりと口の中で広がって、その至福の味わいにボクはしばし感動する。

 飲み込んでしまうのが勿体ないほどだったけれど、空腹に耐えかねたボクの体の方が勝手に喉を動かし、ゴクリと液体を胃の方へ流し込んだ。

 カラカラだった胃にぽとりと温かさが流れ落ち、そこから全身にかけて熱が伝播していく。


 ――あったかい……。


 吐き出す息にも熱が籠る。

 ボクは堪らずに二杯目を掬って、口に含んだ。

 今度はごろっとした野菜が入っていた。恐らく芋の類だと思われるそれを奥歯で細かく砕き、カレーのスープと一緒に喉奥に送る。


 ――あ、辛い……。


 突然、口の中がヒリヒリとした刺激に襲われ始めた。

 じわじわと顔が赤くなっていくのが分かる。

 でも、痛いという程じゃない塩梅の辛さだ。


 その程よい辛味が更に食欲を刺激して、三杯、四杯と動かす手が止まらなくなる。


「美味しい……! これ凄く美味しいですよアダムスさん!」


 カレーを夢中で頬張りながら、思わずそう口にしていた。

 ボクの感動を耳にして、アダムスは「ははは」と快活に笑う。


「喜んでくれて何よりだよ。僕、料理には少し自信があってね……旅中で人と会った時にはよくこうするのさ。同じ釜の飯を食えば皆仲良し、ってね」


「凄いなぁ~!」


「――それほどでもないさ」


「……? むぐ」


 何故か少しだけ表情を曇らせたアダムスの様子に違和感を抱きながらも……ボクはそれどころではないと勝手に次の一口を進めていた。

 とにかく本当に、このカレーは美味しすぎる。


「そういえばポット君……さっき聞いたけど、何百年もの間眠ってたんだって?」


「そう、らしいんですけど……ボク、記憶喪失で。よく分からないんですよね」


 食事を続けながら、ボクは答える。


「記憶喪失か。厄介だな……じゃあご家族とか、誰か君を知る人に心当たりも……」


「……ありません。でももし思い出せたとしても、多分もう……」


 きっと、出会うようなことはないだろう。

 ここはもう、どうしようもなくボクの知る世界とは違ってしまっているということは……この星のない夜空が如実に物語っている。


「……」


 手が止まる。

 錘を乗せたように、空気が少し重くなった。

 アダムスはしばらくの間、黙ったままボクを見つめて――


「――大丈夫さ! あぁ、大丈夫……きっとな……!」


「わ、わ……」


 突然、大きな手でボクの頭を掴んで、わしゃわしゃと撫で始めた。

 励ましてくれている……と思ったのだけど。


 ――なんだか、ボクよりも辛そう……?


 「大丈夫、大丈夫……」と繰り返すその声は、確かに震えていて……何かを我慢しているように思えた。


「あ、あの……」


「あぁすまない! 食事の邪魔をしてしまったね」


 理由を尋ねようと顔を上げると、アダムスは既に先ほどまでと同じ落ち着いた調子を取り戻していた。


 ――うーん、気のせいだったのかな……。


 ボクはどうにも腑に落ちない感覚を覚えながらも……同時に感じた彼の確かな優しさに、心を揉まれつつあった。


「そういえば、アダムスさんは何で旅をしてるんですか?」


「あー、僕かい? そうだね……」


 少し、考えるような素振りを見せる。

 そして遠くを見つめるような寂し気な顔で、小さく笑った。


「――この世界を記憶するため、かな」


「……記憶?」


「うん……人類が皆死ななくなってしまった結果、この世界は停滞した。人々の交流が消極的になって、独自の文化圏の構築が進んだんだ。そういう色んな文化を見て回るのが、面白いのさ」


 ――死ななくなってしまった?


「へぇ~! そうなんですねぇ」


 何だか引っ掛かる物言いだったような気がするけど、後半の話が面白くてボクは聞き流した。


 確かに一度世界が滅んでしまった後で作られた独自の文化というのは、面白そうだ。

 ボクも見てみたいかもしれない。


「そういう君たちは、何故旅を?」


「ボクはさっき目覚めてから、シャルに付いて来ただけなので特には……」


 そう、それはボクも気になっていたことだった。

 どうしてシャルは旅をしているんだろう。


 いや、そもそも旅をしているんだろうか。

 どこかに向かっている途中で、たまたまボクを見つけただけ?

 ……それとも、ボクを見つけて拾うことがそもそもの目的だったのかも。


 とにかく彼女の行動は今の所何もかも不透明で……その点に、ボクが一抹の不安を感じていたのは確かだった。


 ――よし、聞いてみよう。


 ボクが是非この機会に真実を明らかにしようと隣を振り向くと……。


「――」


 そこには無心でカレーを貪り続ける、死神の姿があった。

 ボクたちの視線が集中しているのにも気付かない様子で、ただただスプーンを口と皿の間で往復させる運動を繰り返している。


 ――ハムスターみたいだ……。


 むぐむぐという咀嚼音だけを響かせながら、一心不乱にカレーを食べ続けるシャル。

 何だか今声を掛けるのは悪いような気もするけど……。


「……シャル?」


「――うっ、うん?」


 ボクが恐る恐る声を掛けると、シャルは焦ったように顔を上げた。

 頬にカレーのあとが少し付いてしまっている。

 どうやらそれに気付いてもいないようだ。


 ――あ、多分これ話聞いてなかったやつだ。


「えっと……、旅の理由について、っていう話なんですけど……」


「あぁ、うん、そっか。そういえばまだ話してなかったね……」


 言いながら、シャルは一瞬ちらりと後ろを振り向いた。

 どこを見ているのかと思ったけど……どうやら背中の鎌を確認したらしい。


 ――やっぱりその鎌が、何か関係あるのかな。


 再びこちらに向けたシャルの表情は、どうにも落ち込んでいるように見えた。


「――敢えて言うなら……人に会うため、かな」


「人に? ……それは誰か、シャルの知ってる人を探してる……ってことですか?」


「いや、多分逆」


 首を振って、シャルは俯いたまま答える。


「――私の方は知らないけれど……私の事を探してる人を、探してるんだ」


「?」


 曖昧な返事で、よく分からなかったけど……とにかく人探しの旅……ということなのだろうか。


 様子を伺っていたアダムスが、シャルに問いかける。


「目的地は決まってるのかい?」


「……特には」


「なら、良かったら次の村まで一緒しようじゃないか」


 両手を広げて、アダムスは明朗に笑った。


「旅は道連れ世は情け、と言うだろう? 一人旅は堪えるものなのさ、こう見えてね」


「凄く良いじゃないですか! ね、シャルもそう思いませんか?」


 その魅力的な提案に、ボクはぶんぶんと頭を振って肯定を示す。

 こんなに頼りになる人が居てくれるなら、心強いことこの上ない。


 ボクは勢い勇んで、シャルを振り返った。


「え、あぁ、うん。私は別に、構わないけれど……」


「よし、じゃあ決まりだ!」


「やったー!」


 驚いたような表情で固まるシャルを横にして、ボクは両手を挙げる。


 ――なんか、すごく嬉しいな!


 体だけじゃなくて、今は心まで温かい。

 一緒にご飯を食べて、一緒に旅をする。

 何もかもを失ったボクだけど、だからこそこんなことが果てしなく嬉しくて堪らない。


「シャル、ほっぺにカレー付いてますよ」


「……!」


「あははは」


 頬を拭って赤面するシャルを見て、ボクは笑った。


「ふっ、はははは」


 釣られて、アダムスまで笑い出した。

 シャルはそんなボクたちの様子に困惑したまま……再びカレーに夢中になり始めた。


 ――ずっと、こんな風なのが続けばいいな。


 永遠の命を携えているのだから、それも叶うだろうか。

 そんなことを、ふと思ったりもした。

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