第一話 流星を追った少年

その1


 夜空を見上げる少年の瞳は、輝きで満ちていた。

 天を満たすは星の光。

 その燦然たる煌めきに、少年はうっとりと見惚れている。


 ――いつか、あの星にまで行けるのかな。


 それは希望。

 どこまでも、どこまでも手を伸ばして。

 この先の何年、何十年、何百年とかけて。


 いつか、あの未知なる星の海へ。

 きっと人間は旅立つのだろう。


 美しく澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んで、少年はそんな未来に想いを馳せる。

 

 ――その時だった。


「――わぁ……!!」


 閃光のように宇宙を駆けた、一筋の光。

 それは仲間を呼ぶように幾つも連なり出し……瞬く間に、天蓋を巡る流星群となった。


「――!」


 少年は、たまらずに駆け出す。

 流星を手でなぞり、自らも天を走る星の一部となったかのように。


 人々が星を想うように、星もまた、人々を想った。

 閉ざされた地球の蓋をこじ開けて、星は人に会いに来てくれたのだ。


 少年はただ、そのことが嬉しくてたまらなかった。


「……はぁっ、はぁっ」


 いつの間にか、家の扉の前に立っていた。

 夢中になって走っているうちに、戻ってきてしまっていたらしい。

 

 ――でも、ちょうどいいや。

 こんなにいい景色なんだから、お父さんとお母さんにも見せないと!


 夜の間、こっそり部屋を抜け出して星空を眺めていたということも忘れて、少年は扉の取手に手を掛ける――その瞬間。


『――開けるな』


 頭にこだまする、声。

 まるでサイレンのように、頭蓋の中でけたたましく鳴り響いている。


『開けるな』


 ――うる、さい……。


 痛み。


『あけるな』


 ――うるさい、うるさい!


 不愉快。不愉快。


『アケルナ――』


 ――うるさいうるさいうるさいうるさい!!


 否定。否定。否定。否定。


 ――アケルナアケルナアケルナアケルナアケルナアケルナアケルナアケルナアケルナアケルナアケルナアケルナアケルナアケルナ――



 ◇ ◇ ◇



「――はっ……!」


 小鳥のさえずりと木漏れ日の温かな光。

 目が覚めたボクが最初に感じたのは、その心地よい感覚だった。


「なんだぁ、夢か……」


 乾いた木の葉の優しい香りに心を揉まれながら、ボクは呟く。

 なんだか、物凄く怖い夢だった気がする。

 よく覚えてはいないけど。


 横になったまま、安心感と共にボクは「ふぅ……」とため息を吐く。


 それと同時に。


「――あ、起きた?」


「わぁっ!?」


 ぬぅっと視界を遮る、黒い影。

 まるで暗闇そのもののような漆黒の衣と、カラスの顔に似た仮面――そう、確かペストマスクというんだった――それを付けた何者かが、僕の顔を覗き込んでいる。

 その背には切っ先の欠けた大きな鎌を携え、太陽の光を受けて刃だけが鈍く光っている。

 ……その姿は、まるで。


「死神……!?」


 ボクは横になったまま、両手両足をじたばた動かして後退った。

 恐ろしいという感情だけがボクの心を飲み込み、四肢をガタガタと震わせる。


 ……特に、背に見えるあの鎌。

 命を刈り取ることだけを思わせるその刃が、ボクは恐ろしくてたまらなかった。


「……あぁ、すまない。怖がらせてしまった……」


 そんなボクの様子を受けてか、死神はまるでお祭りのお面のように、ペストマスクを側頭部にズラした。


「――え……?」


 思わず、困惑の声が漏れる。

 マスクの裏から出てきたのは、ボクより二、三歳くらい年上の……見た目十七歳くらいの少女だった。

 倦んだ藍色の瞳をこちらに向けながら、決まりが悪そうに黒い前髪を片手でいじっている。

 その死神とはまるでかけ離れたイメージの彼女の姿に、ボクの心は徐々に落ち着きを取り戻す。


「……とりあえずさ、その……これ、着なよ」


「は、はい?」


 そう言いながら、彼女がぽんと放り投げてきたのは……上下一着分の服だった。


「寒いでしょ、その恰好だと」


 何故か黒いフードで目元を隠しながら、少女は言った。

 ボクは頭に疑問符を浮かべながら、ゆっくり自分の姿を見下ろし――


「――うぇええ!? ボッ、ボク、なんで裸ぁ!?」


 そこには間違いなく、生まれたままの恰好で横たわっていたボクの姿があった。

 当然、ボクの……その、なにがしかも全て丸見えで……それを年上とはいえ、初対面の女の子に見られてしまったという羞恥で、ボクの顔は湯だったように熱くなる。


「う、うぅ……」


 急いで立ち上がり、服を手に取る。

 見たところ随分ボロボロの服だったが、この際贅沢なことは言っていられない。


「……」


 少女は気を遣ってか、ボクが着替えている間は背中を向けてくれていた。

 

 ――でもそれが逆に恥ずかしいよ……!


 気まずそうにされると、『見ちゃったんだ……』と嫌でも分かってしまう。

 とにかく、顔から火が出そうだった。


「――あの……着替えまし、た……」


 服と共に用意されていた靴にも履き替え、ボクはおずおずと声を掛ける。


「う、うん。良かった……」


 言いながら振り向いた彼女だったが、未だに視線を泳がせて落ち着かない様子だ。

 

 ――……なんだか、ボクよりも恥ずかしそう。


 自分より少し背の高い彼女のそんな様子に、何故かボクは少し笑ってしまいそうになった。


「えっと……そうだ、名前! 名前を教えてくれませんか?」


 場を和ませるために、半ば勢いでボクはそう言った。

 その言葉に彼女はピタリと動きを止め、目を伏せる。


「――拝宇……シャル」


 一段と低いその声のトーンには、何処か拒絶のようなものを感じた。


「はいう……拝宇さん、ですか」


「シャルでいい」


 目を伏せたまま、彼女は憎々しげに呟く。


「――家の名前は……嫌いなんだ」


 これ以上、触れてはならない。

 直感的にそれを理解して、ボクは唾を飲み込む。


「えっと……ではシャルさん!」


「呼び捨てで良い」


「は、はい……シャル」


 ――ずいぶん名前のこだわりが強い人なんだなぁ。


 心の中で苦笑いを浮かべつつ、今度はボクの番と声を張り上げる。


「ボクはポットです! 生まれは――」


 そこまで言って、不意に口が止まる。


 ――あれ、何だっけ。


 続く言葉が、思いつかない。


 ――いや、そんな。そんなはず……。


 空っぽの宝箱を漁るみたいに、ひっくり返してその言葉を探したけれど……まるで誰かに盗まれてしまったかのように、僕の記憶は空白だった。


 生まれのことだけじゃなく……ボクに関すること、その全てが。


「――思い出せない……」


 足元がふらついて、大きくよろめく。

 まるで自分が自分でなくなってしまったような。

 その不安定さに、視界が眩んで立っていられなくなる。


「――記憶喪失、か……」


 見上げると、彼女……シャルは顎に手をやり、毅然とした眼差しでボクを見つめていた。


「まぁ、珍しいことじゃない。でも……すると、そうか」


 何か納得したかのように頷き、シャルはボクに告げる。


「――君は……相当酷い『死に方』をしたんだな」


 ――え?

 死んだ……? ボクが?


「な、何言ってるんですか? ボクは生きて……」


「あぁ。だから一度死んで、『蘇った』んだ」


「え……? ど、どういう……」


 一言一句、何を言っているのか分からない。


 ――死んで……蘇る?

 そんなことあるわけないよ。

 人は死んだら、それまでだ。

 生き返るなんてことはない。


「……?」


 おかしなことに、シャルはそんなボクの様子を見てボク以上に困惑している様子だった。

 まるで幽霊でも見るような驚きに満ちた目で、ボクを見つめている。


「――待て、ええと……確かポットだったか。まさか君……『種』を知らないのか? 『逆さ木』のことも?」


「種? 逆さ木? 何のことですか?」


「……驚いたな。まさか大戦争以前の時代から『蘇った』のか――」


 信じられない、と呟きながら……シャルはボクの全身を舐めるように観察し始める。


 ――……うぅ。見たくないのか見たいのか、どっちなんだこの人は。


 服を着たから多少マシとはいえ、やっぱり自分の体をジロジロと見られるのはどうにも気恥ずかしかった。


「あの、説明して貰えませんか? ここはどこで、ボクは何者で……何があったのか」


「そうだな……少し歩きながら話そう」


 シャルは背を向けながらそう言って、歩き出す。


「じきに夜が来る」


 彼女の言葉通り、遠くに見える空は既にオレンジに染まりつつあった。


 ――……シャルが信頼できる人かは分からない、けど……。


 何一つ覚えていないボクのこの状況で、頼れる人は他に居ない。

 それに……何となく。


 ――悪い人じゃないような気がする……。


 数歩進んだ先で立ち止まって、心配するように顔を振り向けるその姿に、ボクは付いていくことを決めるのだった。

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