第13話・『美味い酒と最低な現実』

 リグロと、神裂かんざき犀田さいだの激突から十日が過ぎた。


 曇天──空は厚く覆われ、青黒い。


 半乾きの汗がベッタリはりつく、不快な夕暮れ時。


 宿・夢羊ゆめひつじから歩いてすぐの『鐘弦しょうげん神社』。


 参拝客は少なく、拝殿では老婆が祈りを捧げている。


 その背で、菅原とリグロが竹刀を構え対峙していた。


 そばには犀田が立っている。


「次こそは勝ってやる!」


 菅原が息巻く。


 温い風が吹き、紙垂しでを揺らした。


 犀田が手を上げ、振り下ろす。


「始め!」


 菅原が勢いよく斬りかかる。しかしリグロは寸前でかわし、素速く一打を返す。


「一本! リグロ!」


 犀田が手を上げた。


「くっそおお〜! また負けた〜!」


 菅原は地団駄を踏んだ。


 リグロは困ったような表情を浮かべた。


「ん〜……戦ってみて分かったが、お前はそこらの隊士よりは強い。でも自分で良さを潰しているな」


「どういう事だよ?」


「お前、短気だろ」


「うっ……」


 図星だったのか、菅原の顔が青く固まった。


「すぐカッとなって動きが単調になる。それに、負けん気のせいで、どこに攻めてくるかも読みやすいんだ」


 犀田が笑って茶化す。


「お主の昔からの悪い癖じゃの!」


「笑うな!」


 ムキになる菅原に、リグロが優しく言う。


「菅原、落ち着いて戦えばお前は強いよ。さすが、副隊長なだけはある」


「そっ、そうか……?」


 菅原は満更でもない笑顔を見せた。


「よし、じゃあもう一本! 今度は落ち着いて戦ってみるぜ」


「え〜! まだやんの!? 六本めだぞ!」


「来い!」


「来い! じゃなくて、俺は怪我が治ったばかりなんですけど?」


「菅原の次は、わしとも勝負せえ!」


 犀田も我慢できずに声を張る。


「あんたら聞いてた? 二人とも今日休みなんでしょ! 体を休めなって!」


 境内にリグロの声が響き渡った。狛犬とお稲荷さんの石像も、どことなく笑っているように見えた。



 その夜。詩条夢横丁しじょうゆめよこちょう──


 居酒屋が立ち並び、遊郭が三軒もある繁華街。曇り空でもこの場は賑やかで、町民の笑い声が夜を照らしていた。


 のれんがめくり上がり、音酒屋ねざけやから蜘蛛屋が出てきた。


「大将、また」


 軽く手を上げ、戸を閉める。


 活気ある通りの光に、吸い込まれるように蜘蛛屋は歩き出した。


 頬は紅く、肌にはつい最近までなかった艶が戻っていた。


「この辺にむかし獅子原たちと行った、味噌田楽が美味い店があったな……」


 そう呟く呼気には、さっき飲んだ焼酎の香りが混ざっている。


「行ってみるか」


 大通りから路地へと何度か曲がった。


 そのとき──


「負け続きの音選組なんか、もう泥船だろ!」


「逃げるが勝ちってもんだ!」


 白銀の羽織り──盤台藩ばんだいはん廻韻組かいいんぐみの若い隊士が二人、蜘蛛屋の方へ駆けてきた。


 蜘蛛屋は立ち止まり、その横を通り過ぎようとする二人を睨みつける。


 視線を感じた隊士の一人が「うわっ!」と声を上げよろついたが、そのまま走り去ろうとした。


「おい──聞き捨てらんねえな……」


 右手の指先から鋭く尖った鉄糸が伸び、背後から二人を絡め取る。


 「ぐわっ……!」

 「がぁ……!」 


 一瞬で縛り上げた。


 蜘蛛屋がゆっくりと歩み寄る。


「オレらをナメんじゃねえよ。音選組と廻韻組、最前線で響の治安を守っているのはどっちだ!」


 鉄糸が締まり、苦痛の叫びが上がる。


「ぐわぁああ……!」

「イ……イタっい!……そ……それは、音選組です!」


 鉄糸を緩め、爪に回収した。


「覚悟がねえなら武器なんか持つな! ボンボンがよっ!!」


 片方の隊士は恐怖で失禁し、地面の色を濃くした。

 

 二人は腰砕けになりながらも立ち上がり、「ひぃーっ」と叫びながら逃げ去った。彼らの腰では、情けなく刀が揺れていた。


 蜘蛛屋が暗い路地の奥に進んだ。


(畜生が……!!)


 夜目が効きはっきりと見えたのは──血を流し倒れ伏す音選組の隊士二名。


 一人は腹を裂かれ内臓の一部が露出している。もう一人は顔が判別できないほど削がれていた。


 残った一人の音選組隊士が、満身創痍ながらも倒幕派アンチバビロンの剣士と戦っている。


「……勝ち目がない……」


 肩で息をする隊士。

 剣士はニヤリと笑った。


「音選組なんざ大したことねえな……お前も他の奴らと同じように壊してやるよ」


 刹那──闇から十本の鉄爪が稲妻のごとく突き出され、倒幕派の剣士の体に深々と突き刺さった。


「ぎゃあああ!!」


 引き戻された鉄糸。十個に空いた穴から血を噴き上げ、剣士はその場で絶命する。


「ありがとうございます……たすか!?」


 振り返った隊士は蜘蛛屋だと気づき、一瞬怯える。


「よく耐えたな」


 蜘蛛屋の意外な優しい言葉に緊張が抜け、隊士はそのままその場に倒れこんだ。


 蜘蛛屋は歯を食いしばり、路地の闇を纏うように目を伏せた。黒紫の炎が瞳に灯る。


「獅子原すまねえ……オレはもう、裏道しか歩けない人間なんだよ」



 音選組屯所・八菜邸はつなてい離れ。


 十三番隊本部──


 和室だが洋風の家具を詰め込んだ派手な一室。その空間には、男女が七名。


 酒を飲む者、読者をする者、各々が好きな時間を過ごしている。

 

 その中でも自称十三番隊隊長・龍ケ崎玄信りゅうがさきげんしんが一際目立つ。


 彼は大きなソファに座り、両脇に美女をはべらせながら中央を陣取っている。


 ふと、襖の向こうから声がする。


「入って大丈夫か?」


「入れ」


 龍ケ崎が許可を受け、襖が開く。


「よお。誰かと思ったら──久しぶりじゃねえか、蜘蛛屋」


 龍ケ崎は不敵な笑みを浮かべた。

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