第12話・『取引と局長』

 時は少しさかのぼり、

 リグロが神裂かんざき犀田さいだを撃破した、その翌日──


 詩条通横笛町しじょうどおりよこぶえまちにある、『雨音寺庭園あまねでらていえん』。


 昼下がりの蝉声せんせいが、境内の夏色を濃くする。


 池には深緑の木々と雲が映りこみ、そばでは水切りをする子どもたちが元気に笑う。


 苔の絨毯じゅうたんが敷き詰められた小径こみちには、日傘をさした老人もいる。


 この雅な庭のなかで、ただ一箇所だけ空気が淀む場所がある。


 橋を渡った先の東屋あずまやだ。


 池を渡る風の一部が置き去りにされ、重く停滞している。屋根の陰は不穏を作り、中の三人を覆っていた。

 

 そこにいるのは、蜘蛛屋くもや畿内銭之助きないぜにのすけ空師志道そらししどう


 畿内は椅子に腰掛け、二人は立っていた。


「おい、今月は烏天狗からすてんぐじゃないのか……?」


「ああ、彼は別任務ですわ。もう響にはおりまへん」


「……そうかよ」


 用心棒の空師。腰に刀をはめた彼と目が合う。圧に負け、目を逸らす蜘蛛屋。


「そんなことより、取引ですわ」


「ああ……。五十万だ。確認しろ」


 蜘蛛屋は、包みごと金を差し出す。


 畿内は包みを開き、指を滑らせながら「ひぃ、ふぅ、みいぃ……」と数え、最後に満足げに笑った。


「確かに、五十万符。きっちり納めさせてもらいます」


 畿内は、懐に金を仕舞いながら首を傾げた。


「なんやおかしいな……蜘蛛屋はん、今月はいつもより少ないんと違います?」


「言われた通りの額は納めてるぞ」


「でも前は、もっと納めてはりましたよね。もしかして……何かあったんとちゃいます?」


「何が言いたい?」


 蜘蛛屋の目つきが細く鋭くなる。


「えらい褐色の剣士に苦戦してはるみたいやけど、金集めが上手く行ってないのと、なにか関係があったりするんやろか?」


 ニヤッと、畿内は笑った。

 

 蜘蛛屋の手に力が入り鉄糸が伸びかけるが、瞬時に空師が懐に割って入った。


 蜘蛛屋が舌打ちする。


「ほな、また来月お願いします」


 畿内が立ち上がったが、蜘蛛屋が呼び止めた。


「おい! 音選組の件、分かってるんだろうな」


「ちゃんと上に言うてます。そろそろ動きがあるはずですわ」


 畿内と空師が東屋を出た。

 その先には、橋の入口に立つ音選組局長・獅子原ししはらの姿があった。


 「どうも」

 

 畿内が会釈し、獅子原も応じる。

 空師とは、互いに視線を外さない。常人には分からない無音の測り合い。肩口が熱を帯び、緊張が走った。


 二人はそのまま、横を通り過ぎていく。


 (あの男……相当な手練れだな)


 視線を東屋にいる蜘蛛屋に移し、歩み寄る。


「こんなとこに居たのか、探したぞ」


「何の用だよ、獅子原……」



 東屋の椅子に並んで座る、獅子原と蜘蛛屋。


「ずいぶん痩せたな……ちゃんと飯食ってるか?」


 獅子原が心配そうに言う。蜘蛛屋の頬はこけ、目は飛び出ている。


「食ってるよ……」


「さっきの二人は知り合いか?」


 獅子原の疑念に、蜘蛛屋は一瞬たじろぐ。


(流石にさっきのは怪しいか……)


条通りの矢蔵屋やぐらや。武器屋の奴らだ」


 蜘蛛屋は鉄糸を見せた。


「ほら、これは特殊な武器だからよ。定期的に爪の手入れをしてもらってんだ」


「そうか」


 獅子原から警戒が消え、いつもの穏やかさが戻る。


「またお前が、危ない橋を渡ってるのかと思ったよ〜」


(どこまで素直な野郎なんだ……)


「おい、そんな事を言うためにオレを探していたわけじゃないだろ? 単刀直入に言え」


 獅子原は一瞬言葉をためらった。

 背後で池の鯉が跳ねる音がし、広がった波紋が消えた。


「実は……お前の処罰について、いま隊内で話し合いが始まっている。正直、重い処分を求める声も多い」


「まあ……そうなるだろうな」


「どうして神裂を逃がした。そこまでして、お前が褐色の剣士にこだわる理由は何だ?」


「大した利用じゃねえ。音選組がナメられるのが嫌なんだ。オレたちは強くないといけない」


「みんな昔より強くなった。組織も大きくなった。なにが不満なんだ?」


「そういうことじゃねえんだよ! 音選組は絶対的に強くなきゃ意味がねえ!」


 獅子原はそこで「ふふ」と笑った。


「てめえ! なに笑って──」


「お前なりに、音選組の事を考えているのが伝わってきたよ」


「うるせえよ……」


 その瞬間、獅子原は両膝をつき──深々と土下座をした。


 蜘蛛屋は目を見開く。


「蜘蛛屋、頼む。おれがみんなを説得するから、どうか今だけは大人しくしてくれないか」


「おま、止めろ! 獅子原、そういうとこだぞ!」


 獅子原の脳裏に浮かんだ、道場時代の仲間の笑顔──


(手放したくない!)


「おれは蜘蛛屋と共に、これからも歩きたいんだ! 情けないのは分かっている。でも、ついてきてほしい!」


 蜘蛛屋は彼の熱を感じた。それは久しぶりの感覚だった。

 

 組織の長となってから段々と我慢するようになった獅子原が見せた、素の自分だ。


 蜘蛛屋の中で何かが溶けた。


「……分かったよ」


「ありがとう!」


「従うから立て。だから、局長らしく凛としろ」


 獅子原は立ち上がり、まっすぐな瞳で頷いた。


「でもな、ひとつだけ約束しろ。獅子原──お前は何があっても、音選組を前に進ませろ。良いな」


「ああ、分かった」


 獅子原は力強く言った。



 蜘蛛屋はひとり、帰路につく。


 穏やかで静かな畑の横を通る。


「ぐぅー」と腹が鳴って、笑う。


「腹が減るのって、良いもんだったよな」


 畑を吹き抜ける風が、蜘蛛屋を優しく撫でた。桔梗紫ききょうむらさきの羽織りがふわっと揺らぎ、暑さを少しやわらげた。

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