第8話 文明の力と買い出し当番

7月


白浜と木瀬、それと男女混合のリレーチームの清水、瀧川は、地区予選も突破し、明鳳高校初の、5種目での全国大会出場を手にした。


その快挙に、地元のローカル新聞やテレビ局がその内容を大々的に取り上げ、水泳部は一躍有名となった。


入部動機が不純だった木瀬も、白浜の泳ぎに感化されたのか、もともと高い自尊心に火が付き、ドラマの撮影そっちのけで部活動に力を注いでいた。


6月下旬の期末テストも難なく突破した4人の目は、もう全国しか見ていなかった。


 

「えーでは、毎年恒例、水泳部のBBQ大会の役割を決めたいと思います!」


特別教室の教台に立って進行を進めるのは、時期主将2年の橘。少しでもタイムが出るために丸坊主にしている強者男子。


板書担当は時期副主将2年の女子水泳部の灰原。凛とした佇まいが清水と似ていた。


7月の第2日曜は、毎年恒例の水泳部BBQ大会となっていることを知ったのは、つい最近。場所は明鳳高校から数100m先の河川敷。都会につきものの火気厳禁という縛りは、この田舎にはない。


今年はインターハイ出場ということもあり、いつも以上に部の団結が高まり、総勢21名全員が参加との大盛況っぷりだった。


ホワイトボードに持ち寄るものが記載されていく。


”牛肉担当、豚肉担当、鶏肉担当……などなど”


そのとき、橘の申し訳ない声が俺を伺う。


「星野先生、すみません。毎年、千堂先生がグリル担当だったんですが、大丈夫ですか?」


確かに、生徒が持って来るには重すぎる。俺は橘に片手でOKサインを送った。


「ちょうど実家にグリルなら2台あるから大丈夫だ!車も実家にワンボックカーがあるから、炭とか重いもん積んで運ぶぞ」


俺の言葉に周りの生徒が手を叩いて喜んだ。

まぁ、実家に帰っても出歩かなければ誰にも会わないかと考えていたとき、金髪頭の天の声が囁いた。


「星野センセーの実家と白浜の家って近所なんだろ?なら、買い出し担当も2人にお願いして良い?」


「そうですね!会費は星野先生にお渡しします!」


木瀬の声に、すかさず灰原が被せてきた。


生徒達のキラキラしたおねだりの目が一気に集まる。木瀬の口元が悪戯に弧を描き、灰原に関しては既にホワイトボードの担当箇所を一纏めに丸で括っていた。


その木瀬の機転の効いた提案に俺の心はどこまでも浮上する。


「でも、センセーに迷惑じゃねぇか?」


そんな浮かれ中の俺の耳に届いたのは天使の声。俺はできるだけニヤける表情を抑えつつ、白浜に告げた。


「白浜がイヤじゃなきゃ、俺は大丈夫だ。肉やら野菜やら飲み物なんかは、細々買うより業務用スーパーで買った方が安かろ?ちょうど実家の近くにあるから、手伝ってくれるか?」


何やら説明口調になってしまい自分でもドギマギする。さっきまで、出歩かなければと考えていた自分とは別人のようだ。


白浜との買い出しの大義名分をもらえたことが嬉しくて、ふやける口元を覆う。

白浜はニカっと笑って「分かった!」と快諾した。


周りから拍手喝采が起こり、何やら祝福される形でその会は終了した。



「ならセンセー、日曜は何時集合?」


終わったあと、白浜が笑顔で近付いてきた。他の生徒にさよならの挨拶をした後、俺と白浜は椅子を並べて座った。


「そーだなぁ。スーパーが開くのが9時だろ?だから――」


俺が白浜の家に迎えに行く時間帯を伝えようとしたとき、せっかちな声が重ねてきた。


「分かった!ならそのスーパーに9時待ち合わせな!センセー見つけっから!」


そう言って白浜は和かに笑った。





シャリシャリシャリシャリ…。


俺の真横のテーブルで小さくカットしたリンゴを無我夢中で頬張るウサギがいる、土曜日の午後。


久々に実家に帰った居間で、リンゴをケイと一緒に堪能している。


基本、平日は職員室で寝泊まりしているケイだが、連日猛暑日で心配だと、誰ともなしにこうやって持ち帰ることが習慣化した。


最近では俺の帰宅時間に合わせてご丁寧にも俺のショルダーバックに入り込むもんだから、必然的にお持ち帰りは俺の仕事となった。


「考えてみたら、文明の力っちゅーもんがあんだよなー」


リンゴに齧り付きながら独り言を溢すと、ソファに座っていた大学生の生意気な妹が「はっ!?」と目を吊り上げた。


白浜との買い出しに浮かれ中の俺は、前日からケイと一緒に泊まりに来ていた。

そんな俺に対し、数年ぶりに会う妹の彩は氷のナイフの様に冷たく尖っていた。


「独り言!そんな怒った顔せんで、彩も一緒にリンゴ食おうぜ」


「うっさい!バカ兄っ!」


本当に可愛くない。俺はブーっと顔をしかめる。


「何その顔!?キッモっっ!」


そう言いながらも、彩はなんだかんだとケイを見下ろしては目尻を下げている。


彩がケイの目の前に腰を下ろして冷えたリンゴを掴み上げた。


「で、何が文明の力だって!?」


ブハッ!!

結局は放って置けない彩は面倒臭そうな顔を作り、尋ねてきた。たまらず吹き出すと、彩の顔中に怒りマークが浮かび上がる。


「わりー、わりー」と今にも怒鳴り散らさんばかりの面倒くせー妹を宥めて言葉を切った。


「いやー、明日のBBQね、買い出し当番が俺と、近所に住む生徒になったんだけどさ。待ち合わせの場所を決めよーとしたら、そいつスーパーで見つけるから!って言ったんだよな。フツーそんとき、連絡先聞かねーか?」


冗談めかしてそう言うと、彩の眉根がピクンと反応を見せた。


「はっ!?あんた、とうとう生徒に手ー出したの!?」


「出してねーよっ!!」


リンゴを持っていない方の手で、乱暴にテーブルを叩いて訂正すると、ケイが驚き、左足でダンッ!と抗議した。


「バガ兄!うるさいっ!ケイがビックリするでしょ!」


「お前が変なこと言うからだろっ!」


兄妹仲良く口論を続けた後、何やらまた大声を出そうとする彩の口に手をやり、静かにしろとたしなめる。


「マジで生徒なの!?どんなイケメン男子よ!」


彩は俺がゲイだということを知っている。というか、早い時期に俺がゲイだと見抜いていた。


だが、親に話したりはしなかった。前に、なんで俺のこと話さないのかと尋ねたとき、アウティングの怖さは理解していると言われた。


何やら俺よりも大人な一面に、心から感心した出来事だった。


「で、その相手っていくつ?高1とかじゃないでしょうね!」


高1も高3もさして変わらないが、やはり成人しているかしていないかは大きいのだろう。


兄妹で恋愛トークは勘弁してほしい。それに相手は女だ。

色々と詮索されるのが面倒になり、さっさと片付けて台所に行くと、「逃げんのっ!!??」との怒号に、さすがにケイが「プリッ!!」と怒って縁側から庭に逃げて行った。





翌日。


俺はピィピィ眠っているケイを起こさないよう、そろりと玄関を出た。


昨夜から一緒に行く気満々だったケイだったが、河川敷という広い場所でのBBQで、万が一でもなんてことがあったら困ると、俺は留守番させることを決めていた。


あいつに限って逃げ出すことはないと思うが、水の事故はやはり怖い。

「許せ、ケイ――」そう、胸で唱えながら手を合わせた。


目指すは数キロ先の業務用スーパー。


あの大学3年の事件には緘口令が敷かれたとはいえ、俺が競泳を辞めた理由はまことしやかに囁かれていた。


だから、地元の知り合いには誰にも会いたくなかった。そんな俺が、自分の口から実家の業務用スーパーを提案したのは、兎にも角にも白浜との一緒の時間を楽しみたかったからだ。


「……はぁ。8つも年下イケメンに翻弄されてんな…」


俺は幸せなため息を溢し、ニヤリと口元を綻ばせた。



目的の駐車場に10分前に到着すると、すでにおばさま達の順番待ちの列ができていた。


今日の目玉は何だろなと思いなら運転席から降りると、「センセーおっはよっ!って、あれ?ケイは? お留守番させたん?」と可愛らしい声が鼓膜を震わせた。


「はよ、白浜!」


隠しきれない笑みを携えて頭一個分真下の白浜を見やる。


――ドクンッ!!!


情けないほど胸が跳ねた。


そのちっこいイケメンは、あの日の雨で俺が渡した白地に黒ボーダーのTシャツを着ていた。


「……ああ。万が一、水の事故に遭ったら怖いから……置いてきた」


「そっか。残念だけど、しょうがないね!」


どぎまぎしながら事情を説明する俺とは対照的に、白浜はいつもの調子だ。


サイズの合わない着丈の長いTシャツに、ハーフパンツ、サンダル。飾り気のない格好なのに……なぜか目が離せない。むしろ、その無防備さがやたらと刺さってくる。


「……その服、似合ってんな」


ついつい嬉しくてちょっと揶揄った物言いでそう話すと、白浜の目が泳ぎ何やら矢継ぎ早に言い訳を始めた。


「違うんだ!寝坊して時間なくて、待ち合わせに遅れるってなって、掴んだらこの服で!んで!」


「なーに焦ってんだよ!着てくれて嬉しいってこと!!」


俺が可笑しくて笑って白浜を見下ろすと、そいつは耳元を赤らめて唇を窄めた。


俺はポンッと頭に手を触れ、白浜の慣れないスキンシップを試みた。意外と抵抗しない白浜に、俺は真横から顔を覗くと、案の定真っ赤に染め上がった顔でフルフルと耐えている。


堪らず吹き出すと、白浜はようやく俺の手を払いのけ噛み付かんばかりの威勢を見せる。


「あんがとな!」


怒っている白浜の顔がコロッと変わり、不思議そうに俺を見上げる。


「着てくれて嬉しいよ。また見せてくれ」


俺が笑いながら左指でボーダーのTシャツを指すと、白浜は目線を外して「……おう」と小さく頷いた。


俺の隠れた意図なんて全く気付いてないんだろうなと、そんな真っ直ぐな白浜に俺はまた優しい目元を溢した。


 

スーパーの買い出しにあてがわれた時間は1時間半。俺と白浜はその大型スーパーを、弾む声で言葉を重ねながら見て回った。


水泳のこと、部員のこと、来月のインターハイのこと。会話は尽きない。


朝早くから二人して買い出ししている俺らは、側から見るともしかしたら若い夫婦に見られているかもしれない。


そう考えた矢先、俺の体はどこまでも熱を持った。


白浜は水を得た魚のように店内を物色しては次々と品物をカートに押し込んでいく。


俺がカートの側でトントンと腰の辺りを叩いていると、心配げな顔が俺を覗き込むモンだから、余計にその熱が引かずかなりの苦労を強いられた。



「スッゲー!買ったな!」


カートを車まで運び、アイスボックスに飲み物やらを移していると、白浜が上機嫌に笑う。


「白浜もたまに来るんか?」


「ううん。量多すぎて1人じゃ食べきれないから。それに足もないし」


そうなのだ。

近場とはいえ、それは車での移動を視野に入れてのこと。白浜のアパートからだと3キロほど距離がある。だからこそ車で迎えに行こうと思ったのだ。


だが白浜は運動を兼ねて走って来たと言う。どこまでもスポーツマンの白浜に感心した。


「俺さ、たまに実家に帰るから、良かったら車出すぞ」


大学3年以来、一度も実家に寄り付かなかったヤツが良く言うと、自分自身に突っ込む。だが白浜はその提案に至極嬉しそうな顔を見せた。


「マジ!?やった!」


だが喜ぶだけで、文明の力を聞こうとはしなかった。


明鳳高校は原則、教師と生徒は連絡先を交換してはいけない。インスタなどで生徒がフォローしても、教師はその逆はやってはいけない。いらん誤解と、余計な問題を起こさせないためだ。


だからだろうか。白浜が俺に聞いてこないのは。それとも、興味ない――?


そんな乙女みたいなことを考えていると、バックドアに荷物を詰め込見終わった白浜が、「カート返して来る!」そう言って軽やかに店舗入口まで戻って行った。


俺はその後ろ姿を目で追い、バックドアを閉める。


そのとき――。


「星野先輩?」


後ろ手で声が掛かった――。

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