第2話 闘技場の熱狂
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2. 闘技場の熱狂
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案内された先は、王都を象徴する巨大な闘技場の中央、貴賓席の真下にある特設の台座だった。
ピリウスが施錠を外すと、重い金属の扉が、きぃ、と嫌な音を立てて開いた。
一歩足を踏み出すと、ユスティナの全身を、巨大な津波のような猛烈な熱気と歓声が襲った。太陽の光が、血と汗の染み込んだ砂を撒いた闘技場に降り注ぎ、観客席の何万人もの熱狂と、酒と汗と血の臭いが混じり合った生々しい空気が、肺を満たす。
私は目を見開き、眼前を見据えた。
闘技場の中心に立つ私を、観客席のすべての人間が、肉を貪るように、食い入るように見つめている。それは、一国の姫を見る目ではない。これから始まる残酷なショーの、最も価値のある美しい獲物を見る目だ。
ユスティナは、奥歯が軋むほど唇を噛みしめ、折れぬ誇りをもって背筋を伸ばし、あえて彼らの視線を受け止めた。憎悪の炎を込めて、彼らを睨み返した。
(この醜悪で、野蛮な熱狂が、我が父を殺し、我が国を滅亡させたのだ)
私は胸の奥で誓った。もし私が誰かの所有物となるのなら、その男を心底憎み、その男の人生を徹底的に、静かに破滅させてやると。
しばらくして、トランペットのけたたましい音が、鼓膜を揺らす。
王アウグストゥスが、高所にある玉座から立ち上がり、右手を高く掲げた。
「諸君! 今年の闘技大会をここに開会する!」
地面が揺れるような地鳴りの歓声が再び湧き起こる。
「栄光ある我がアウグストゥス王国に集った勇猛な戦士たちよ! 命を賭して戦い、最強の栄誉を掴み取れ! 勝利者には『勇者』の称号、そして――」
王の視線が、獲物を確認するように、ユスティナの立つ台座に向けられた。
「アルヴィオンの至宝! 最後の姫、ユスティナが、己の妻となる権利が与えられる!」
ユスティナは、全身の血が一瞬で凍り付くのを感じた。
玉座から放たれた王の言葉が、何万人もの群衆の口から下品な反響となって繰り返され、闘技場にこだまする。その熱狂の渦の中で、ユスティナは自分が裸に剥き出しにされたような、言いようのない屈辱に苛まれた。
そのとき、ふと、視界の隅に、他の剣士とは明らかに異なる一人の男の姿が映った。
彼は、最前列に並ぶ、ピカピカの鎧を纏った騎士たちの中にはいなかった。闘技場の一番隅、日陰の入り口付近で、泥にまみれたぼろぼろの革鎧を身につけ、錆びついたような異様に大きな大剣を杖のように突いて立っている。
彼の顔は、闘技場の熱狂とは無縁のように、硬質な無表情で、凍り付いた湖面のように静かだった。周りの剣士たちが熱狂のあまり剣を掲げたり、歓声を上げたりする中で、彼だけがただ、まっすぐに、寸分たがわずユスティナを見つめていた。
その瞳は黒く、深く、まるで夜の闇そのもの。他の男たちが発するような下品な欲望の色は、微塵も感じられない。ただ、純粋な、しかし異常なほどの熱量を宿していた。
まるで、「君を手に入れるためなら、この世界中の血を流すことも、この身の魂を差し出すことも厭わない」と、無言の誓約を立てているかのように。
彼は、名もなき奴隷上がりの剣士、カシウス。
ユスティナはそのとき、予感にも似た戦慄とともに、彼の姿を記憶に刻み込んだ。彼こそが、この醜悪な大会の優勝者となり、私の未来を鉄の掌で握りしめることになる男であるとは、まだ知る由もなかった。
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