第二章 2:旅路と、不測の事態

 夢を見ていた。

 どんな夢だったのか、思い出せない。しかし、良い夢ではなかった気がする。

 何か大事なものが失われたような、喪失感。

 いや、何も失われていない。最初から、そんなものは存在していなかった。

 ただただ喪失感だけが居座り、苛々する――。

 硬いベッドの上で、ルナは眉をしかめながら目を覚ました。

 もう朝と呼ぶにはふさわしくない時刻。

 ルナはのそりと起き上がると、カーテンも開けずにその白い四肢を伸ばした。

 少しずつ脳に血流がいきわたっていく感じがする。まだ朦朧としていた意識に、ようやく形が宿る。

 不意にドアが開けられた。

「ようやく起きたか」

 パンや果物が入った布袋を両腕で胸に抱えたシュタインが、足でドアを蹴る。

「もうすぐ昼になっちまう」

 ルナ自身、朝が弱いという自覚はある。

「ヴァンパイアの血のせいよ」

「いつも、それだな」

 シュタインが果物をひとつ、ルナに投げて渡した。

 ルナはそれを受け取ると、手のひらでこすってからがぶりと齧り付いた。甘くジューシーな果汁が口いっぱいに広がる。

「ベルフェルの近くまで行ってくれる、乗合馬車が見つかったぞ。すぐに出発だ」

 シュタインが笑みを浮かべて告げる。

 鐘楼の街、ベルフェル。

 街の中心の小高い丘に、シンボルである大きな鐘楼がそびえ立つ。

 マリオール王国に属するが、海神マリセアを祀る教会のうちでも最も重要な教会のひとつ、ベルフェル聖堂がある。そのため、街は独立都市の体を成している。

 支度を済ませて、宿を引き払う。

 どうやら二人が最後の客のようだった。ルナとシュタインが乗り込むと、乗合馬車はすぐに出発した。

 二頭立ての、簡素な乗合馬車だった。二人の他に乗客は、五人。

 三人組の冒険者風の男たちと、町民の格好をした親子連れ。親子連れとはいえ、息子の方も二十歳を超えているだろう。

 黒いフードを目深に被って、ルナはぼんやりと小窓の外を眺めた。

 小石を踏むたびに、馬車がガタッと跳ねる。

 森の木々や、不意に現れる小川が、風のように後方に流れていった。

 心地よい風が、ルナの銀色の髪を優しく揺らす。

「そうですか。ベルフェルですか」と、町民の男性が満面の笑みで頷く。

「素晴らしい街ですよ、ええ。あの鐘楼は、一生に一度は必ず見るべきです。私も、友人が住んでおりましてな」

 一方的にしゃべり続ける男性の話に、シュタインが相槌を繰り返す。

 二人と親子の他に乗客は、厳つい三人組の男性たちだけだ。自然と、話相手は限られてくる。

 そんな会話をぼんやりと聞きながら、ふと巡らせたルナの視界に、不意に人影が入り込んだ。

 馬に乗った兵士が、馬車のすぐ側を駆けていく。

 横を通り過ぎるときに、兵士が馬車の中を覗き込む。瞬間的に、ルナと目が合った。

 嫌な予感がする。

 兵士はそのまま馬車を追い越して、駆け抜けて行った。

 しばらくして、馬車が突如、速度を落とし始めた。

 先頭から御者の呟きが聞こえてくる。

「…検問だ」

 馬車が完全に停止すると、行く手を十名ほどの兵士たちが塞いだ。

 兵士に呼ばれて、御者がおそるおそる馬車から降りる。

「本物、ですかね?」

 町民の男性が、腰を上げて先を覗く。

 兵士の格好をした、野盗の集団ということも考えられるからだ。

 三人組の冒険者風の男たちも腰を浮かした。こうした乗合馬車の場合、護衛を兼任できる乗客を優先することが多い。おそらくこの三人組はそのために選ばれたのだろう。

 兵士の一人が、馬車に近づいてくる。

 不躾にドアを開けて、馬車の中を覗き込んできた。

 冒険者の一人が剣の柄に手を掛けるのを、仲間の一人が制する。

 兵士は、乗客を一人ずつ品定めするように見る。その視線が、ルナとシュタインに向けられたときに、わずかに表情が変わった。

「そこの二人、降りろ」

 ルナとシュタインは目くばせをし合う。シュタインが小さく頷いた。

 言われるままに、二人は馬車から降りた。

 隊長だろうか、兵士たちのうちでも最も豪華な鎧を身に着けた中年の男が、二人の前に立つ。

「名前は?」

 問われて、シュタインが短く返す。

「おれはカイル。こっちは姪のエリー」

 偽名だ。

 男が手を伸ばして、ルナのフードを剥ぎ取った。

 銀色の髪が流れ、大きな目が男を睨む。

「二人組の、男女の冒険者を探している。悪いが、来てくれないか。お、っと――」

 二人を、兵士たちが取り囲んだ。

「抵抗は無駄だ。話を聞けば、返してやる」

 ルナとシュタインは無抵抗のまま、後ろ手に縛られて連行される。

 心配そうに見守る御者の前を通って、彼らの馬車に乗せられた。

 バタン、と木製のドアが激しく閉められた。

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BLOOD STORY 初、 @ui_ui_

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