第3話 斬り祓う家の子
火渡家・稽古場。
庭に面した土間。
巻き藁が何本も立ち並び、日差しの中に白い埃が光っている。
宗介は木刀を握りしめ、肩で息をしていた。
その前に立つのは姉──静乃。
白い稽古着を着崩すこともなく、微動だにしない立ち姿。
風が吹けば刀のように揺れる黒髪が、妙に凶暴な風景を作り出す。
静乃は木刀を軽く握り直し、巻き藁へ静かに視線を落とした。
声の温度は相変わらず淡いのに、空気が少しだけ張りつめる。
「……祓い方は、ひとつじゃない。
呪術にも系統があって、使う理も違う。
縛る術もあれば、封じる術もある。
式神を主軸にする家系も、結界で戦う型もある」
宗介は黙って聞いていたが、
静乃は彼が理解しているかどうかは気にせず、ただ続けた。
「対話して鎮める流派もある。
相手の意思を読み取って和解する、そういう術式も珍しくない」
そこで静乃は視線を宗介に向ける。
その目には“静かな事実”だけがある。
「けれど──話が通じない存在もいる」
宗介の喉が、ごくりと鳴った。
静乃は木刀を軽く前に出し、言葉を区切った。
「理解も、意志も、言葉も持たず。
ただ害だけを振りまく怪異。
……そういう相手は、術を組む間もなく襲ってくる」
短い沈黙。
「火渡家は、そういう相手に対応するための家系」
宗介が息を呑むと、静乃は微かに頷いた。
「術よりも速く、
式よりも強く、
言葉より確実に──
一太刀で届くもの」
静乃は木刀を握り直し、淡々と告げた。
「火渡家の霊力は、流すものじゃない。
一点に集め、瞬間に爆ぜさせる。
雷のように、鋭く短く」
宗介の肩が少し緊張する。
静乃は巻き藁に視線を向けた。
「宗介。逆胴。
宗介は木刀を握り直し、足裏で土間をぐっと噛んだ。
呼吸をひとつ整え、重心を落とす。
静乃はわずかに目を細め、静かな声で添える。
「“話の通じないものを斬り祓う”のが──火渡家の役目」
その一言で、宗介の背筋がうっすら震えた。
胸の奥に、熱が走る。
「……い、いくぞっ!」
宗介の足が地を蹴った。
踏み込みは短い。
だが、ただ前に出るだけじゃない。
一歩目に霊力を鋭く込め、地面が小さく沈むような圧が走る。
木刀が低く構えられ、
宗介の体が巻き藁の横へ滑り込む──
スッ
風切り音が一瞬だけ遅れてついてくる。
宗介はすでに巻き藁の横を抜けていた。
斬撃は、踏み込んだ勢いをそのまま“横一文字の逆胴”に変換した一撃。
打ち込むというより、
触れた瞬間に霊力が爆ぜる。
――バンッ!!
爆発したような乾いた衝撃。
巻き藁の胴が横一文字に割れるように弾け、
中のワラがふわりと浮く。
宗介は斬撃の勢いを殺さず、
すべるように巻き藁の横を通過して止まった。
肩が上下し、木刀を握る手が微かに震えている。
静乃は、まばたきもしない。
「……そう。いまの踏み込みは悪くない。
“爆ぜる霊力”で終わらせる技」
宗介は振り返り、自分の打った巻き藁を見て息を呑んだ。
胴の部分が、横方向に強く抉られたように歪んでいる。
自分の体重で叩いただけでは、絶対にこうはならない。
火渡家の瞬発力が、確かにそこに刻まれていた。
「威力は十分。
次は
……こちらのほうが難しい」
宗介は顔をしかめる。
「双龍か……っしゃ、やってみる!」
宗介は木刀を握り直し、
二撃を同時に落とすイメージを頭の中で描く。
右を斬り、左を斬る──ほぼ同時。
──言うだけなら簡単だ。
宗介は息を吐き、巻き藁へ踏み込む。
「はっ──!」
霊力が木刀に乗る。
最初の一撃、右の斬り下ろしは鋭く、
巻き藁の表面がバチンとへこむ。
……だが。
二撃目の左を振り下ろそうとした瞬間、
体の軸が一瞬だけズレた。
足が土間を噛むタイミングが遅れ、
霊力がさっきとは違う場所に集まって──
バン、……バン!!
爆音は完全に二つに割れた。
宗介は振り抜いた姿勢のまま、苦い顔をした。
「うああーー!!
同時になんねぇ!!」
右の一撃は確かに重い。
だが、次の左に前の爆ぜが残る。
火渡家の霊力は瞬発型。
一発爆ぜさせた直後、
すぐに同威力の二発目を別方向に重ねるなんて、普通は無理だ。
だが双龍は、それをやれという技。
宗介は頭を抱えて叫んだ。
「なぁ姉ちゃん!見本見せてよ!
どうやったら速く揃うんだよ!!」
悔しさより先に、
あれ本当に人間ができんのか?という疑念が顔に書いてある。
そして静乃は、宗介の必死な声に反応するでもなく──
静かに木刀を構えた。
「……見ていなさい。宗介」
淡々とした声。
次の瞬間、稽古場の空気が静かに沈む。
重心がぶれない。呼吸がぶれない。
ただ立っているだけなのに、稽古場の空気が変わる。
踏み込みは一歩。
斬撃は左右。
ドゥン!!
音が……一つだった。
次の瞬間、巻き藁の上半分が、
“上に”吹き飛んだ。
宗介は硬直した。
「……え、ちょ、木刀で切れるの!?
てか見えねぇし!!」
静乃は木刀を下げ、淡々と告げる。
「宗介。才能はある。
だけど、双龍は速さよりも動きを合わせる事が重要よ」
宗介は悔しくて、でも嬉しくて、木刀を強く握り直す。
「……よし、もう一回!!」
火渡家の土間に、また乾いた音が響く。
──夕方
稽古場の空気はまだ熱を残していた。
巻き藁の切り口からワラがぽろぽろ落ち、夕日の光がそれを照らす。
宗介は額の汗を袖で拭いながら、土間の縁に腰を下ろした。
「……っはぁ……っ……しんど……」
喉が焼けるように乾いている。
水筒を開けて、冷たい水をごくごくと飲み下した。
火渡家の稽古は、霊力を込める分だけ普通の剣術より体力を奪う。
胸の奥がまだじんじんしている。
水を飲みながら、宗介は置いていたスマホを手に取った。
画面は汗で少し曇っている。
親指で拭って、なんとなくSNSでも見ようとした──
ピコン。
短く、軽い通知音。
画面上部に表示された名前を見て、宗介は瞬きをした。
[てん → 宗介]
あしたひま?
さんぽしよ
山のほういきたい
「……は?」
字面だけ見ると、意味が分からない。
いや分かるんだけど分からない。
なんだよ山って。
宗介は眉を寄せながらも、口元がゆるんだ。
「……相変わらずだな、てん」
疲れで重い体なのに、胸のあたりが少しだけ軽くなる。
返信しようとして、親指が一瞬止まった。
(……まぁ、明日は稽古ないし……
てんが行きたいなら……別にいいけど)
宗介は、小さく息をついて画面を開いた。
夕日の色が土間に差し込む中、
稽古の余韻と、てんからの突然の誘いが静かに混ざっていく。
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