第2話  解けるもの、解けないもの

御影家の一室。

障子から差し込む昼の光が畳にやわらかく広がり、

静かな空気が満ちている。


その中央で、朔夜は正座をしていた。

背筋は真っ直ぐ、指先まで無駄なく静か。


その前で、てんは胡座をかきながら霊符をいじっている。


朔夜は淡々と、しかし丁寧に説明を続けた。


「──まず前提として。

 術を扱うには“霊力”が必要だ」


てんはもう首をかしげている。


朔夜は微笑むでもなく、淡々と続けた。


「霊力は才能によるところが大きい。

 御影家は名門ゆえに、

 ほとんどの子が生まれつき霊力を持つ」


てんは「うん……」と曖昧な相づち。


「術とは“構造”だ。

 印、媒体、空間、配置……

 条件が揃えば、素人でも発動してしまう」


朔夜は霊符を軽く持ち上げる。


「たとえば──こっくりさん、一人かくれんぼ。

 あれは構造が揃ってしまうから、成功してしまうんだ」


てんは目をぱちぱちさせる。


「……へぇ〜……」


朔夜の声は変わらない。

説明は、てんが理解できているかどうかとは無関係に静かに進む。


「呪術とは、その構造を正しく扱い、

 制御し、出力を高める技術だ。

 そのために霊力が存在する」


てんは霊符をくるくる回しながら言う。


「……なんか、むずかしい……」


朔夜は頷いた。


「難しい。

 てんは“解除”ができるからこそ、

 なおさら基礎を理解しなければいけない」


その言い方は叱責でも苛立ちでもなく、

ただ真剣な兄の声だった。


てんは、霊符を胸に抱えてさらに眉を寄せる。


「……でも、朔夜兄ちゃんのやつはもっとむずかしい……」


朔夜は左手を上げ、指を二本立てる。

その手は静かで、無駄が一切ない。


「これは“式”と“媒体”の省略動作だ」


てんが目をまん丸にする。


朔夜は二本指のまま、静かに言った。


「──『霊鎖・拘束』」


畳の上に淡い鎖が浮かび上がり、するすると伸びて──

てんの足に軽く絡みつく。


てん「え、ちょ、ま、まって朔夜兄ちゃん!?!?」


朔夜は微動だにせず、短く命じた。


「──『縛』」


絡みついた鎖がぴたりと締まり、てんが「ひゃっ」と変な声を出す。


「──『解』」


次の瞬間、鎖は煙のようにふっと消えた。


てんは足をばたつかせて確認しながら、ぽかんと口を開ける。


朔夜は淡々と説明を続ける。


「本来の術式はもっと長い。

 印も、媒体も、真言も複雑だ。

 だが俺は構造をすべて理解している。

 だから省略できる」


てんは霊符を抱えたまま、ゆっくり朔夜を見上げる。


「…………むずかしーーーー……」


朔夜はそこで、ほんの少し表情を緩めた。


「焦らなくていい。

 てんにはてんの得意分野がある」


てんの眉間のしわが、少しだけほどけた。



***



朔夜は淡々と霊符を片づけながら、てんに言った。


「……今日はここまでだ。

 また、時間のあるときに復習するぞ」


てんは畳にへたりこんで、ぐったり。


「……うぅ……あたまがしぬ……」


朔夜はその様子に肩をすくめ、しかし声は静かなまま。


「次は──お前の得意な“解除術”をやる。

 準備しておけ」


それだけ言うと、朔夜は立ち上がり、

襖をスッと開けて部屋を出ていった。


部屋には、昼の光と、静けさだけが残る。


しばらく、てんはそのまま動かない。

畳に大の字で倒れて、天井を見つめている。


「……むずかしすぎる……

 朔夜兄ちゃんの脳、どうなってんの……」


転がるように仰向けになり、

次の瞬間、がばっと起き上がった。


「……宗介くん呼ぼ」


思考に脈絡はない。

でも、それがてんだ。


ポケットからスマホを取り出し、

思ったままに文字を打ち込む。


[てん → 宗介]

 宗介くん

 あしたひま?

 さんぽしよ

 山のほういきたい


送信。


てんはじっと画面を見つめ──

満足したようにコテンと横になった。


「……よし。

 これはこれで、大事」


山に行きたい理由も、目的もない。

ただ行きたいから送った


部屋の中では、

昼の光だけが静かに揺れていた。

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