第12話 さようなら、海賊

 何メートル潜っただろうか。海面は遠く、だんだんと光が届かなくなる深さに達し、周囲は薄暗く見通しが悪くなっていった。


「どこまで潜るんだ? あのイカ」

「ルミね、いかやきたべたいぞ!」

「あー、いいな。縁日とかで食うと最高だよな」

「おそらく、クラーケンの巣へ向かっているな!」

「それ、逃げられなくなるんじゃね」


 クラーケンの触腕はいまだ離す気配がなく、軽バンはずるずると引きずられ、海の底に溜まっていた泥を巻き上げていた。


 やがて岩を積み重ねただけの、クラーケンの住処が見えてくる。

そこには、二十メートルほどのそれとは違い、十分の一サイズの子どもらしきものが、ふよふよと漂っていた。


「子どもでも、わりとでかいんだな」

「クラーケンは海の魔物の中では、中くらいのサイズだがな!」

「へー。おまえ、あんなのに絡まれてよく生きてたな」

「はっはっは! 齧りついてやったら驚いて離したのさ!」

「ワイルドすぎ」

「あれでクラーケンは臆病な魔物なのだ!」

「なるほどねぇ」

「パパ、いかさんがいっぱいだぞ!」

「囲まれたか」


 クラーケンは巣の近くへ軽バンを放り、それを餌だと思った幼体が周囲を取り囲む。

いくつもの腕や触腕が伸びるが、軽バンに触れることさえできていない。


 しばらくするとしびれを切らしたのか、成体は手近な岩を持ち上げて、軽バンの破壊を試みた。


「さて、もういいだろ」


 孝太はハンドルのクラクションに手を当て、力の限り押しつけた。

プアーッ、と海水を伝って乾いた音が鳴り響き、クラーケンは子どもを守るように正面へ移動する。


 孝太は正面に立ち塞がったそれに、ライトを点けて更なる追い打ちをかけた。


「ーーーー!?」


 さしものクラーケンも眩さに耐えかねて、軽バンを掴んで遠くへ引き離そうとする。


「チャンスだな!!」


 バリマスはナイフを取り出して、窓をあけて外へ飛び出した。そして、クラーケンの眉間へ張りつき、何度もナイフを突き立てる。


「異世界人ってすげえな」

「パパ、あれできる?」

「秒で死ぬわ」


 そんなクラーケンVS異世界人の戦いを眺めながら、孝太とルミは呑気に談笑した。


「ーーーーっ……」


 クラーケンは声にならない声をあげ、体の色が真っ白に染まっていく。それはまるで、釣り上げられたイカが活け締めされたかのようだった。


「なんか美味そうにみえてきたな」

「いっかやき♪ いっかやき♪」


 クラーケンは力なく海面を目指して浮かび始め、バリマスもそれに捕まって浮き上がっていく。


 遠くなっていくバリマスとクラーケンを目で追いながら、孝太は取り残されていることに気がつき、あわててクラクションを鳴らした。


「あの野郎! 自分だけ船に戻るつもりだ!」

「ずるいぞ! ルミもたべたいぞ!」


 二人が軽バンの中から、ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てるが、すでに声の届く距離を超えてしまい、ただ虚しく海中に吸い込まれていくばかり。


「……まあ、しゃあない。ルミ、行くぞ」

「パパ、どうするんだぞ?」

「海底をドライブするっきゃねえだろ」

「おお! てんさいてき!」

「シートベルトは締めたな? よし、発進する」

「しゅっぱーつ!」


 軽バンは海底を走りだし、それに合わせてクラーケンの幼体たちがついてくる。

孝太は、親をやられた恨みでも晴らしたいのか、と警戒していたが、幼体たちは遊んでいるかのような雰囲気で、敵意を感じられなかった。


「パパ、おふねがしずんでるぞ!」

「クラーケンにやられたやつか」

「パパ、あれなに?」

「……タコだな」

「おおきいぞ!」

「クラーケンってたしか、イカ説とタコ説あったよな……」


 軽バンの後ろへ、クラーケンの幼体たちは回りこみ、巨大なタコに見つからないよう、重なりあって忍んでいた。


「パパ、どっちがほんものなの? イカさん? タコさん?」

「たぶんな、どっちも本物なんだよ」

「そうなんだー!」

「ああ。この海域では二種類のクラーケンが争ってたんだよ。イカとタコが」

「ほうほう。ルミ、ぜんぜんわからないぞ!」

「つまりな、お隣さん同士が喧嘩をしていたんだ。だから、停船していた商業船が襲われなかったんだ。あれはテリトリーの境目に止まってたんだよ」

「んー?」

「とりあえず、気づかれないように逃げるとしよう」

「まわれーみぎっ!」


 軽バンは進行方向を変え、イカクラーケンの住処だった場所へ戻ろうとUターンした。

その拍子に一体の幼体が車体から離れ、潮の流れに乗ってタコクラーケンの方へ流されてゆく。


「ーーーー!!」


 タコクラーケンは幼体に気づき、沈没船に張りついていた体をしならせ、容赦なく足を広げて襲いかかった。


「ルミのいかさん、たべられちゃうぞ!」

「所詮この世は弱肉強食だ」

「いかりーん! がんばえー!」

「名前つけてたのかよ……」


 ルミの応援むなしく、いかりんと名付けられた幼体はタコクラーケンの口に吸い込まれ、それの視線は流れるように軽バンヘ向けられた。


「気づかれたな」

「パパ、やっつけるぞ! いかりんのかたき!」

「無茶言うな。走れない場所にでも閉じ込められたら、死ぬまで海の牢獄だぞ」

「ぐぬぬ……ゆるして……いかりん……」


 兄弟を食われた怒りか、幼体たちは一斉に墨を吐き、タコクラーケンの視界を奪おうとした。

だが、それは同時に孝太の視界も奪ってしまい、前が見えなくなった軽バンは速度を保ったまま、岩に乗り上げ跳ね上がった。


「うわっ。きもちわるっ」


 唐突な浮遊感に胸やけがし、孝太はげんなりしながら後ろを振り返る。

タコは足を縮め、伸びあがるように進路を変え、泳ぐ速度を上げた。


「完全にキレてやがるな」

「パパ、あれ!」

「バリマスじゃん。こっちに向かってるな」

「ーーーー!」


 潜水していたバリマスは、孝太たちに気がつくと、ロープを括った碇をハンマー投げのように回転して投げ放つ。

それは軽バンを見事に絡めとり、車体を海面へ引き上げ始めた。


「助かりそうな感じだな」

「でも、タコさんそこにいるよ?」

「……え? ほんとだ」


 ひと足遅れで軽バンに取りついたタコクラーケンは、意地でも離すまいと体を密着させ、まるで釣られるように引っ張られてゆく。


「タコ釣りってこんな感じなんだろうな」

「たっこやき♪ たっこやき♪」

「あー、なんか俺も腹減っちゃったなぁ」


 そして、ついに軽バンは浮上し、大きな波を立ててタコクラーケンもその姿を海上に現した。


「で、デビルクラーケンだーっ!」

「ありったけのモリを投げろーっ!」


 海賊たちはその姿を見るや否や、船上からありったけのモリや槍を投げ始める。

 頭や足にモリがどんどん刺さっても、タコクラーケンは離れる様子がない。


「いかさん……ぜんぶたべられちゃった……」


 それは、軽バンの後ろに隠れていた幼体たちを食べることに夢中だったようだ。


「これも摂理ってやつだ」

「ルミ、ぺっとほしかったぞ……」

「……悪いことは言わねえ。イカはやめとけ」


 そして、孝太が落ち込んでいるルミを励ましていると、タコクラーケンもとい、デビルクラーケンの急所にモリが突き刺さった。


「ーーーーっ……」


 デビルクラーケンはついに力付き、イカクラーケンの横へ並ぶように横たわる。


「はっはっは! 無事だったようだな!」

「おかげさまでな」


 船上に引き上げられた軽バンから降りると、バリマスが仁王立ちで出迎えた。


「お前たちのおかげでクラーケンを退治できたな!」

「俺たちは何もしてねえけどな」

「はっはっは! きっかけという意味では、充分な役割だったぞ!」


 そんなもんかねぇ、と孝太は巨大なイカとタコを眺めた。


「お頭ー! 火の用意ができましたぜー!」

「おおっ! ようし、宴だー!」

「結局、あいつらは食われる側だったってことか」


 海賊たちがイカとタコの頭や足を切り取っている様子を見ながら、孝太はひとつため息を吐いた。


 それから、焼けたイカとタコを肴に、浴びるように海賊たちは酒を酌み交わす。


「パパ、おいしいね!」

「だな。ちょっとわけてもらって、今度たこ焼きでもするか」

「うんっ!」


 夜が明けるころ、孝太とルミは海賊船を降りた。

見送りにきたバリマスは、切り取ったクラーケンの一部を手渡し、深々と頭を下げた。


「改めて礼をいう。ありがとう!」

「気にすんな。材料もわけてもらったしな」

「クラーケンに怯えることは暫くないだろう。ところで、これからどこへ行くんだ?」

「んー、大陸の反対側でも目指してみるよ」

「そうか! ならば、これを持っていけ!」


 バリマスは革製の手帳を孝太へ手渡した。

孝太がそれを開いてみると、鳥と二本の剣が交差した家紋が彫られた金の板が貼りつけられていた。


「なんだこれ?」

「通行証みたいなものだ! これでこの大陸ならどこへでも行けるぞ! はっはっは!」

「そっか。ありがたく貰っとくわ。じゃあ、俺たちはこれで」

「おじちゃん! またねーっ!」

「おう! また会おう!!」


 走り去ってゆく軽バンへ、バリマスは大きく手を振った。


「若様、まだ海賊ごっこを続けられますか?」


 バリマスの背後に歩み寄ったルードは、半ば呆れたように問いかけた。

くるりと振り返り、バリマスは眉を中央へ寄せる。


「その呼び方はやめろ。ルード」

「失礼しやした。お頭」

「我が海域が平和になるまで、俺たちは海賊を続ける」

「仕方ありやせんね。お付き合いしましょ」

「はっはっは! ならば行くぞ!!」


 バリマスとルードは海賊船へ戻ってゆく。海域を脅かす魔物は消え、これで賊と戦いやすくなった。


「いざ海原へ! ヨーソロー!」


 風をつかんだ船は、徐々に速度をあげ陸地から遠ざかり、ふと遠くを見つめると、豆粒のように小さくなった軽バンがバリマスの目に映る。


「……神よ。彼らに良い旅を」


 ーーいつの日か、また酒を飲もう。その時は互いに役目を終えたあとで、朝まで。


 バリマスは視線を戻し、大海を見据える。

まるで、世界の先を見通すように。

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