第36話 8-4: 破滅への使者
ジュリアスの、狂乱した叫びが、傾いた王宮の、大広間に木霊した。
そこは、数日前まで、彼がセラの『光の祝祭』の計画を、傲慢に語っていた場所だった。
だが今、その大広間は、難民キャンプと、野戦病院の、中間のような、惨状を呈していた。
西棟の崩落から、かろうじて逃れた大臣や貴族たち。
泥水にまみれ、高価な絹の服を台無しにされた、彼らの妻や娘たち。
そして、王宮の、崩れなかった東棟へと、必死の思いで逃げ込んできた、上級国民たち。
彼ら全員が、王太子の、その『叫び』を聞いた。
「り、リーナ様を、連れ戻す?」
「あの『偽聖女』を、ですか?」
「今更、何を」
生き残った貴族たちが、恐怖と、それ以上の、王太子への、隠しきれない『軽蔑』を込めて、囁き合う。
彼らもまた、ジュリアスと共に、リーナを『無能』と嘲笑い、断罪した『共犯者』だった。
だが、今、王都が、文字通り、足元から、崩壊している。
洪水。土砂崩れ。根腐れによる、確実な、未来の『飢饉』。そして、下町から這い上がってくる、『灰色の病』の、恐怖。
彼らの、傲慢な頭脳も、ようやく、ジュリアスと同じ『結論』に、たどり着き始めていた。
(あの女が、いなくなった、せいだ)
(あの『地味な力』こそが、我々の『当たり前』の、すべてを、支えていた)
その、認めたくない『事実』が、彼らの間に、重い、重い、絶望として、広がっていく。
「そうだ!」
ジュリアスは、彼らの、その『気づき』を、敏感に察知した。
彼は、自分一人が、愚かだったわけではないと、必死に、仲間を、求めていた。
「今なら、まだ、間に合う!」
ジュリアスは、床から、よろめきながら、立ち上がった。その瞳には、狂気的な、希望の光が、宿っていた。
「あの女は、まだ、辺境にいるはずだ! あの女の、兄は、どこだ! アラン・バークレイは!」
彼は、泥水の中で、生存者を、かき分けるようにして、叫んだ。
「アランを、呼べ! あの女を、王都から、叩き出したのは、あいつだ! あいつの『証言』が、あったからだ!」
「ならば、あいつが、責任を持って、あの女を、連れ戻すべきであろう!」
それは、あまりにも、身勝手で、無茶苦茶な、論理のすり替えだった。
だが、今の、この、崩壊した王都において、それに、正面から、反論できる者は、いなかった。
「も、申し上げます!」
そこへ、一人の、ずぶ濡れになった騎士が、再び、駆け込んできた。
「アラン・バークレイ伯爵が、先ほど、王宮の、東門に、到着いたしました!」
「おお!」
ジュリアスは、まるで、救世主が、現れたかのように、顔を輝かせた。
「呼べ! 今すぐ、ここへ、連れてこい!」
アラン・バークレイは、王都の、この惨状を、まだ、知らなかった。
彼は、あの日、妹リーナを殴りつけ、追放に加担した『功績』により、王太子ジュリアスから、莫大な報奨金と、新たな領地(それは、皮肉にも、リーナの『浄化』の恩恵を、最も受けていた、豊かな穀倉地帯だった)を、下賜される約束になっていた。
昨日、王宮から届いた『召集』の知らせを、彼は、その『報奨金』の、授与式だと、信じ込んでいた。
降り続く、鬱陶しい雨の中。
彼の、豪奢な、四頭立ての馬車は、貴族街の、冠水した道路を、無理やり、進んできた。
(フン、忌々しい雨だ。だが、この雨も、俺の、輝かしい未来の、前祝いに過ぎん)
彼は、馬車の中で、新しい領地の、経営計画に、胸を躍らせていた。
(あの『偽聖女』が、いなくなって、せいせいした。これからは、バークレイ家も、俺の手で、安泰よ)
(父上が、あの『地味な力』に、固執したせいで、我が家は、どれだけ、王太子殿下の、機嫌を損ねていたことか)
(俺の、この『英断』こそが、家を、救ったのだ)
だが、王宮の、東門に、たどり着いた時、彼の、その、傲慢な夢想は、打ち砕かれた。
「なんだ、これは」
馬車から、降り立った、アランの、磨き上げられたブーツが、足首まで、冷たい、茶色い『泥水』に、浸かった。
王宮が、傾いでいる。
西棟が、存在しない。
王宮前広場は、瓦礫と、濁流と、そして、無数の『死体』が浮かぶ、地獄の、沼と化していた。
「な、何が、あった」
彼の、血の気が、引いた。
「アラン様! こちらへ!」
騎士たちが、彼を、強引に、掴み、崩落を免れた、東棟の、大広間へと、引きずり込んだ。
そこには、彼が、想像していた、華やかな、授与式の、光景はなかった。
あるのは、高級な絨毯を、泥水で汚しながら、床に、へたり込み、絶望に、打ちひしがれている、王都の、支配者たちの、無様な、残骸だった。
そして、その、中心。
玉座(もどき)ではなく、床に、直接、座り込み、その髪を、泥水で、ぐっしょりと濡らした、ジュリアスが、まるで、亡霊でも、見つけたかのように、アランを、指差した。
「来たか、アラン」
その声は、アランが、知っている、王太子の、傲慢な、声ではなかった。
何かに、怯え、何かに、すがる、か細い、少年の、声だった。
「あ、アラン! 貴様の、せいだ!」
「は」
アランは、その、第一声の、意味が、理解できなかった。
「で、殿下? わ、私の、せいとは、一体」
「すべてだ!」
ジュリアスが、叫んだ。
「洪水も! 疫病も! 畑の、根腐れも! すべて、すべて、あの『偽聖女』を、追放した、せいだ!」
「なっ」
アランは、絶句した。
(洪水? 疫病? 根腐れ?)
(根腐れ?)
彼の脳裏に、今朝、自分の、新しい領地の、管理人から、届いた、半狂乱の、魔術通信が、蘇った。
『だ、旦那様! 大変です! 畑が、畑の、小麦が、一斉に、腐って! 水が、引かず、このままでは、領民が、全員、飢え死に、いたします!』
あの時は「たかが雨で、大袈裟な」と、握り潰した、報告。
(まさか)
(あの、報告は、真実?)
(俺の、領地も、終わった、と、いうのか?)
「貴様が!」
ジュリアスが、アランの、胸倉を、掴んだ。
「貴様が、あの女を『無能』だと、証言した!」
「貴様が、あの女の、過去の罪を、暴き、断罪した!」
「貴様が、あの女を、殴りつけた!」
「わ、わたくしは! わたくしは、殿下の、御意に、沿ったまでで!」
アランは、必死に、弁解しようとした。
「うるさい!」
ジュリアスは、アランを、突き飛ばした。
アランは、床に倒れた、セラと、同じように、泥水の中に、無様に、尻餅をついた。
「貴様が、始めた、ことだ」
ジュリアスは、狂気に、笑った。
「ならば、貴様が、終わらせろ」
「え?」
「貴様が、行くのだ、アラン・バークレイ」
ジュリアスは、王太子として、最後の、命令を下した。
「貴様が、あの女を、殴りつけた、その手で」
「今度は、その、泥水に、額を、擦り付け」
「あの女に『許し』を、乞い」
「この、王都へ、連れ戻して、くるのだ」
「!」
アランの、思考が、完全に、停止した。
(俺が?)
(あの、俺が、捨てた、妹に?)
(辺境まで、行って?)
(『許し』を、乞う?)
(あの、叔父(アレクシス)が、支配する、あの『魔窟』へ、たった、一人で?)
それは、アランにとって、死刑宣告よりも、遥かに、屈辱的な、命令だった。
「も、もちろんだ!」
ジュリアスは、続けた。
「王太子としての、全権限を、お前に、与える! 王家の、最速の、船も、最強の、騎士団も、すべて、くれてやる!」
「だから、行け!」
「行って、あの女を、連れ戻せ!」
「あの女の『地味な力』さえ、戻れば! この王都は、救われる!」
「行けえええええええっ!」
ジュリアスが、叫ぶ。
貴族たちが、叫ぶ。
「そうだ! 連れ戻せ!」
「アラン伯爵! お前の、責任だ!」
「お前の、せいで、我々の、領地も!」
昨日まで、アランを『王太子の、お気に入り』と、羨望の目で、見ていた、貴族たちが、今や、彼を『すべての、元凶』として、憎悪の目で、睨みつけていた。
(ああ)
アランは、泥水の中で、震えながら、すべてを、理解した。
(終わった)
(俺の、人生は、終わった)
王太子に、取り入って、得たはずの、富も、名誉も、領地も、すべて、この『泥水』に、流された。
そして、残ったのは。
あの『最強の武人』アレクシスが、今や、間違いなく『辺境の宝』として、溺愛しているであろう、あの『偽聖女(リーナ)』を。
かつて、自分が、殴りつけた、あの『妹』を。
『奪還』してこいという、あまりにも、絶望的で、不可能な、任務だけ。
アラン・バークレイは、こうして、自らの、愚かな『人災』の、後始末をさせられるため。
王都の、すべての人間の、憎悪と、身勝手な『期待』を、その、たった一人の、背中に、背負わされ。
王都から、辺境へと、向かう、最初で、最後の『使者』として、選ばれたのだった。
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