03

       

 本殿の主座室の続き間は、窓のない大きな集会室になっている。

 磨き抜いた板敷きの床に石の絨毯が敷かれ、楕円形の分厚い硬化木材の天板を使ったテーブル、その周囲には優美な曲線を描く背もたれのある椅子が並べられていて、現在、その半数ほどが埋まっている。

 もっとも奥の席に、神官長ナルーシャ。いつも通り、長い黒髪にヴェールをかぶり、額に飾り帯、足首まである厚地の神官服を着ている。

 同じ衣装を身につけた、女神官6名も勢揃いし、発言を続けている。

「――境界、と470005術式に劣化あり、補修済み」

「――結界の展開術式に異常はありません」

 装飾をこらした調度品。魔術光体のやわらかな光暈こううんが磨き抜いた石の壁面に反射し、広い室内を静謐せいひつなオレンジに染め上げている。

 合議に参加している神職の司アレッサと数名の神職は、みな羽織袴や巫女衣装なので、それだけで役職の違いはひと目でわかった。神官職にある女性たちは、全員がナルーシャの主宰する魔術団に所属する、国家資格の魔術師たちである。

 現在、この地、真白神域の境界地である神霊地は、〈羽根つき帽子〉団の管理下にある。強力無比な魔力の湧出地を与えられる対価が、〈神域結界〉を構成する、結界発動体及び術式の維持、管理なのだ。

 天井から、姿のない女性の声がふってきた。

『リジー・ミカ、帰還。本殿通路をこちらにきます』

「ありがとう、麗樹レイジュ。誘導して」とナルーシャ。

 レイジュと呼ばれているのは、本殿の魔導オルガンの自律奏者である。多くの術式伝達網を神経のように張り巡らせ、この古く重厚な殿舎を支配下に置いている。

 正面の重い鉄扉がきしむような音とともに自然に開いた。その向こう、暗い通廊の奥から、暗紅色の甲姿のリジー・ミカが姿を現した。

「神官長。神官、神職の方々。ただいま帰りました」

 リジーの入室と同時に、また勝手に扉が閉じる。

 上座の神職席から、神職の司アレッサがいつものおっとりとした口調で聞いた。

「リジー、寄り合いはどうだったの? 自警団は人手を出してくれるかしら」

「最低限の約束だけはとりつけました。……それでも、多少強引なやり方になってしまいましたが」

「まあ、そうなの? 進んで協力してくれればいいのにねえ」

「アレッサ司。先方は、神職からの直々の説明を希望しています。何も知らされないままでは、これ以上の協力は出来かねると」

 リジーの口上に、神職たちが顔を見合わせてざわついた。

「えらそうに。自警団ときたら何様のつもりなの? 真白神殿があればこそ、彼らの生活だって成り立ってるんでしょうに。黙って従っておけばいいんだわ」

「そうですとも。アレッサ、下の人間に折れてやる必要などありませんわ」

「噂の出所は、ウチの巫女だっていうんでしょう? いったいどのかしら」

「いまさら犯人捜しをしても始まらないわよ。まったく、いまどきの若い娘たちときたら、箝口令かんこうれいひとつ守れやしないんだから……」

「こんな騒ぎになるなんて、最初から下山禁止を徹底しておくべきでしたわ」

 ヒステリックで非難的な神殿女性たちの言動は毎度のこと。

 女性のみの聖地、奥の院は、外界から隔絶された結界地である。その安全性は折り紙付きで、人生の大半をここで大過なく過ごしてきた女性たちの話しぶりは、今も頻繁に外界と往き来するリジーの耳には、およそ緊張感のない井戸端会議めいて聞こえる。

「本国の意向もあることだしねえ……」

 ため息をついたアレッサが、神官席に顔を向けた。「ナルーシャ神官長、橄欖宮かんらんきゅうからの〈疾翔はやがけ〉は、まだ届いておりませんのでしょう?」

「今のところ、なにも」

「ということは、サリュウさまのお披露目はまだまだ先になるわねえ。……それなのに、降誕の布告も出せないうちに話が外部に漏れてしまうなんて……本当に困ったこと……」

 それを機に、さらりとナルーシャが場の進行に入った。

「リジー警護官、自警団から最低限、辻立ちの了承は得たということですね?」

「はい。そちらは確約がとれています」

「ありがとう、ご苦労様でした。――それでは神職の方々、表の宮への応援は、奥の院から送ることと致しましょう。こちらの使機獣を一部下ろして、警備の強化に充てます。しばらくの間、多少の不便が生じるかもしれませんが、ご容赦を。――シエ、選別に入って」

「了解しました」

 神官たちがテキパキと手元に現れた薄い光盤の操作を始める。

「〈万農〉は目的用途に合致しません。全個体を対象外とします……」

「主力は犬の使機獣で編成します。正門2体、見回りに3体、ローテーションを考えると、10体以上が必要かと……」

 シエが顔を上げた。

「神官長、戦闘調整されているシクロとランスはどうしますか?」

「島民や参拝客にケガをさせるわけにはいきません。その2体はここに残して」

「はい」

「あら、そういえば……」

 ふと思い出したふうに、アレッサが会話に割って入った。

「神官長、過日、神殿に奉納された犬機けんきの件もございますよ? 贈り主の身元も確かですし、試査も問題なしとのことであれば、奥の院に上げて頂ければ……」

 犬機とは、特定の魔術の発動体となっている犬の使機獣のことである。一般的な使機獣と区別して、犬機、蛇機じゃき鳥機ちょうき、などという呼び方がなされる。――いま、話題になっているのは、神殿の後援である地方名家から寄進されてきた、凍冷の術式を持つ犬機のことである。時節柄、どこにでも連れ歩ける冷却魔術持ちの犬機は、女性たちにとって喉から手が出るほど欲しいものではあるだろう。

「――承知しました。では、使機獣を下ろすのと入れ替えで、奥の院に上げましょう」

「それはありがたいわ! 暑さも続いておりますし」

 アレッサがわかりやすくはしゃいだ声を上げた。

 対応協議が一段落するのを待って、リジーはいまいちど声を上げた。

「神官長。もうひとつ、気になることがあったので報告しておきます」

 ナルーシャが半ばヴェールに覆われた顔を上げた。

「なんでしょう?」

「真白島の沖合いに、竜船が停泊しているとの報が入っています」

「……竜船?」

 竜船とは、運航の制御を航竜と呼ばれる大型海棲竜機で行う船である。たいがいは、デッキ、あるいは船尾に第二の艦橋のように竜機が鎮座するという特徴的な外観を備えている。今回、沖合いに現われた竜船は、平らな甲板に風を受ける2本の回転翼柱、その下に相当に大容量の貨物庫を備えていると思しき大型船だった。

「シグリーズ船籍の船ではありません。他国のものであるにしても、小領主程度には建造もできないであろう代物です。――外観からして、客船ではないと思われますが、近くの貿易港にそのような船の入港依頼は入っていないとのことです」

 合議の場が、一瞬沈黙に包まれた。

 それぞれが、神殿の外側の島、さらにその外側の海に浮かぶ竜船を想像したに違いないが、それを何かの脅威と受け取るのは困難だった。

「……大型船が……? 巫女たちが謹慎に入ってから、まだ1週間よ? 噂を聞きつけて、遠国からそんなものが来るなんてあり得ないわ」

「また、魔導教会の調査船ではないの? お忍びの。彼らなら船ぐらいいくらでももっているでしょうよ」

「そうね。関係ないわ。それで〈神域結界〉をどうこうできるわけじゃないんだし」

「それはそうだけど……」

 またざわざわと不規則に始まった神職たちの発言を、神官長ナルーシャが引き取った。

「わかりました。リジー、では今後も動向を知らせて頂戴」

「はい、神官長」


          

 

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