04

 主座室をあとにしたリジーがいくらも行かないうちに、アレッサが小走りに追ってきた。

「リジー、待って」

 足を止めたリジーに、ふくよかな年配の神職の司はふうふうと上がった息をつき、

「あなた、今日はこのあとも、サリュウさまのところへ顔を出すの?」と聞いた。

「そうお望みですので……」

「ごめんなさいね。外から来た、若いあなたにばっかり負担をかけることになってしまって」

 アレッサは本気で申し訳なさそうにいった。「サリュウさまのことはね、生活全般、お話し相手、すべて神職で引き受ける心積もりだったのよ。それがほら、最初にあなたを引き会わせたときから、ああいう感じでしょ。そうもいかなくなってしまって……」

「私は構いません」とリジー。「あの子が飽きるまで、つきあうだけの話です。……案外、すぐかもしれませんし」

「え、なぜそう思うの?」

「私は話がおもしろい方ではないので……」と、リジーは誰もが納得するだろうことをいった。

「まったく、あなたったら」

 と、アレッサはあきれ顔だ。「あの子はあなたを命の恩人だと慕っているのよ。そう簡単に飽きたり、誰か別な人で、ってわけにはいかないわ。だから、困ってるの」


          *


 リジーは宿殿の自室に戻った。ひどく疲れているのを自覚する。

 籐編みの低い椅子に着替えもせずどさりと腰を下ろし、目頭を指圧する。耳の奥に、まだ昼間の外界の喧噪が残っている。


 野太い男たちの怒声。

「勝手なことばっかいいやがって、神殿はおれたちをなめてんのか!?」

「本当のところを教えろっていってるだけじゃねぇかよォ」

「リジーっ! 聞いてんのかっ!」


 自分は中途半端な位置にいる。外界と。〈神域結界〉と。

 そんな私が、巫女姫アズリーンの話し相手とは。あのとき追いかけてきたアレッサに、務まらないと申し出るべきだったのか。重荷に感じている、と。

「……バカな。そんなことをいえるわけが……」

 ――リジーは、弱音を吐く自分など見たいと思わなかった。


          *

  

 門前中町の、木組みの質素な集会場の小屋の中は、男たちの罵声、怒り、発散される熱と臭い、そんなものでむせかえるようだった。

「参道に人手を出せ、だァ?」

「協力しろってんなら、仁義ってもんがあるだろうがよ、リジーさん」

 真夏のこととて、窓も、引き戸もすべて全開になっているが、そよぐ風ひとつ感じられない。年齢もまちまちの男たちは真白島の自警団の団員たちで、みやげ横町、湯町、荷役所などの顔役だ。地元色の強い、前重ねの短衣、ひざ丈で横広の下穿き姿。短気で粗暴な輩も多い。

 団長格のはっぴ姿が凄んだ。

「……そもそもなんで神職の代表がここに顔を出してねぇんだ。ここんとこ巫女さんたちも下りて来ねぇし、ちったァ納得のいく説明をしやがれ」

 神殿対自警団の寄り合いなのだが、神殿側が寄越したのは警護官のリジーのみ。紛糾しないですむというのが無理な流れである。

 低く、感情が抑制された声が答えた。

「神殿と、みなさん方の取り決めの中に、神殿の応援要請に応じるという項目もあるはずですが」

 この界隈で、神殿の警護官、リジー・ミカの名を知らないものはいない。

 男よりも腕っぷしがたつ。そして、この小さな島では唯一の竜機もちだ。

 ぱっと人目をひく、燃えるような朱色の髪。若々しい、彫りの深い整った顔立ち。大きな榛色の瞳。暗紅色の軽量鎧姿で、手甲、肘当て、戦闘用のブーツ。腰には愛用の鞭を下げている。舞踏家か闘士のような身ごなしで、殺気だった男らに遠巻きにされても動じる様子もなかった。

「そりゃあ、あんたたちが、きっちりと説明をしてくれりゃあの話だろっ! 信頼関係の問題だっ」

「私は、神殿の内部事情にまでは通じていません」

 リジーの榛色の眼が、ゆっくりと周囲を見回す。「警護官ですので。神殿に頼まれて、神殿の要請を伝えに来ました」

「ふざけんなっ」

 近くにいた大柄なひとりが、だっと飛び出してリジーの胸ぐらをつかんだ。

 リジーの手が、相手の手首を握ったと同時に、男は前のめりに体勢を崩して宙を舞った。

「ぐわっっ」

 一瞬で床に叩き伏せられる。「……このっ」とっさに前に出ようとした大勢の男たちの足は、ぶんっと鳴る空気音にたたらを踏んだ。リジーの手に、革製の鞭が握られている。ふたたび空気を切る音とともに、木の床を叩く衝撃音があたりに響きわたる。

「動かないで」鞭を構えるリジーの声はとてつもなく冷ややかだった。「そちらが手を出すのなら、容赦はしません」

 男たちはざわついた。

 気圧されたように後退り、互いに互いの顔をうかがうが、もはや戦意がないのは歴然としていた。荒くれ男たちの、怒りと当惑がないまぜになった表情が並ぶなか、ひそひそとささやいているものもいる。

「鞭だ……」

「鞭見ちまったよ」

「リジーさんの鞭……」

 リジーが丁寧な口調で、神殿の要求をくり返した。

「拝殿に、連日ひとが押し寄せています。自警団の皆さんには、当分の間、表の宮の参道周辺の人払いをお願いしたい。……今日から辻立ちに人員を出してもらえますか?」

 リジーの強い視線を向けられたはっぴ姿が、「お、おう……」と完全に腰が引けた返事を返した。

 かるくうなずいたリジーは、一挙動できれいに鞭をひとまとめにし、腰に戻した。足下で呻いている男には目もくれない。ほれぼれするようなキレのある動作で、何ごともなかったかのように出入り口に向かった。

「え、いや、あの……」

 誰ひとりとしてリジーを阻むことができず、戸口を塞いでいた男までが場所を空けて通してしまう始末である。

「止めろよ、バカ。まだなんも話をきいてねーぞ」

「ムリだろ。どーやってだよォ」

「おっかねえ」

「氷の女だ」

「鉄の女だろ」と、絶望と怨嗟の声が上がる。

 集会場の小屋の前の小広場には、一体の竜機が座っていた。

 四足歩行。一般的な犬の使機獣より、さらにひとまわりもふたまわりも大きい。鱗をおびた長い首、頭部は鳥のように嘴と鶏冠がある。眼はアーモンド型で、塗りつぶしたようなオレンジ色。前肢には盾のように畳まれた羽根。背中と後脚は獅子のような獣型。鞭のようにしなる長い尾の先は、矢尻のように尖っている。――地竜亜類。リジーの竜機、コマだ。

 手綱を引いて、鞍にひらりとまたがると、コマが立ち上がった。

 集会小屋からまろびでてきた男たちに、

「では約束を違わぬよう」

 騎上から言葉を残し、走りだす。

「リジー!」

「リジーさんっ!」

 あとを追う声は、いろんな意味で未練たらたらだった。なおも、ひとりが絶叫する。

「なあっ、巫女姫アズリーンが降誕したってな、ホントなのかよっ!?」




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