interlude『But Not For Me』
「お客様! やめてください!」
「じゃあママ、バイト行って来るね」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
梅雨の戻りにより、蒸し暑い中でもしとしとと雨が降っていた。智恵理は初夏のべたつく気温に眉を顰める母から、偽りのアルバイトへ見送られる。
(ママ、最近急に何も言わなくなったな……逆に怖いけど、まぁ、今は都合いいや)
智絵里は傘を差し、小走りで駅へ向かった。
母は見送ってすぐ洗面所へ行き、出かける準備を始める。表情は空と同じく曇りで、それでいてどこか緊張の色も宿っている。
「本当は……こんなことしたくないの。ごめんね、智絵里」
久しぶりの化粧をするために鏡の前に立ったが、あまりにも生気のない自身の顔に驚く。外見などどうでもよくなり、化粧ポーチを置いた。
準備していた物を全て置き去りにして、財布と傘だけ持って外へ出た。
バスを乗り継ぎ、駅前へ。
地図を確認しながら目的地へ向かう。道すがら、母は休む間もなく葛藤していた。
(子供を信用できないなんて……最低の親ね)
母は微風でも飛ばされてしまうくらいの足取りで、駅前の大きな本屋に到着した。入ることを躊躇うが、雨脚が強くなってきたので流されるように入店する。
(あなたが心配なだけなの、智絵里。弱いママを許して……)
平日だろうが駅の近くはどこも混んでいて、本屋もそれは例外ではなかった。母は混んでいる本屋のフロアをうろつきながら、我が子を探す。
しかしどこにも見当たらず、不安だけが募っていく。
襲い掛かる焦燥に後押しされ、目のついたレジへ客を押しのけて進んだ。いくつか飛び交う文句を無視し、レジへ割り込んで店員に話しかける。
「すみません、ここの店員に智恵理・パーカーという人物はおりますか?」
店員は迷惑そうな顔で母に対応した。
「あの、他のお客様がおりますので……」
「お願いします。今すぐ教えて下さい」
並んでいる客からの野次も高まり、店内が騒然とし始める。遠くのフロアにいた人ですら何事かと覗いていた。
対応に困っている店員に対し、しびれを切らした母が「智絵里! いるの!? 智絵里!」と大きく叫びだした。
いよいよただ事ではなくなり、騒ぎを聞きつけた店長らしき中年男性が別の階から小走りで現れた。
「お客様、ちょっとこちらへ」
と、店長の男はレジの行列に詫びを入れて、母を別の場所へ誘導した。
人気のないエリアまで連れてこられてすぐ、母は堰を切ったように言う。
「智絵里・パーカーという女の子が働いているか知りたいんです。私の娘なの。今日シフトに入っているはずなのよ」
店長は頭を軽く下げた。
「申し訳ございません。そういった個人情報はお答えできません」
「お願い、教えて」
母の目は喋る度に狂気を宿していった。
「困ります。申し訳ありませんが、これ以上は警察を呼びますよ」
「……教えてくれないのね」
「申し訳ありません」
「じゃあ、店員が全員こっちにくるようにすればいいのね」
「え?」
母は突然、狂ったように本棚の本を片っ端からばら撒きだした。ハードカバーから新書まで次々に床へ散乱していく。
店長は母の肩を押さえ、必死に止めようとする。
「お客様! やめてください!」
女性だからと容赦していたが、店長は商品を守るために母を羽交い絞めにした。
「おい! 誰か来てくれ!」と殺人者を取り押さえたように助けを求め「お客様! わかりましたから!」と観念する。
「智絵里・パーカーという従業員は当店におりません! もう出て行って下さい!」
母はそれに耳を打たれ、ピタリと動くのを止めた。
店長が力を緩めた瞬間、女性とは思えない力で振りほどいて立ち上がる。そのまま何も言わず影のように滑って店を出ていった。
謝罪くらいさせてやると近づいた別の店員は、絶望とも怒りともとれる母の複雑な表情に唇を縫われ、何も言えずに背中を見送った。
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