「ちょっとじゃないねぇ!?」
レッスン後、待ち合わせ場所のファストフード店で倉九を発見した智絵里は、嬉しそうに彼女へかけよった。
足音で彼女に気付き、大きな体が控えめに手を振る。
倉九が取っていた席は外の交差点が見えるカウンター席だった。
智恵理は注文したドリンクを持って隣へ腰掛けると、早速彼女からスマートフォンを差し出された。
「こ、これ」
と、電話画面を開く。智絵里はストローを口から離し、受け取る。
「ほんとだ、知久さんだね。えいっ」
口を挟む間もなくかけてしまった。この前とは違い、知久は数コールで通話に出た。
『はい、知久です。どちら様?』
不機嫌そうな声が通話口から届く。智絵里は声にせず電話を指差し、出た、と口を動かす。
「えっと、当然すみません、今いいですか?」
『は? ……誰?』
「智恵理・パーカーです。黎木さんとオーディションした時の!」
少しの沈黙の後、大きな舌打ちが電話口に響く。
『なんで私の番号知ってんだ』
「それよりも本題です。早速ですが、金を出せ!」
『……あぁ?』
恐喝でしかないその台詞に、周りの客は不審がって二人を見る。倉九が慌てて腕で顔を隠したが、特に意味のない行動だった。
智絵里は悩まし気に黙り、二の句を考えている。金を出せと言ったものの、先のことを想定していなかった。
『なんなんだお前、ふざけてんのか。二度とかけて来るなよ。じゃ』
「あっ、あっ、待って」
何かないかと慌てて探し、ふと先程のレッスンでルイーズに言われた台詞が閃く。
「私、知久さんの秘密を握ってます。バラされたくなかったらキーボードの修理代を渡せ!」
通話を切りかけていた知久は急に声のトーンを落とした。
『秘密だと?』
智絵里はスマートフォンを顔から遠ざけ「クラちゃん、修理代いくら?」と尋ねる。
「えっと、さん……いや、じ、十万」
「もしもし? 修理代は十万だ! 振り込め! それじゃ!」
「ち、智絵里ちゃん、手渡しでお願い、日時とか場所を言ってほしい……私、口座持ってない」
「うーん、そっか。じゃあオーディションの時の場所で、今くらいの時間でいいかな。明日でいい?」
こくこくと倉九は餌をもらった鳥の雛のように頷く。スマートフォンを耳から離すことを忘れていた智絵里は、そのまま通話を続けた。
「あっ、ごめん知久さん。聞いてた? そういう事で、お願いします!」
『はっ!? おい待っ――』
ピロンっ、と返答を待たずに切ってしまった。ふぅっ、と智絵里は額を拭う真似をした。
彼女からスマートフォンを返され、倉九は心配そうに画面を眺める。
「智絵里ちゃん、ち、知久の秘密なんて、握ってたの?」
「ううん、知らない。適当に言ってみた。賭けだよ、好きでしょ賭け」
「えっ、だ、大丈夫かな……」
「だめならまた考えよ!」
智絵里がにっとはにかむので、倉九は何も言えなくなってしまった。
「それにしても修理代、結構したね。もしかして中もちょっと壊れてた?」
「じ、実はちょっとだけ、修理代盛っちゃった」
「えっ、本当は?」
「三千円」
「ちょっとじゃないねぇ!?」
♪
通話を切られた知久は、自身の部屋でスマートフォンを睨みつけていた。「切りやがった」と憎々しそうに呟き、アルコールティッシュでスマートフォンを丁寧に拭き、テーブルの角に合わせて置く。
(大会の関係者かと思ったが……違ったか、紛らわしい。着拒しとこう)
知久は音源審査用のデモ音源を片付けている最中だった。
どこまで終えたか思い出すために暫し動きを止め、手元にあるCDを【郵送】と書かれたプラスチックの箱へ投げ入れる。
テーブルの端にはスパイシーデスモヒートとかかれたCDが置いてあり、チラチラ眺めながら片付けを進める。
徐々に智絵里たちのCDを見る時間が長くなり、知久は作業を止め、舌打ち交じりに立ち上がった。
一旦ベランダへ出て一服し、もよおしてもいないのにトイレへ向かう。むやみに部屋中を消毒し、再びベランダにいって一服。
普段より大きく貧乏ゆすりをして、心の置き場所を探すようにそわそわしている。
とうとうテーブルのスマートフォンを取りに戻り、ベランダで三本目の煙草を吸いながら三瀬に電話をかけた。
五分以上はかけ直すことを繰り返し、とうとう知久は諦める。
「ちっ……出ろよアバズレ」
火を消して部屋に戻った瞬間、スマートフォンが鳴った。画面を確認すると待望の彼女からの通話で、急いで応答する。
知久は三瀬が何か言う前に食い気味に尋ねた。
「お前、何かヘマしてねぇだろうな」
『あなた病んでる彼女? 鬼コールしないでよ。うっとおしいわね』
やけに呑気に聞こえる声が腹立たしく、知久の貧乏ゆすりが激しくなった。ソファーを壊す勢いで腰掛け、わざと応募させなかった黎木達、スパイシーデスモヒートのCDを手に取る。
「ついさっき、あのハーフのガキに脅された。バレてんじゃねぇのか」
三瀬は一瞬沈黙したが、声の雰囲気は変わらなかった。
『なんて言われたのよ』
「私の秘密を知ってる。だと」
『あなたに何か他のやましいことがないなら、何かのはったりでしょ』
「いや、マジにしか思えない。予選が打ち切られるこのタイミングだぞ、適確すぎる。あぁ、きっとそうだ。何かあるに違いねぇ」
『小心者ね。どっちにしろもう済んだことじゃない。心配するだけ無駄よ』
「……まさかお前、私まで嵌めたりしてないだろうな」
『くどい。使えるうちは捨てないわよ。用はそれだけ? これから客が来るから、もう切るわよ』
「おい待て!」
と、知久は叫んだが、無慈悲に通話は切られてしまった。
通話のせいで彼女は余計に焦燥感が募り、いてもたってもいられなかった。パソコンに張り付き、スパイシーデスモヒートを検索。
バンドのホームページを上から片っ端にリンクを開いて行く。プロフィールで智絵里たちの名前や簡単な経歴を発見した。
そこに上洲という名字を発見する。
「う、上洲……! もしかして、あの上洲か?」
知久に冷や汗が降った。震える手ですぐに大会のホームページを確認し、主催、株式会社リップスの下の共催を細かく確認していく。
「あるなよ……あるなよ……!」
小さな文字が並ぶ中程に『株式会社ツリーレコード』の文字が目に留まる。その瞬間、知久の顔は完全に青ざめ、尻を剣山で刺されたように立ち上がった。
「クソ! 黎木しか頭になかった! ばかばか! 私のばか!」
知久は握ったままだったスパイシーデスモヒートのCDをバックに押し込み、鍵もかけずに何処かへ飛び出して行った。
♪
三瀬の事務所の会議室へ来客が二名通された。
事務所の職員数名と三瀬は頭を下げ、重役ですらぺこぺこと機嫌を伺い、へつらっている。
来客の内、一人は高そうなスーツを着こなし、全てを見透かすような、それでいて詐欺師のような、凄腕の占い師染みた佇まいをしていた。
その人物はわざわざ三瀬の前へ足を運び、彼女にも丁寧に名刺を渡す。
名刺には『株式会社ツリーレコード。営業部副部長。上洲
名刺を眺める三瀬へ「新曲の発売、おめでとうございます」と上洲鼎人は朗らかに言った。
三瀬が自然な仕草で胸元を少し開け、「天下のツリーレコードさんのために、レコーディングも頑張ったんですよ」と妖艶に微笑む。
上洲鼎人は洒落た黒縁眼鏡を光らせ、狩人が獲物を射抜くように目を逸らさなかった。
「本日はよろしくお願いします。ご提案や、お伺いしたいことが色々とございますので」
彼は不敵な笑みをして黒縁眼鏡を中指で押し上げる。丁度それは海外でいう『ファックユー』のサインに似ていた。
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