interlude『Bitches Brew』

「横のつながりって大事ね」

●登場キャラ復習紹介●

・知久……倉九が加入する時のオーディションで絡んできた態度の悪いピアニスト

・三瀬……物語序盤、スタジオで智恵理と揉めたジャズシンガー


 以下本編

―――――――――――――――――――――――――


 知久は「おはようございます」と丁寧に挨拶をしてとあるビルに入った。

 自前のアルコールスプレーで念入りに手を消毒し、奥の事務所へ進む。すれ違う従業員に礼儀正しく声をかけるが、不良のような見た目から腫れものとして扱われているようだった。


 事務所に入るとすぐに、知久さん、と声がかかる。知久は関係者から話を聞き、専用のオフィスへ案内された。

 十名程座れそうな会議室で、机の上にノートパソコンとヘッドホンが置かれている。


 その横には大会予選音源とかかれたケースがあり、百枚以上のデモ音源が並べられている。他にもCDを仕分けるためのプラスチックケースが二つ並べられていた。


「今日中には終わらないと思いますので、残りの音源は後日また来ていただくか、お持ち帰りいただいても結構です」

「残ったら持ち帰る。この部屋、なんかカビ臭ぇし。空気清浄機くらいおいとけよ」


 関係者は苦笑いで腰を曲げ、逃げるように退室した。知久は窓を開けて持ってきた除菌アルコールとタオルを取りだし、周囲を念入りに消毒してから腰かけた。


 知久が不機嫌そうに十枚目のデモ音源を聞いていると、入口がゆっくりと開いた。視界の隅で誰かが入ってきたことに気付き「ノックくらいしろよ」とため息交じりに言う。


「何回もしたわよ。あなたのせいでしょ」


 入室したのは三瀬で、艶声のままヘッドホンを差した。手に持っているCDを団扇のようにして仰ぎ、デスクへ差し出す。


 知久はヘッドホンを器用に片方だけ外し、三瀬から摘まむようにして受け取った。投げ入れた。

 三瀬は雑に扱われたCDや、アルコールスプレーで指の部分を念入りに消毒する彼女に対し、舌打ちを我慢する。


「あとで前金の倍額な。ちゃんと振り込めよ」

「もちろん。横のつながりって、大事ね」


 鼻で笑っていた知久の顔が急に険しくなる。今聞いていたデモ音源の番号を確認し、ノートパソコンをいじる。

 大会応募用とかかれたファイルのバンドプロフィール開いた。CDの番号と同じ登録番号であるバンド名は『スパイシーデスモヒート(仮)』。

 演者のドラムの欄には『黒一点堅物男』と記載されている。


「……なんだ、このふざけた名前」

「なによ、どうしたの?」

「なんでもねぇよ」


 デスクの上にある彼女のスマートフォンが鳴ったが、片耳で曲を聞いたまま無視する。


「ねぇ、スマホ鳴ってるわよ」


 三瀬の注意も通話の鳴動も無視していたが、苛々しながら画面を確認した。


「知らねぇ番号だ」


 八つ当たりするようにバッグへ叩きこむ。再びアルコールで手を消毒した後、知久は気まぐれにヘッドホンを相手へ投げた。


「おい、これ聞いてみろよ」


 三瀬はつまらなそうにヘッドホンを眺めたが、髪をかきあげて装着した。安定したリズム隊と、楽しそうに踊っているキーボードのソロが流れる。彼女はヘッドホンを少し上げた。


「別に、普通に上手いだけじゃない」

「いいから聞いてみろって。色々な意味でとんでもねぇヴォーカルが回って来る」

「とんでもない?」


 不服そうに装着し、数秒と立たずにその歌声が始まる。小学生が歌っているようなロリータヴォイスだが、楽器を模倣したようなソロは一流のミュージシャンと大差がない。

 そして幼児声は『前に聞いた時よりも』確実に上手くなっていた。


 適当に装着していたヘッドホンを抑え込み、三瀬に余裕がなくなっていく。耳を押さえていた指を離して爪を噛む。曲の途中で耐えられなくなり、ヘッドホンを引きちぎるように外して腕を振り上げた。


「やめろ馬鹿、会社のだぞ」


 振り上げた腕をわなわなと下し、三瀬は無言でデスクの椅子を我武者羅に蹴り始めた。知久は揺れるパソコンを押さえ「いや怖ぇよ……」と呟く。


「ドラマーの黎木って知ってるか? 間違いなくあいつがこのバンドに一枚噛んでる。ドラムの手癖があいつのもんだ」

「黎木ですって?」


 三瀬は名前に反応し、足を落ち着かせて肩で息を切った。


「あいつに借りがあって落としてやりたいんだけどよ、このレベルをハネたって漏れたら、私の仕事がなくなっちまう。腹立つぜ」

「じゃあこのヴォーカルは……ふーん、なるほどね」

「あ? 知ってんのか?」

「ハーフってだけで調子に乗ってる、クソガキよ」


 知久は彼女から返却されたヘッドホンを除菌アルコールで念入りに拭く。


「お前ってさぁ、なんで音楽やってる外国人を目の敵にするんだ?」

「狡いからよ。あなた、ビル・エヴァンスやセロニアス・モンクに勝るアジア人ピアニストがいると思う? 今後も含め、現れると思う?」

「そのチョイスこそ狡いだろ」

「事実じゃない」


 何か言い返そうと口を開くが、ばつが悪そうに黙ってしまった。三瀬は爪を噛んで恨めしそうにCDを睨む。爪の軋む音に知久はおえっと舌を出した。


「ねぇ、どうして落としたのがあなただってわかるの? 他にも審査員がいるでしょう」

「応募順にナンバーが振り分けられて、担当が決まってる。私はラストの二百組。お前を終盤に応募させたのはそういう訳だ」

「ふーん、そう」と言って、三瀬は黙ってしまった。


 知久は仕事を続けたかったが、目の前の爆弾を放置する訳にもいかなかった。手持ち無沙汰になり、アルコールで周囲を消毒する。


「それに毎年、合否に関わらずバンドは全てホームページに掲載される。受付完了の報告も兼ねてるからな」

「大会の主催はどこ?」

「なんでだよ」

「いいから教えてよ」


 デスクに両手を置いて屈み、彼女はあからさまに胸を強調した。


「やめろ、私が好きなのは男だよ」


 知久はげんなりして背もたれに体を預け、相手を追い払うようにデスクの脇にある大会資料を捲って言った。


「今年もメインの主催はリップスだ。あと共同資本で他の会社、社団法人、インディーズレーベルもいくつかある」

「へぇ、リップスね? 丁度いいわ」


 姿勢を戻し、謎めいて笑う。知久は手がついていた部分をアルコールタオルで熱心に拭く。


「私が何とかしてみてもいい? このガキに、プロの厳しさを教えてあげるの」

「コネでもあんのか? 黎木みたいに干されたくねぇぞ、私は」


 三瀬は大会資料を持ち上げて、会社の名前を焦がすように見下す。


「ほんと、横のつながりって大事ね」

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