SECOND SESSION
4th number『Cry Me a River』
「だからバンドを組むんだ」
――数年前。
智恵理は病院の個室で心配そうに佇んでいた。ベッドでは同じく栗毛のアメリカ人男性――智恵理の父が歌詞を綴っている。ナメクジのように走る男性の手と、生まれてくる英語の歌詞に対して、智恵理は口を尖らせた。
「横になろうよ、パパ。熱あるのに」
「ノー、プロブレム。書ける時、書かなきゃ」
父は隙間風に似た塩辛声で、喋りにくそうに首を振る。まだ小学生の我が子の頭を、開いている方の手で撫でた。
「歌える日、ちゃんと来るよね?」
しばらく黙ってから父はペンを置き、病弱な両手を智恵理の頬へ添えた。
「智恵理とママへの、歌なんだ。パパが、歌えなかったら、これをいつか、智絵里がママに」
「そんなこと言わないで」
父は溢れてしまった我が子の涙を指ですくい、愛おしそうに頬へ触れる。
「智絵里、笑って」
「…………無理だよ」
栗毛の女の子は悲しい顔を止めることが出来ず、父に抱き着く。父は困ったように微笑んだ。
「ごめんね、智恵理。少しだけ無理をさせてくれ」
智恵理は答えず、顔を横に向ける。走り書きの読めない英語の歌詞を、神にすがる思いで眺めた――。
♪
―――ピピピ、と蚊の羽音に負けそうな電子音が鳴る。
智絵里はベッドで横になっている母から体温計を取り出し、ほっと溜息を吐いた。
「下がったよ」
先日の黎木との煽り合いで掠れている声を誤魔化すため、咳込む演技で喉を擦る。 心配そうに見つめて来る母へ「私の風邪うつしちゃったかな、ごめんね」と苦笑いで仮病を繕った。
体温計をベッド腋の棚に預け、汗で乱れた母の前髪をかきあげてやる。智絵里の所作を胡乱な様子で追っていた母は、ふと口を開いた。
「パパが居なくなってから……ママはすっかりダメね」
母は蝋燭すら消せない溜息を吐いた。か細くなった母の手に触れ、智絵里はそんなことないと首振り、笑窪を作る。
「今度、お友達に少しでもお仕事を紹介してもらうから。社会復帰しないとね」
「そういうのは、ゆっくり考えよ!」
「……ご飯くらいしか作れない。母親みたいなこと、全然してあげられていない」
智絵里は弱っている母の両目から流れる涙を指で掬い、自分の頬を指であげた。
「ママ、笑って!」
母は瞼に袖を当てて水分を拭き取った。口角を上げようと試み、何度も笑おうと頑張ったが、上手く笑えなかった。智絵里は居ても立っても居られなくなり、母を抱きしめ「ごめんね、ママ」と自分の涙を吸わせる。
そして自身の口元を布団に押し付け「少しだけ、無理をさせて」と後ろめたさを隠した。
♪
智絵里は葉桜が顔を出し始めている並木道を歩き、アルバイト先へたどり着いた。真上にある太陽光が【close】の札を照らし、自分の陰気な顔が映る。両頬をぺしっと叩き、無理やり口角を上げた。
店内にはレジで作業をしているマスターと、カウンターでノートパソコンをいじっている黎木の二人だけ。いらっしゃい、というマスターへ大仰に手を振る。
智絵里は鼻の頭に絆創膏を張っている黎木にも、軽く手を挙げた。
「こんちはっ、来たよっ」
「……まだ声が少し枯れてるな。あんなものを飲むからだ」
ノートパソコンの画面から、黎木が一瞥を投げる。智絵里は悪戯っぽく笑い、カウンターの裏に回って業務用冷蔵庫を開けた。
マスターへ一言断り、氷を入れた二つのグラスへ出来合いのカフェオレを注ぐ。ストローをさして両手に持ち、隣の席に着いて黎木へ一つ差し出した。
「私のおごり!」
渡しつつ、ストローを咥えて彼の鼻をこっそりと見た。自分の頭突きのせいだが、絆創膏が少年みたいだなと笑いをこらえる。黎木はきまりが悪そうに煙草を取り出し、火をつけた。
煙草は空箱になり、ぐしゃりと潰して灰皿の横へ置く。磁石が反発するように智絵里が体を離すので、わざわざ灰皿を離し反対の方向へ煙を吐いた。
「活動するにあたって、お前の声を上手く隠す」
今日智絵里が呼びだされたのはこれからの計画を聞くためだった。ワールドジャズフェスの舞台へ立つためには、やることが山ほどある。
「えっ、隠す? 私、歌えないんですか!?」
「いや、歌をメインにしないってことだ。ソロだとどうしても常時幼児声が目立つからな」
智絵里は三回瞬きをして「あー、なるほど?」と小首をかしげた。
「わかってないな……」
黎木は煙草を吸い、顔を背けて煙を出来るだけ遠くへ吐きだす。
「お前は確かに、センスがある」
「センス! えへへ」
智絵里は栗毛を指に巻き、体をくねらせた。
「親譲りのヴォカリーズの技術や、感情の乗せ方、声量もかなりいい」
真顔で褒めて来る相手を上目遣いで見ながら「へへぇ、えへぇ」と照れる。
「だが声質が絶望的だ」
「うっ」
「ソロではまずワールドジャズフェスには行けない」
「はうっ!」
見えない銃弾を腹に受けたように体を折り、智絵里は大きく項垂れた。彼は一々大きく体を動かす彼女に呆れる。
「だからバンドを組むんだ」
「バンド!?」
床に垂らしていた顔を上げ、智絵里は目に星を宿した。
「不服か? だが他の楽器隊もメインに据えてだな」
「ゆ、ゆ……」
「あ? なんだって?」
黎木は震えている彼女の台詞が聞こえず、耳を近づける。
「夢にまで見たバンドだああああああ!」
冷水を浴びせられたように彼は顔を離し、片耳を塞いで大きく舌打ちした。
「次、いきなり叫んだら殺すぞ」
「ごめんなさーい! いえーい!」
智絵里はいい加減に謝り、レジにいるマスターへハイタッチしに行く。やれやれと黎木は溜息を吐き、ノートパソコンのとあるウェブサイトを開く。
「おい、これを見ろ」
黎木に呼ばれトンボ返りした智絵里は画面へ張り付き、15インチいっぱいに開かれたとあるホームページを見る。大きな文字で『ジャズバンド大会』と記されていた。下へスクロールしながら、二人一緒に情報を確認していく。
「開催は八月一日、二日の連日だ。これに出る」
「……これ、プロも出るんですか?」
ホームページの一部を見て、智絵里はぎょっとした。
「だからこそいい。無名のやつが出て優勝すれば間違いなくオファーが来る」
智絵里は腕を組み、鼠のようにストローへ齧りついた。
「この大会って、大々的にやるんですよね……」
「ネットでのライブ配信と、ラジオでも流れる。全国からの投票で勝敗が決まるんだ」
「テ、テレビでは流れるんですか?」
質問の理由は、母にばれてしまう事を恐れていたからだった。一通りホームページを見てから、黎木は首を横に振る。
「いや、地上波の放送はない」
「まぁ、それなら大丈夫かな……」
彼は絆創膏を外して潰した箱に張り付けた。煙草の火を灰皿に押し付け、執拗に磨り潰す。
「だが優勝賞金が高い。厄介な連中が出て来なけりゃいいが」
「厄介……?」と智絵里は質問しかけたが、力強く潰された煙草に物怖じし、口を噤んだ。
質問を誤魔化すようにコップの下に溜まったカフェオレを啜る。黎木は手をつけていない自分の分のカフェオレを智絵里に差し出し「甘いのは好きじゃない」と肩をすくめた。
「バンドだが、まずはお前に合う上物を探す。また連絡するから、ボイトレしながら待て」
黎木はおもむろに内ポケットから名刺入れを取り出した。智絵里は差し出されたカフェオレの水と分離した部分を混ぜながら、カウンターの上に置かれていく名刺を目で追う。
「プロと同じレッスンを受けろ」
「プロと同じ!?」
「お前、今日ちゃんと予定空けてあるな?」
彼はようやく見つけた目的の名刺を渡し、智恵理はいそいそと受け取る。
「もう予約してある。このあとすぐだ、行って来い」
食い入るように見た名刺には、個人名ではなく練習スタジオ名や住所などが記されていた。
「頼んであるのは俺の知り合いだ。ちょっと癖のある講師だが、作詞や英語に明るく、そっちの指導もできる。ヴォーカルのお前は今後作詞も……」
「やっほおおおおおおう!」
黎木は爆撃にあった兵士のように耳を塞いだ。万歳をする無防備な智絵里の両頬を摘み、ぎゅっと引っ張った。
「お前の頭はニワトリ以下なのか?」
「いひゃいいひゃい! ごえんなひゃい!」
智絵里は彼の手首を掴んで必死に抵抗するが、顔は満面の笑みだった。
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