interlude『In The Mood』
「私は絶対に! 働きたくない!」
スーツ姿の若者が四名、横に並んでパイプ椅子に座っている。
彼女らは背筋を伸ばし、ぎこちない微笑みを張り付けている。対面には三人の中年男性の面接官が値踏みするように観察し、手元の履歴書と職務経歴書を捲っていた。
「では次、
二番目の女性へ声がかかった。倉九と呼ばれた女性は「あっ、はい」と口にしたが、喋ったというより呟いたといった方が正確である。
彼女は他の志望者と一風変わっていた。
髪は腰まで伸ばしっぱなし、ほとんど両目が隠れて頭に束子が纏わりついているように見える。サイズの合っていない小さいスーツはくしゃくしゃに乱れ、化粧もなく無垢な肌と桃色の唇が露出していた。
ビジネスバックも持たず身一つで面接室に入り、どうぞと言われる前から椅子に座ってしまうような人間だった。
倉九はバレーボール選手に負けない長躯を猫背にして、面接官の三人ではなく部屋の天井や窓へ忙しく視線を逃がしている。さながら鼠を追いかける猫だった。
「お、御社の、しゃふう? が……良さそうで」
面接官の一人は溜息を吐き、質問を続ける。
「特技や趣味について、教えてください」
「わ、私は小さい頃から、ピアノをやってて……あ、やっておりまして」
「それは弊社でどのように活かせると思いますか」
倉九は質問を受ける度に首を傾げ、歪に口角を上げた。
「え、あ、私、演奏で人に合わせるのとか、得意だから、協調性とか? ありそう、じゃないですか?」
面接官同士は見合わせ、意味深に頷いた。面接官の一人は倉九の履歴書上、高校三年中退の文字をボールペンの反対側で叩く。
「最後に自己PRをお願いします」
倉九は「じ……」と晩夏に転がる蝉のように唸り、しばらく黙然とした。
「なんでもいいですよ。倉九さんの考える、自分の強みとか、夢などがあれば」
「あ、ありません」
「ん? もう一度お願いします」
面接官の口調は強くなかったが、倉九は聞き返されたことに萎縮してしまい、俯いて石になってしまった。
「……もう結構です。じゃあ、次の方、志望動機を――」
面接官達の興味は次の相手へ移り、倉九はほっとしたあと、悔しそうに唇を噛んだ。その後、面接が終わるまで一言も発せず、上手く受け答えする同世代の言葉を静かに聞き流していた。
♪
倉九は5Lと書かれた男性用のTシャツとパンツ一枚を召し、踏み場のないベッドの上で仰向けに寝転がっていた。カーテンからの木漏れ日が顔に当たり、うざったそうに横向きになる。
面接を終えて数週間、彼女は魂が抜けたままだった。今も充電が切れる寸前のスマートフォンをいじり、麻雀のゲームアプリで現実逃避をしている。
画面の上にメール通知があり、思わず「ひっ」と悲鳴を漏らした。ゲームがひと段落したあと、メールを開こうとするも中々指が動かない。仰向けに戻って双子山のような胸を揺らし、深呼吸してメールを開いた。
死んだ目に画面の光が加わる。前置きを飛ばしてスクロールすると、不採用の旨が記されていた。直後スマートフォンの電源が落ち、真っ暗な画面にうんざりしている自分の顔が映る。
「……あー、くそっ!」
倉九は枝毛だらけの頭を掻きむしり、スマートフォン放り投げた。何かのゴミの上に落ち、紙クズが潰れる音がした。
しばらく打ちのめされていたが、巨躯を起こしベッドから立ち上がる。動く度に片づけていないゴミ屑の音がする。
部屋の壁に寄り添っているキーボードの前に佇み、椅子へ腰を預けた。ジャックへ刺さったままのヘッドホンを耳にかけ、音量を全開して鍵を叩く。
ゴミしかない部屋は冷然としていた。鍵盤のプラスチックと爪の喧嘩、サスティンペダルを踏み抜く音、倉九の荒い呼吸が苦い咆哮の代わりになった。
「くそっ、くそっ、くそっ……!」
ヘッドホンの内側では鼓膜の破壊くらいの音量が流れる。倉九はロック、ファンク、スカ、手癖のついたジャンルで無意識のままに指を動かす。
悲哀と痛烈と妬みを想起させるメロディライン、体を前後左右に揺らし、二段の88鍵を自由に動き回る。
殺人を犯しそうな狂気から、親しいものが死んだような虚無まで雑多に音へ詰め込まれている。叫び出しそうなくらい大きく口を開けたと思いきや、下唇をかみしめる。弾き続けていると涙が滲み、指が震えた。
肘まで押し付けて不協和音を生み、糸が切れたように倉九は演奏を打ち切った。天井に届きそうなほど手を振り上げ、キーボードを叩き折ろうとした。寸前で思いとどまり、キーボードではなく座っていた椅子を持ち上げて、ベッドに力のまま投げつけた。
椅子は跳ねかえって壁にぶつかり、屋根が落ちたような轟音が穿たれる。決して軽くはない椅子を投げた勢いで、足場の塵に掬われて倉九は派手に転んだ。
「――ぁ痛っだ!」
二回に渡る落雷めいた衝撃のあと、隣の部屋からバタバタと足音が近づき、ドアが勢いよく放たれた。
「ねぇ、凄い音したんだけど!」
倉九に似た顔立ちの、身なりのきちんとした女性が鬼の剣幕で叫んだ。
「うぅ……ごめん、お姉ちゃん……」
倉九はひっくり返ってゴミに埋もれたまま、苦笑いで醜態を隠そうとした。女性、倉九の姉は、茸でも生えていそうな部屋の薄暗さと汚さ、倉九のだらしない恰好、ベッド上の椅子を見て嘆息する。
「麗奈さぁ、真面目に将来考えなよ。ピアノで遊んでる場合じゃないでしょ」
倉九は自身の周りのゴミを避け、足を抱えて縮こまった。
「か、考えてるもん」
女性の目線は倉九の体躯、スポーツで世界に通用しそうな強靭さ、少し痩せればモデルにでもなれそうな曲線に目をやる。
「あんた性格がゴミなんだから、その無駄にでかい体と怪力使って稼ぐとかさ」
「せ、性格が、ゴミ……」
倉九は俯き、辺りに散らばる同類を突く。女性は呆れてその場を去ろうとした。居なくなる雰囲気を察し、倉九はふっと顔を上げる。
「待ってお姉ちゃん! お、お小遣い、欲しい、とか言ってみるテスト……」
「なんでよ、昨日もあげたでしょ。……もしかしてまたパチンコ行った?」
「へ、へへ……あとちょっとで勝てたんだけど……」
姉と呼ばれた女性は部屋の扉を掴み、鬼も逃げる形相になる。
「このクズ! 今日はお昼ご飯抜き!」
姉が思い切り扉を閉め、倉九はビクっと体を震わせた。三度目の落雷に、部屋の隅へ高く積み上げてあった雑誌が大きく揺れる。
倉九は舌打ちしてのっそりと立ち上がり、転がっている椅子を元へ戻した。空腹で腹部を抑え、声にならない呻きをあげる。
浮浪者の如く部屋の中をうろつき、投げたスマートフォンを探す。数分探してようやく見つけだしたが電池が切れていることを思い出し、今度はゴミの中から充電器を漁る。
下ばかり見ていて棚に頭をぶつけ、さらに上からCDが落ち後頭部に直撃した。
「いたっ! うぅ……」
充電器を発見し、充電をしたままスマートフォンの操作を続ける。ネットの検索画面に『ピアノ 稼ぐ』と打ち、一番多くヒットした個人事業主の面倒臭さに吐き気がして諦めた。
「頑張るの、無理……」
次に『ピアノ講師 求人』と打ち募集要項の時点で挫折。検索中どこかで目にしたバンドの文字を思い出し、一縷の望みで『バンド メンバー オーディション』と調べた。
調べてきたものより遥かに低いハードルが並んでいる。倉九はスクロールしては戻る事を繰り返し、家から一番近く、受かったあとの条件もそれなりの企業案件を見つける。
「こ、これしかない……!」
ゴミをかき分けて、倉九は勢いよく立ち上がり拳を天に突き上げた。
「私は絶対に! 働きたくない!」
固い決意を口にする倉九の部屋へ「麗奈! うるさい!」という姉のくぐもった声と、壁を叩く振動が届いた。
ギリギリの均衡を保っていた音楽雑誌の山が大量に崩れ、風で埃とカーテンがふわりと舞う。日差しが薄暗い部屋を黄色く染め、倉九は眩しそうに「くひゅん!」とくしゃみをした。
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