2nd number『Moanin'』

「何やってんだ俺は」

 都内雑居ビル五階、狭い練習スタジオで四人が音を合わせている。

 ヴォーカルの女性が歌っている最中、ドラムを叩いていた男は突然演奏を中断した。

 戦闘機が跡形もなく空に溶けてしまったように騒音は消え、音楽スタジオらしからぬ凪が場を占拠する。

 文句が飛ぶ前にドラムの男は立ち上がり、気怠そうに肩をすくめた。


「お前らの実力はわかった。今日はもう解散でいいだろ?」


 男は尋ねたが返答を待つでもなく、勝手に荷物をまとめ始める。今回、女性ヴォーカルの録音に参加する一回限りのサポートメンバーとして呼ばれた彼だが、本日の顔合わせを自ら打ち切った。


「待ちなさい、リーダーは私よ。何様?」

「これ以上の練習は無駄だ。それよりレコスタ必要なんだろ、今から知り合いのとこ予約してやるよ」  ※レコスタ……レコーディングスタジオ。録音するスタジオ


 ドラムの男は会話に掛け合わず、電話をかけながら練習スタジオを出て行った。

 この雑居ビルには全部で四部屋のスタジオがあり、それぞれ部屋を出ると待機兼休憩スペースが目の前にある。

 壁は一面強化ガラスになっていて、窓に沿って長机がカウンター代わりに設置されており、眼下には向かいのビルに挟まる形で窓面と並行に一本の線路が走っている。


 ヴォーカルの女性と残りのメンバーが遅れて出てくると、ドラムの男は線路沿いに歩く人を見下しながら煙草を吹かし、ぼそぼそとスマートフォンで通話していた。

 別のスタジオから漏れるバンドの演奏が気になるのか、たまに片方の耳を中指で押さえている。


 ベースを担当していた男はウッドベースを大事そうに担ぎ「三瀬さん、今からでも他のやつ探せませんか。あいつ感じ悪すぎですよ」とヴォーカルの女性に耳打ちする。

 ヴォーカルの女性、三瀬はスタジオ内で敵意を露にした時と違い艶然としていた。


「今回は大手との契約だし、我慢するしかないわ」


 三瀬の決定に他二人は遠慮がちにぼやいたが、男の通話が終わると誤魔化すようにそっぽを向く。ドラムの男は三瀬含む三人を不愉快そうに眺め、隣のスタジオから漏れて来る雑音にもうんざりした様子で嘆息した。


「明日の夜、予約したぞ。格安でな」


 三瀬は懐からライターと新しい煙草取り出し、パッケージのプラスチックゴミをぐしゃりと握りつぶす。カウンター角にあるゴミ箱に捨て、彼から一つ離れた席で一服を始めた。


「助かるわ、黎木さん。うちの事務所、あんまりお金ないから」


 ドラムの男、黎木は別の灰皿へ煙草を潰した。


「コネばかりで、実力が微妙な中堅は大変だな」


 三瀬の指に挟まれた煙草が怒りでアーチを描き、銀色の皿へ灰を落とす。彼女はなんとか仮面の笑顔を張り付けたまま、煙草を握り潰さずに済んだ。


「それで、明日は何時?」

 三瀬は落ち着きを装って尋ねた。

「十九時だ。場所の詳細は後で送る」


 黎木は踏切が鳴り出した線路をつまらなそうに眺め、立ち上がった。カウンターに置いてあったスティックケースを肩にかけ、ドラムペダルが入ったバッグを手に取る。

 黎木は出入口の扉に手をかけ一旦出て行くふりをしてから、陰で睨んでいる三瀬以外の二人へ振り向く。


「じゃあな。とても有意義な時間だったよ」


 黎木が出て行き、隣のスタジオの練習音が止み、同時に外の踏切が下りた。

 踏切音が訪れ、十五両編成の車両が空気を切り裂く。三瀬は眼下の列車と踏切が開くのを待つ群衆を眺め、震える指で煙草を握り潰した。


 踏切音が消え、バンドの練習音が再び漏れ出す。耳障りな演奏にベースの男が青筋を立て、扉を蹴り上げようとした――が、先に三瀬が投げた灰皿が叩き付けられた。

 灰が舞い、メンバーの男は激しく咳き込む。灰皿は跳ね返って三瀬の足元へ戻り、三瀬はそれを何度も踏みつけた。


「干されてるから仕事恵んでやったのに! あの態度! ふざけんな! 死ね!」


 三瀬は金切り声で叫び、親の仇を取るように灰皿を歪にさせる。彼女の豹変ぶりに恐れをなし、メンバーは火傷を被りたくないと噴火をそのままにした。

 鬼気迫り、端から見れば発狂した憐れな三十路女だった。三瀬は肩で息を切り、灰皿が銀色のクズに変形するまで踏み続ける。


 隣の練習スタジオの扉が開き、高校生らしき若者がぞろぞろと現れた。いつの間にか演奏は終了していたらしく、三瀬は誤魔化すように窓の外を見る。

 乱れた髪を手櫛で直し振り向くまでたったの数秒、まるで何事もなかったように悠然としていた。


「さ、行くわよ」とメンバーへ物腰柔らかく命令し、颯爽とその場を後にした。メンバーの二人は頷いたが、それは目を合わせないように下を向いただけだった。


 三瀬たちが出て行ったあと、高校生の一人が椅子の下に転がる銀色のクズを発見する。なんだこれ、と怪訝に摘まみ上げ、カウンター角のごみ箱へ放り投げた――



――ガコンっ、と金属音が黎木の耳を打つ。

 彼はコンビニのゴミ箱へ缶コーヒーを捨てたあと、その足でもう一缶コーヒーを取り、会計を済ませて店を後にした。


 黄昏時、桜並木道でコーヒーを啜る。砂漠で倒れる寸前のような歩みは都会の時間に即しておらず、迷惑そうに人々は彼を抜く。

 信号で立ち止まると、猫背だが頭一つ抜けた身長が目立ち、人相も悪い彼から周りは距離を置いて青信号を待った。


 黎木はスマートフォンを取り出し、趣味である麻雀のアプリゲームを起動した。コーヒーを三口飲む間に信号は青になり、滑らかに人の群が行き交う。黎木はゲームをしてほとんど前を見ずにいたが、誰もが勝手に避けるので肩が弾かれることはなかった。


 ゲーム画面を見下し、「ちっ、牌が来ねぇ」と呟きながらそぞろに足を出す。上手くいかないまま画面の中に『終局』と表示され思わず舌打ちした。スマートフォンのをしまい煙草を取りしたが、人通りが多いことを思い出し、近くの公園を目指した。


 既に空には月が張り付いていて、人気のない公園の草むらは風か獣の気配を感じさせる。電灯が照らす、孤独に佇んだベンチへ牛歩で近寄り、腰を落ち着かせて煙草に火をつける。

 一服してから天へ煙を吐いた。

 星は何をせずとも綺麗で、彼の胸の中に妬みが落ちた。


「才能ってのは中々来ねぇな……」


 独言を夜空に散らし、はっとして顔を拭う。

 空になったコーヒー缶を鉄網で出来た大きなゴミ箱へ投げた。弧を描いた缶は縁に嫌われ地へ転がった。


 張り付くような重い腰を上げて拾いに行く。空き缶を拾った丁度その時、ゴミ箱裏の草むらから野良犬が飛び出した。

 まだ仔犬だった。縁を跳ねた金属音に怯えていたのか、仔犬は激しく叫び唸っていた。小柄な癖に鋭く獰猛な声で、頼もしいくらいに声が大きい。


「お前、いい喉持ってるな。俺とバンド組むか?」


 武士が斬り合うような数秒の黙殺、先に黎木がしかける。缶をスティック代わりに、ゴミ箱を叩き鳴らした。野良犬は驚き、殴られたように後退し、尻尾を巻いて逃げて行った。


「何やってんだ俺は」


 黎木は口の端に煙草を咥え、物憂げに煙を吐く。空き缶を握りしめ、憂いを払うようにゴミ箱へ思い切り叩き付けた――。


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