小話 その名を呼べる光栄

 なぜ私がエリシア様の大ファンなのか、ご説明しましょう。


 わかりやすいのです、エリシア様は。

 一見冷たい印象を持たれがちですが、お好きなものを召し上がった時はわずかに頬が緩むんです。反対にあまり好みでないものだと、無表情を貫いているように見せかけて口をもごもごとさせるのです。


 クールなようで、そんな些細な変化があまりにも可愛らしくて……私の胸はときめき、エリシア様を拝み愛でる会をひっそりと立ち上げました。

 そしてそれは私だけではありませんでした。

 他の使用人も私と同じ気持ちで、続々と同士が集まってきました。

 


 私はエリシア様が大好きです。

 些細な変化ももちろんですが、使用人にもお優しく、気にかけてくださる。

 だから私は、エリシア様がアルベルト公爵家に向かわれる時、進んで立候補したのです。


 私はアルベルト公爵邸へ向かう道中のことを、今でも鮮明に覚えています。


「チェルシー。貴女、本当に私に着いてきてよかったの? シェリーの元から離れることになるのに」


 エリシア様にとってはただの疑問だったのかもしれません。けれど


(『本当に私に着いてきてよかったの?』か……)


 言葉の選び方一つでも、エリシア様のお人柄がわかるというもの。

 私への気遣いが感じられるお言葉に、喜びが隠せませんでした。





 ただ、ほんの少しだけ心配もありました。

 アルベルト公爵邸のみなさんが、エリシア様をどうみるか。けれど、それは杞憂だったようです。


 元々閣下からお話を聞いていたのか、色眼鏡で見る方は一人もいませんでした。

 最初の頃は、淡々と己の業務をこなす方が多かったように思います。


 けれど、今となっては――。


「今日の奥様見た?」

「見たわ~! 今日も旦那様に褒められて固まってらしたわね」

「「なんて初々しいの~」」


 まだエリシア様と閣下はご結婚されていませんが、ここ公爵邸では暗黙の了解となっています。


「みなさん、品がないですよ」


 使用人たちではしゃいでいると、侍女長であるベルタさんがやってきました。

 さすが侍女長。一気にその場が静かになりました。そういえば母もこうして使用人たちを絞めていたように思います。


「それから、一日一回わざと奥様呼びして、エリシア様を真っ赤にするのはお止めなさい」

「はい……」


 侍女長だって言ってるくせに……。という言葉は呑み込みます。こういうのは言わぬが吉ですから。私も主にリヴェール伯爵家の侍女長相手に、嫌というほど学びましたから。

 それはアルベルト公爵邸でも同じようです。

 みなさん目では訴えているものの、口に出す命知らずはいません。


「子作りの話も厳禁です」

「はい……」


 何、その話。それは知らない。

 慌てふためくエリシア様のお顔が想像できます。でも生で見たい。


「そういう話は、ご結婚されてから存分になさい!」

「はい!」


 なんだかんだ侍女長も楽しんでおられるようです。

 確かに、もうすぐエリシア様は『奥様』になられます。

 閣下から向けられる眼差しに頬を染めるお姿や、お約束がある日はそわそわと落ち着きがなくなるお姿を見ていると、こちらまで温かな気持ちになります。

 エリシア様の幸せは私の幸せでもあります。だから心の底から嬉しいのです。

 ――けれどほんの少しだけ、エリシア様とお呼びできなくなることが寂しいような、そんな気持ちになりました。





 とある日の昼下がり。私は意を決して、エリシア様を呼びました。


「奥様」

「…………チェっ、チェルシー?」

「今後のためにと思って、試しに呼んでみました」


 他の使用人たちが話していた通り、エリシア様はお顔が赤く染まり、動揺しています。なんて可愛らしいのかしら。出来ることなら、私が一番にこのご尊顔を拝みたかった……!


 エリシア様は戸惑われているのか、指を絡めたままじっと固まっています。

 そのお姿もなんて尊いのかしら……!

 けれど、やっぱり悪いことしちゃったかもしれません。こんなところ母に見られていたらはたかれた上、エリシア様のお側にいられなくなってしまう。ようやくお側にいられるようになったのに、それは困ります。


 謝ろうとしたその時、エリシア様が先に口を開きました。


「――今後、そうなったとしても。チェルシー、貴女には今まで通り呼んでもらいたいわ」


 エリシア様は少し照れくさそうに言いました。

 そういえば昔、母も言っていたことを思い出しました。

 それはユージェニー様がご結婚されたときのこと。


「これからは奥様でございますね」

「そうだけど。シェリー、貴女には今まで通り呼んでもらいたいわ」


 そう、奥様であるユージェニー様はおっしゃったそう。それに対して母がどう答えたのかは教えてもらえませんでした。

 けれどユージェニー様亡き今、リヴェール伯爵邸で「ユージェニー様」と呼ぶ者は一人だけ。


 きっと、母もこう答えたはずです。


「もちろんでございます」


 奥様と呼んで顔を赤らめるエリシア様も、それはとても可愛らしくてとても尊いけれど――。

 私だけはいつまでも「エリシア様」とお呼びしようと心に決めたのでした。


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