第1話 伯爵家の姉弟

セレスティア聖王国の北辺に広がる、のどかな領地――。

王都から馬車で十日ほど。ちょっとした旅になる距離だけど、

豊かな自然と交易のおかげで、人も街も穏やかであたたかい。


地形は丘と森だらけで、北から冷たい風が吹いてくる。

南には清らかな川が流れてて、夏になると川辺で子どもたちが魚を追いかけてる。

この領都の名前は――ノルヴェルン。


冬の夜には空に魔力の靄がゆらめいて、まるでオーロラみたいな光景になる。

旅人たちはいつしかこの街を「光の街」って呼ぶようになったらしい。

まあ、ぼくにとっては見慣れた風景なんだけど、綺麗でちょっと自慢だ。


ノルヴェルンは三層の城郭都市で、

そのいちばん高い場所である白い石造りの館が並ぶ丘の上に、伯爵家の館がある。

見た目は立派。中身はけっこう自由。

ステラート・エルディア、十一歳 ――ぼくが生まれ育った家だ。


そんな館の裏手には、街を一望できる小高い丘があって、人々はそこを「星見の丘」って呼んでいる。

朝になると、ぼくと姉さまは、毎日そこを駆け上がるのが日課だ。

――そう、日課。筋肉痛も情けもない、恒例の地獄。


「……っ、はぁ、はぁ、はぁ……!」


朝靄を切って走る姉の姿は、ほんとに風みたいだった。

二歳上のアンリエート・エルディア――アンリ姉さま。

王都で噂されるほどの天才で、剣も魔法もこなす完璧超人。

長い金髪が風を切って舞う姿なんて、綺麗すぎてまるで絵画の中の人だ。


一方ぼくはというと、もう息切れどころか瀕死。

丘を登るどころか、地面の重力と戦ってるレベルである。

なのに姉さまは、風をまとい木を蹴って宙を舞ったり、蛇みたいに地を駆けたり、自由自在。

もうなにそれ、ずるくない?


たぶん、ぼくが頂上に着くころには、彼女は三往復くらいしてる。

でもいつも最後はちゃんと、ぼくの歩幅に合わせてくれて――

その優しさが、逆にちょっと悲しい。


「おつかれさま、ステラ」


地面に倒れこむぼくに、姉は涼しげな笑みでタオルと水筒を差し出す。


「私は来年、王都の聖騎士学園に入学するわ。……でもステラ、あなたは自分の道をしっかり考えて決めるのよ」


その言葉には、やさしさと、少しのためらいが混じっていた。

――ぼくには騎士の才がないってこと、だよね。


「でも、僕は……! 父さんや姉さんみたいに、騎士になりたいんだ!」


叫ぶように言ったけど、現実は非情だ。


細い腕、力のない体、そしてどれだけ鍛えても伸びない筋力。

風に揺れる白銀の髪。長いまつ毛に縁どられた大きな瞳。

母さま譲りの顔立ち、どう見ても女の子顔。


母さまは「ノルヴェルンの奇跡」と呼ばれる聖なる癒し手。

ぼくは母さまの血を受け継いで、この容姿と聖魔法を受け継いだ。

姉さまは父さまの血を受け継いで、剣と風魔法を操る騎士見習い。


――どう考えても、逆だろ。

ぼくはたぶん、この言葉を一生で一万回くらい言うと思う。


聖属性を持つ者は、聖職者になるのが普通。

誰もがそう信じて疑わない。


でも――父さんと姉さんの剣姿が、めちゃくちゃかっこよく見えるんだ。

日が沈む中、父さんが剣を振るうと風が唸って、姉さんがその横で馬を走らせる。

二人の背中が並ぶあの光景が、僕の中では憧れる“英雄”そのものだった。

父さまや姉さまの背中を追いかけたい。


姉さまはそんなぼくを見て、ふっと微笑んだ。

その笑顔が、ほんの少し切なく見える。


「……どんな道を選んでも、私はあなたの意思を尊重するわ」


風が頬を撫でて、白銀の髪がきらめいた。

そしてまた、姉は風のように駆け出していく。


ぼくはその背中を追いながら、

何度も、何度も、丘を駆け上がった。

 

届かないことを知りながら、それでも――。

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