あゝ、畏れ給えよ


 言葉に寄生された猿、なんなら言葉に興奮する猿がお邪魔致します。


 これは面白い、ちょっと真面目に分析しよう。

 本作は敢えて学術論文の様相を模している。詳細に語るならば――語り口は常に内向きでありながら実例、仮説、仮定、類似性の見られる例題を介して『説得力』を付与している。

 畢竟するにこの一連は、丁寧で神経質なまでの『報告』であり『警句』なのである。言い知れぬ――自己軸を揺らす感情を与える――恐怖を楽しむもまた良し。

 或いは、言葉は人に寄生していると仮定し『心』を立証せんとする説を深掘りしても良い。曖昧である輪郭を『言葉』と言うツールが形作る、その考えには私も頷ける部分がある。

 何故ならば、私は言葉により期せぬものを知っているからだ。それは過去、私の源泉となっている。言葉の魔性に取り憑かれた猿であるのは否定はしないが、この場合注目して貰いたいのは形と意味と価値、この三軸である。

 私の人生で、私を形成した哲学。論理の基礎板だ。私の中で言葉とは形に意味と価値を付与するツールであると同時に、形でもあるのだ。


 と、堅苦しくつらつらと述べては筆者を困らせてしまうもの。

 面白かったです、その着眼点と筆に心より賛辞を。