連行
「……姉さん。
茜伯母さん、すごいところまで調べてくれてた。
さすが、科捜研に教えてる側なだけのことはあるわ」
麗眞はそう言って、モニターに吸入器を映した。
さすがは耐火性の執事服に包まれていたと言うだけあり、焦げてもいなかった。
「吸入器の内部に、特殊な保持リングが使われてた。
この部品、“城竜二家”が専属で使ってる医療メーカーの物なんだ。
一般には流通しない。
扱えるのは……城竜二家の専属医師だけだ。
しかも、この保持リング……医療器具の中でも特殊らしい。
取り外すには“城竜二家医療室専用の解除キー”が必要なんだ」
「解除キー……?」
「普通の医者じゃ触れねぇよ。
つまり——この吸入器を分解して細工できたのは、 城竜二家の専属医師だけってことだ」
空気が一瞬で凍りついた。
パパが、苦々しく呟く。
その呟きは、石を吐き出すように重かった。
「……過激派の連中が動いたんだろう。
美崎さんの“穏健策”を止めるためにな。
「藤原くんを殺したのは—— 城竜二家の専属医師。
そして、その背後にいるのは当主。
つまり、美崎さんの 母親が動いたってことになるわね。
藤原くんが、美崎さんとよく会っていた。
何せ、執事は日替わりだったらしいもの。
何か動かれる前に、それを止めようと考えるのも自然だわ」
さすが、現役検察官のママが言うと、言葉の重みが違う。
藤原が、死ぬ間際に守り抜いた吸入器。
そこに残っていた、真相。
犯人は—— 最初から、ひとりしかいなかった。
麗眞が画面を切り替えようとしたその瞬間、 スマホがもう一度震えた。
「……依頼してないのに、ここまで調べてくれたとはな。
科捜研もとい茜伯母さん、さすがだ。
FBIにも認められて合同捜査したことある経験は、伊達じゃないな。
彼は届いたデータを確認し、一瞬だけ顔をしかめた。
「姉さん、これ……心臓に来るかもしれねぇけど」
そう言うなり、モニターが切り替わった。
画面に映ったのは――
吸入器の底、金属パーツの隙間に挟まっていた、 小さな紙片。
焼け焦げの縁がひらひらしている。
その中心部分だけ、不自然にそのままだった。
「……何よ、これ」
私の声が自然と震えた。
麗眞が静かに言った。
「吸入器が“執事服で包まれてた”おかげだ。
耐熱加工に守られて、この紙片だけ無傷に近かったんだとよ」
画面が拡大される。
紙の中央には、震えるような細い字で、こう書かれていた。
『対象:藤原
・左肺:術後癒着(X線No.146)
・右鎖骨下に旧骨折痕
・咳:吸気前に一拍止まる癖
・握力弱→吸入器は左手で保持
・身長165〜168
・歩行:右足わずかに引きずる(狙撃の後遺症)
・香りなし(石鹸)
※顔での識別不可。
※ICS/LABA=吸入ステロイド+長時間作用型β刺激薬
吸入器=目印
→取り違え厳禁。
紙の下端にだけ、かろうじて判別できる走り書きが残っていた。
……間違えたら終わる』
私の胸が、ぎゅっと締めつけられた。
書かれていたのは、藤原だけの特徴。
そして何より―― パパが低く言い放った。
「相貌失認の専属医師……
美崎からそんな人がいるって、聞いたことがある。
藤原は、このメモをとっさに犯人の服から掴んだのかもな。
そして、吸入器ごと守ったんだ。
真犯人を、示すために。
健気な男だな、藤原くんは」
パパの言葉に胸が締め付けられ、視界が滲む。
藤原は、 自分を殺すために使われた“特徴メモ”ごと残したんだ。
最後の最後まで、 残せる真実は全部残そうとした。
それを思った瞬間―― 身体の奥が熱く弾けた。
麗眞がもうひとつ資料をスライドさせる。
『人の外見の特徴や歩き方』のみがずらりと並んでいるページがあった。
茶色い革のメモ帳。
顔の特徴は一切書かれていない。
それが逆に、『人間の取り扱い説明書』のようで気味が悪かった。
「このメモ帳、車の外で見つかった、って報告があがってる。
城竜二の専属医師、自分の命綱となるこれを、あろうことか現場で落としたんだな。
さっきの吸入器から見つかった紙片はこの手帳のものと一致したよ」
そう言った瞬間。
別荘のドアが大きな音を立てて開いた。
「お話中、失礼するわね」
――その声がした瞬間、私は反射的に振り向いた。
美崎だった。
いつもの強気な雰囲気じゃない。
ミントグリーンのブラウスに、ネイビーのスラックス。
髪は落ち着いたハーフアップ。
メイクも地味だ。
いつもの美崎とは正反対。
美崎が、ため息をつくみたいに肩をすくめた。
「アイツに変装するの、正直すっごく嫌だったんだけど……
仕方なかったのよ。
そうしないと、相貌失認の井上を連れて来られないでしょう?
メモ帳をなくしていた間しかチャンスなかったから」
言われて、矢吹と美崎が同時に後ろへ視線を向けた。
そこに立っていた中肉中背の男――井上の顔が、ほんの一瞬、歪んだように見えた。
どこを見ているのか分からない目だった。
人の顔だけが彼の視界から抜け落ちているみたいな、そんな感じ。
普通なら、初めて会う相手を見たら一度は目が合う。
でも井上の視線は、私の肩の横や、壁の影や、
少しズレた一点にだけ滑っていた。
逸らしているんじゃなくて、そもそも“合わない”。
井上の首が、かくりと揺れ、焦点の合わない目が、モニター内のメモ帳に向いた。
彼の白衣の袖が、音もなく揺れた。
彼の腕が白衣の内側に沈んだ。
カチッ。
乾いた音。
井上の手に握られた金属――
あれが、スタンガン。
「……麗眞、あれって」
「姉さん、スタンガンも知らないのかよ」
後ろから呆れ声。
こんなときまでうるさい。
「美崎、危ないから下がっ――」
言い終わる前に、美崎が真っ先に飛び掛かった。
合気道だか何だかの構えで、井上の腕を取ろうとしたけど――
バチッ。
「……っ!」
火花が走ったと同時に、美崎の身体が弾き飛ばされた。
彼女の細い身体は鈍い音とともに床へ転がり、息が止まったような静寂が落ちた。
「美崎さま!」
相沢さんの叫びが震えている。
いつも冷静な相沢さんにしては、ここまで感情を表に出しているのが珍しい。
彼が悲鳴を上げて駆け寄ろうとした、そのほんの一拍の隙。
野村が音もなく井上の背後へ回り込み、頸動脈に注射を打ち込んだ。
「……な、に……っ」
井上の足元がふらつき、白衣ごと揺れたと思ったら、膝からガクンと崩れ落ちた。
スタンガンが床に転がり、金属音が乾いた.
野村は静かに針を引き抜き、覆面のように無表情のまま言った。
「麻酔薬です。
先ほど――美崎さまのポケットから、落ちましたので。
使用させていただきました」
呼吸の荒い美崎が、床を押して体を起こす。
唇がわずかに震えていた。
「……これでも一応“医療従事者”よ。
ま、獣医だけど。
多少は扱えるわよ、こういうの。
護身用に持ってたの」
彼女の声は、かすかに揺れていた。
空気はまだ刺すように張りつめていた。
パパと麗眞が、倒れた井上を無言で拘束していく。
矢吹がサッと手助けに入り、三人で淡々と、作業を進めた。
崩れた白衣の裾が引きずられ、そのまま別荘のドアの向こうへ運ばれていった。
現地警察に、身柄は引き渡されたという。
「……やっとね」
美崎は額の汗を拭いながら、低く呟いた。
彼女を助け起こしていたのは、相沢さんだった。
彼は弾みで落ちたであろう、彼女のスマホを手渡している。
「美崎さまのですよね?」
「あら、落としてたのね。
拾ってくれてありがとう」
彼の視線はほんの一瞬、スマホからぶら下がったお守りに向いた。
「清々したわ。
あいつ、私の寝込み狙って何度も部屋に来てたのよ。
気色悪くて仕方なかったわ」
その瞬間、相沢さんの表情がひやりと変わった。
血の気が引いた顔は、遠目にでも分かるほどで。
彼の視線は、井上が運ばれていった扉から動かないままだった。
ふと自分の従者の顔を見つめていた麗眞は、ニヤリと口角を上げていた。
あの顔は、何かに気付いた顔だ。
「彩。
大丈夫?」
ママがそっと私の肩に触れた。
瞳の奥に、心配の色が滲んでいた。
その優しさに、張っていた胸の奥が揺れた。
「……ママ」
「本当に、ごめんなさい。
ちゃんと全部言うべきだった。
でも……これは彩が自分で越えるべきだと思ったの」
喉が熱くなる。
でも、泣きたくなかった。
私は息をゆっくり吐いて、顔を上げた。
「……大丈夫。
ママも、パパも、麗眞も、高沢も、矢吹も、美崎もいるし。
私、そんなに長くは沈まないわよ」
「それでこそ、彩お嬢様です」
矢吹の声は、いつもと変わらず静かだった。
確かに、ごくわずかだけ震えていた。
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