命がけの証拠

 奈留が処置の末、流産してから1週間が経った。


 私は、まだフランスの別荘で過ごしていた。


 奈留の旦那、雅志が病院を継ぐ必要はなくなった。


 そのために、無理を押して頑張った身体は、鉛のように重かった。


 眩しい朝の光が、起きろとばかりにカーテンから突き抜けて、目に刺さる。


「もう、朝なのね」



 コン、コン。


 間を空けない、短いノックの仕方。


 矢吹じゃない。


 彼なら、もっとノックの間隔が長いのだ。


「姉さん?


 起きてるか?」


 ノックの主は、弟の麗眞だった。


「何よ麗眞。


 こんな朝からアンタが私に用があるって珍しいじゃない。


 どういう風の吹き回しよ」



「この間、少し話したろ。


 オレが実況見分に付き合った焼死体があったって。


 あれ、結局徹夜だったんだけど。


 まる5日かかったよ、身元判明まで」



 眠そうに欠伸を噛み殺しながら、淡々と、事実だけを話していく麗眞。


 ふと顔を向けると、ほんの少しだけだが、やつれたように見える。


 どこかで予感はあった。


 麗眞が私に話すってことは、私と関わりがあった人物?


「ここじゃなんだから、リビング来いよ、姉さん」


 ゆっくり、螺旋階段を降りてリビングに向かった。


 そこには、家族が全員集合していた。


「ママ!?


 MLBは?


 アメリカは?」


「それどころじゃないわよ。


 ごめんなさいね、彩。


 貴女の大事な人を、守れなかったわ」


 ママの目が、少し赤く腫れていた。



 パパも、ようやく絞り出せたといったような低い声で、呟いた。


「何か仕掛けてくると予想していたんだが。


 美崎さんからも、警戒しろと言われていたからな。


 こんなことになるとは。


 すまないな。


 彩。


 覚悟して聞け。



 遺体の身元は、藤原拓未くんだよ」



 は?


 何この人たち。



 皆で寄ってたかって、私をおちょくってるの?



 家族の言葉が、耳の奥で反響していた。


「藤原……?」


 私の声は、自分のものじゃないみたいに掠れていた。


「姉さん。


 無理にとは言わない。


 崩れる姉さん、見たくねーし。


 でも、現場を見たいなら、任せる。


 決めるのは姉さんだ」


 麗眞の声がやけに遠い。


 私は首を振ろうとして、止まった。


 逃げたら、もっと取り返しがつかなくなる気がした。


「……行く」


 その一言で、部屋の空気が変わった。


 パパが車を手配し、相沢さんが私の肩を支える。


 気づけば私は、車のシートに深く沈み込んでいた。


 窓の外の景色なんて、何一つ頭に入らない。


 車の焼け跡を見た瞬間、胸の奥がぐしゃっと潰れたように痛んだ。


 もう司法解剖は終わったらしく、無残に焦げた黒い塊も、藤原の遺体も現場にはなかった。



 どうして……


 どうして、藤原がこんなところで。


 絶対安静で入院していたはずでしょう?


 病室のベッドから動ける状態じゃなかったはずなのに。


 溢れてくる涙は、止まることがなかった。


「ここにいても、何も出来ることはないわ。

 貴女がつらいだけよ。


 リビングに戻りましょう」


 私の肩をそっと叩いて、ママがそう言ってくれた。



「藤原……何でよ!


 何で死ななきゃならなかったのよ!


 真面目で、気が利いて、私にだけ心配性で……


 そんな人が……何で……」


 車内でも、溢れる涙と嗚咽は止まらなかった。


 横にいる麗眞が、そっと私の手を握ってくれた。


 どれだけ泣いても、叫んでも、藤原が死んだ事実は変わらない。


 それなら、せめて……藤原が“どうして死んだのか”だけは、知りたい。


 知らないほうが、もっと怖い。


 この先、藤原に顔向けができないじゃない。


「彩。


 藤原さんは自殺とか事故とか、そんな死に方をする人じゃないわ。


 貴女が一番、そのことを知っているでしょう?


 何せ、藤原は矢吹さんの前の貴方の執事だったんだから」


 その言い方はずるい。


 その言葉に、背筋がピンと張った。


 ――そうよ。


 藤原が、人に迷惑を掛ける死に方をするわけがない。


 絶対に。


 あんなに真面目で、私にだけ優しくて、心配してくれる人が。


 そんな風に、命を絶つなんて――


 車は、別荘の車止めに音もなく停車した。


 車を降りて別荘のリビングに戻ると、ペコリと頭を下げた男がいた。


 宝月の専属医師の野村だった。


 相変わらず、少し黒髪の襟足がピンと立っている。


「野村……」


「彩さま。


 僭越ながら、高沢医師と協力して遺体の司法解剖をした身ですので。


 藤原さまのこの度の事件の全てをお伝え出来ればと思いまして、参りました」


 タブレットが、TVのモニターに繋げられている。


 そこには、ある写真が映っていた。


 現場の写真だろうか。


 車のシートにまるで畳まれたみたいに、布が丸まっている。


「率直に申し上げます。


 彼が気管支炎喘息を患っていたことはご存知ですね?


 その発作を抑える薬で、彼は、命を落としました」



 何言ってるの、この人。


「藤原が、処方された薬の飲み方を誤るわけがないわ。


 藤原は真面目だから。


 絶対、処方通りにしか使わないはずよ!」


「その吸入器に、細工がされていたとしたら、どうなると思う?」


 麗眞の声で、空気が変わった。



「藤原さんの場合、既定量の5倍以上の薬剤が検出されました」


「5倍……?」


「はい。


 内部に二重のカートリッジが組み込まれていました。


 通常の使用では安全です。


『特定の順序で空打ちを繰り返したときのみ、最後に濃縮された薬剤が一気に吸入される』ようになっていたんです」


 背筋がゾクッとした。


 なにそれ。


 仕組まれてた、ってこと?


「ちなみに、その薬剤は過剰に摂取すると、不整脈……


 最悪は急性心不全を起こします。


 藤原さんは、それで……」


 私は思わず壁に手をついた。


 視界が揺れた。


 ぐら、と身体が揺れたのを、支えてくれたのは麗眞だった。


「あっぶねーな。


 ほら、ソファー座ってなよ、姉さん」


 言われたとおり、ソファーに浅く腰掛けた。


 身体の沈み具合は、私の心の内を表しているようだった。


 藤原が、そんな殺され方を――?


「じゃあ……誰かに、殺されたってこと!?」


「その通りだ」


 麗眞が静かに頷いた。


 ママが、その後の台詞を引き継いだ。


「犯人は車ごと藤原を燃やそうとしたんでしょうね。


 でもね――」


「……でも?」


「彼は気づいたんでしょうね。


 吸入器が“おかしい”って。  


 そして、遅かれ早かれ自分が殺されることも、彼は予測してたみたいだし」


 時間が止まったみたいだった。


 そんな、自分がいつかその命を終えるって、分かってたの?


 事故に巻き込まれるでも生を全うするでもなく、


 誰かに殺される、という最悪な形で。


 静かに、麗眞が口を開いた。


「喘息の発作が起きて、吸っても一向に発作が治まるどころか、ひどくなっていく。


 その時点で、彼は気づいたんだろうな。


 吸入器に細工されている”と」


 命を守るもので、逆に命を落としたというのか。


 そんな……そんなの、あんまりだ。



「彼は、何もせず無抵抗で殺されたわけではございません。


 藤原さんは最後の力で、吸入器に自分の執事服を被せたんです」


「執事服……?」


「彩さま。


 私どもが毎日着ている執事服は防火・耐熱加工で作られております。


 写真の中で丸まっているものがそうです。


 この下から、例の吸入器が発見ました。


 今、科警研で解析をしていますので、こちらには写真しかありませんが。


 半日燃え続けた割には、吸入器と執事服だけは無傷だったそうです。


 この吸入器が執事服で包まれていたのなら納得できます。



 藤原は―― 自分が助からないと悟りながら、“真相だけは残そう”としたんだ。


 火の手が回る中で、震える手で服を脱いで、吸入器を包んで。


 誰かが他殺の証拠を見つけることを、信じて。


 あの人らしすぎて、泣きたくなった。



 車の灰の中で、ただひとつ残った吸入器。


 それが、――藤原の最期のメッセージだった。


「誰なのよ!  


 藤原を……藤原を死なせたのは!!」


 声が枯れても、叫ぶしかできなかった。


 

 藤原が遺した“真相”を、絶対に無駄にしない。


 そんな空気を、麗眞のスマホの着信音が破った。


「麗眞だけど」


「ホント?


 さすがは茜伯母さん、ナイスなタイミングですよ。


 分析早くて助かります。


 データ、すぐ飛ばしてください。


 無事に受け取りましたよ。


 これで、何とかなります。


 失礼します」


 何?


 何なのよ。

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