まさかの再会

矢吹、南と続いて中に入る。


足音が静かな廊下に吸い込まれていく。


さっきより冷たい空気が肌にまとわりついて、背筋が冷えた。


音は……地下だろうか。


コンクリート越しにくぐもった振動が、足裏にわずかに伝わってくる。


嫌な予感しかしない。


矢吹がすかさずペンライトタイプの懐中電灯を取り出す。


暗がりに白い光が伸び、階段のコンクリートの壁を照らした。


地下へ降りると、湿った空気がふっと顔に触れる。


薬品とも土の匂いともつかない冷たい匂いがした。


その中央に――


腕と脚をロープで幾重にも縛られた美崎がいた。


「美崎!? 


貴女、大丈夫なの?」


思わず駆け寄りそうになった足が、床の冷気でぴたりと止まる。


「彩……


貴女に忠告はしたはずよ。


あのコンテストの日。


私に関わると、ろくなことにならないって」


その声はかすれていて、でも強がりだけは昔のままだった。


胸が痛いほど懐かしい。


「知ってるわ。美崎。


昔から、貴女が不正なことや詐欺まがいが一番嫌いだってこと。


だからでしょ?


自分で不本意ながらそういう行為をして、この城竜二財閥から追放される。


そうすれば、この世界から足を洗える。


……違うかしら?」


「そうよ。


大嫌いよ。


この財閥も、母親も。


私は、ちゃんとこの城竜二財閥を次期当主としてクリーンなものに変えるの」


やっと……聞けた。


ずっと胸に押し込めていた彼女の本音が。


彼女の瞳が薄暗がりの中で揺れる。


そのとき――


乾いた、金属が裂けるような銃声が響いた。


空気が跳ね、全身が硬直する。


「な……何?」


「今のはね、空砲だよ」


暗闇の奥から男の声。


低く、ねっとりとした響き。


ペンライトの光が揺れる。


その先で、黒い影が銃を持っていた。


「美崎さまが今持っている資料を差し出さないなら、今度は本気で撃つよ。


君も一緒にね? 


宝月のお嬢さん」


くっ……!


喉が乾く。


背骨の奥が冷たくなる。


矢吹……何とかしなさいよ……!


こういうときには、いちばん頼りになる人でしょ?


暗闇に目が慣れてくる。


その瞬間、矢吹の顔が視界に入る。


「えっ……」


彼は顔をしかめ、腕を押さえている――



出血している。


「空砲とかいうのは嘘。


実は一発だけ実弾でしょう? 


こすい手ね。



そういうところが大嫌いなのよ。



ねぇ、蒲原」


美崎の声は震えていない。



むしろ鋭い。



影の男――蒲原かまはらは薄く笑った。


城竜二家の使用人。



「さぁ?


美崎さま。

資料を……早くお渡しください」


「バカね。


例の資料は、暗証番号を入れないと開かない金庫に入れたわ」


美崎は、痛みに耐えるように顔を上げる。


「ここ、私の恩師の病院でね?


暗証番号は知らなかったけど……


四桁ってことは分かった。


残り少ない指紋検出粉で開けたの。


もう粉はないし、暗証番号も分からないわよ」


途端に、蒲原の目が細くなった。


銃が、迷いなく構えられる。


「心から死をお望みのようですね?


美崎さま」


美崎は縛られたまま、逃げることすら出来ない。


「美崎……!」


気づいたら私は走り出していた。


身体が勝手に動いた。


考えるより先に、彼女を庇っていた。


――その瞬間。


私の上に、誰かが覆いかぶさってきた。


衝撃と共に、温かい液体が頬に飛んだ。


「いけませんよ?


自ら命を捨てるなど。


あの時、私の兄が守った命は、大切にしてほしいものです。


宝月 彩お嬢様。


私は、貴女さまには世界一幸せになってほしいのですから」


「……え?」


聞こえるはずのない声だった。


夢で何度も聞いた、懐かしくて、胸の奥を締めつける声。


藤原――。


「ちょっと!


何で藤原がここにいるのよ!


アンタ……辞めたんじゃないの?



宝月家の執事。


しかも何よ!


私には下の名前教えてくれなかったくせに!」


「ええ。


ですが……こうして親友のためなら無茶をされる貴女さまを、見ていられませんでした。


出過ぎた真似を。


失礼いたしました」


バカ……!


なんで……こんな形で……。


もっと、違う再会が良かったのに。


何で血だらけで現れるのよ……。


「ちょっと……待ちなさいよ!


藤原っ……!」


ヤバい。


出血の量が……尋常じゃない。


右腕と右足に一発ずつ打たれている。



私も美崎も無傷――藤原が全部受けた。


私の服も血で重くなってきた。


そこへ、蒲原が薄く笑う。


「ふふ。君もよく働いてくれたね……


藤原拓未ふじわらたくみくん。


だけど残念だよ。


今度は外さない。


私は元軍人でね、先程のようにわざと外すのはストレスだったんだ。


今度は外さないよ?」



銃口が藤原の胸元へ向けられる。


引き金にかかる指に、ゆっくりと力がかかる――


「何をしているのかしら、蒲原くん。


当主の命令外のことをする執事は……解雇するしかないわね」


聞いたことのない声。


次の瞬間、蒲原の身体が跳ね上がり、股関節を蹴り上げられて床に崩れた。


え?


何が起きたの?


「似てた?


似てた?


城竜二家当主のモノマネ」


宙を舞う拳銃を軽やかにキャッチしたのは――麗眞。


薄暗い地下でもわかる、あの自信満々の笑み。


……もう、カッコつけすぎ。


麻酔薬入りの警棒を持った相沢さんが、倒れた蒲原の首筋に当てる。


男の体が痙攣し、静かに沈んだ。


「ありがとうございます……助かりました」


美崎の声が震える。


「別に、アンタのためじゃねぇよ。


姉さんのためだ。


言っておくが、俺はそう簡単にアンタを許す気はない」


その横で相沢さんが蒲原を見つめ、冷たい殺意のような視線を投げる。


ゾクリと背中が冷える。


その後、野村の乗ったドクターヘリが到着し、藤原はすぐに運ばれた。


念のため、私と矢吹も一緒に。


美崎も精神的ショックが大きく、病院へ搬送された。

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