理由
無事でいてほしい
宝月家がプランを立てたあの旅行も、どうやら無事に終わったみたいね。
良かったわ。
あのバカップルに何事もなくて……。
でも、ハイキングのときには、奈留が高山病になったみたい。
やれやれ、まあ、健康第一よね。
久しぶりに職場に顔を出してみたけれど、雅志は意外と元気そうだった。
奈留ちゃんがフランスに行っちゃって、彼なら落ち込んでいるんじゃないかと思ったのに。
仕事を手につかないくらい落ち込んでいたらどうしようかと思っていたのだけれど。
「何よ。
案外元気そうじゃない」
私の眉が、思わず跳ねる。
「そういうものでございますよ」
矢吹の無表情な答えに、つい鼻で笑ってしまう。
あら、そうなの……。
まあ、私が雅志の代わりにフランスに行って、奈留の様子を見てきてもいいのだけれど……。
そんなことを考えていると、私の携帯が震えた。
画面には『国際電話』とだけ表示されている。
嫌な空気が、ほんの一瞬で胸に落ちてきた。
麗眞に、美崎と話したことを伝えたのはあの祝
賀会の夜。
その直後、あの子は美崎の住む別荘へ飛んで行った。
相沢さんに城竜二家の使用人の変装まで頼んで。
忠誠心が厚いにもほどがあるわ。
相沢さんって、ほんと“麗眞の執事”って感じよね。
「もしもし。
何よ、なんで国際電話?
テレビ電話あるでしょうが」
『そんな悠長なこと言ってる場合じゃねえって!
情報をやる。
美崎さんの使用人。
姉さんの病院から資料盗んだのも、株価暴落させたのもそいつだ』
「……は?」
一瞬で、背中に冷たいものが流れた。
てっきり美崎本人だと思ってたのに。
「ねぇ、それ本当なの?」
『本当だよ。
ただな、例の資料、城竜二家の金庫から消えてる。
何者かに持ち出されたらしい』
「ちょっと意味わかんないんだけど……」
混乱よりも先に、胸の奥に嫌な予感が立ち上がった。
美崎、アンタまさか――。
『彩、俺たちも急ぐ。
そっちで動け』
「分かったわ。
私も行く。
あんたは情報集めて。
美崎のこと、徹底的にね」
『了解。
……気をつけろよ?彩』
「麗眞?
何よその呼び方。
いつも“姉さん”でしょうが」
『彩、バカなの?
この会話が盗聴されてたらどうする。
彩との関係が知られたら厄介なんだよ。
何かあったとき、被害受けるのは俺だけでいい』
……なにそれ。
やけに格好つけたこと言っちゃって。
パパ似ね、本当に。
そういうところは。
電話の向こうの麗眞の声に、普段とは違う温度を感じた。
電話を切ったあと、私は矢吹に命じた。
「南に頼んで、大至急自家用ジェットを回しなさい!」
言い終わるか終わらないかのうちに、南の手配でチャーター機が到着する。
さすが、宝月の使用人ね。
仕事が早いわ。
普通なら8時間かかるところを、南の操縦するチャーター機なら5時間で済む。
フランスに着いても、時差ボケなんてものはなかった。
慣れた空港の匂い、滑走路に広がる冷たい風。
これくらいなら朝飯前、とでも言いたげに、身体が自然に順応する。
――それより、美崎。
アンタ、今どこにいるのよ。
麗眞は情報を掴めたのかしら。
胸の奥の嫌な予感は強くなり、心臓が圧迫されるようだ。
そんな気持ちを抱えたまま、病院に向かった。
建物は驚くほど静かだった。
光が白い廊下へ差し込み、消毒の匂いがふっと鼻をかすめている。
ひんやりした空気が、どこか不吉な予感を連れてきた。
「彩お嬢様、急いだほうがよろしいかと」
矢吹の声は低く、妙に切迫していた。
「南から聞きました。
城竜二家の奥様と美崎さまに、血の繋がりはありません。
美崎さまは養子ゆえ、次期当主にはなれない存在です。
……ゆえに、身に危険が及ぶ可能性がある」
「は?」
足が止まり、冷たいものが背筋を走った。
あの子、そんな立場だったの?
私には一言も、そんなこと言ってくれなかったじゃない。
南の声は落ち着いていたけど、言葉の端々に焦りが滲む。
「現在、城竜二家の使用人はすべて奥様の指示で動いています。
盗んだ資料を返すなど、当主への“反逆”となり得ます。
美崎さまは財閥にとって非常に危険な存在です」
心臓が、痛いほど速くなる。
「ちょっと……それ、もっと早く言いなさいよ!」
吐き捨てながらも、指先がかすかに震えているのが自分でも分かった。
美崎にもし何かあったら?
誰が守るのよ。
保証なんてどこにもないのに。
矢吹が、淡々と言葉を続けた。
「財閥は秘密を漏らされることを許しません。
重要な情報ほど、どんな手段でも阻止するでしょう。
……美崎さまの命を断つことさえ、選択肢に入ります」
……嘘……でしょ。
喉がきゅっと狭くなる。
私は息を大きく吸って、強引に気持ちを立て直した。
「とにかく急ぎなさい!
美崎を無事に救い出すのが最優先よ!」
矢吹も南も、すぐに動き出した。
廊下に靴音が反響し、その音すら不気味に響く。
私は深呼吸をひとつして、病院の奥へと進んだ。
この扉の向こうに、美崎がいる。
でも――
あの子の無邪気な笑顔なんて、もう二度と見られないかもしれない。
嫌な想像が胸を締めつける。
扉に手をかけた瞬間――
ゴトン。
遠くの廊下の奥で、何かが倒れるような音がした。
心臓が跳ねた。
何なの……?
誰かいる……?
「お嬢様、ここは私どもが先に入ります。
お嬢様を危険に晒すなど、執事として失格です」
矢吹の言葉に、胸の奥に張りついていた不安が、ほんの少しだけ和らいだ。
彼の言葉に押されるように、私は扉を強く押し開けた——。
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