第12話 聖女様、初めてのお買い物

「お買い物……! 私、人生初体験です……!」


目をきらきらと輝かせ、そう意気込むリリアーナ。そのあまりの期待に満ちた表情に、俺も自然と笑みがこぼれる。

しかし、問題があった。この神々しいまでの純白のドレス姿で、街を歩くわけにはいかない。

間違いなく注目の的になり、面倒なことになるのは目に見えている。


「とりあえず、そのドレスは脱いでくれ。代わりに俺ので悪いけど、これを着ていってくれ」


俺はクローゼットから、まだマシな状態のTシャツとジーパンを引っ張り出してきた。

リリアーナは「えっ、外に出る際はこのドレスが聖女の正装なのですが……」と一瞬ためらったが、俺の真剣な表情を察して、素直に着替えてくれた。


そして、リビングに戻ってきた彼女の姿を見て、俺は思わず息を呑んだ。

俺の男物のTシャツに、裾を何度も折り曲げたぶかぶかのジーパン。

サイズも合っていなければ、性別も違う。

それなのに、だ。彼女の神がかった美貌は、全く損なわれていない。

むしろ、普段の荘厳なドレス姿とのギャップが、えもいわれぬ魅力を引き出していた。


だが、それ以上に俺の視線を奪ったのは、彼女の胸元だった。

俺が着ると少し余裕のあるMサイズのTシャツが、彼女の豊かな胸のせいで、ぱっつんぱっつんになっているのだ。

シャツにプリントされたブランドロゴが、面白いぐらいに横に引き伸ばされている。

その存在感が、あまりにも目に毒すぎる。


「……っ、一刻も早く、君に合った服を買わないとな……」


俺は慌てて視線を逸らし、誰に言うでもなく呟いた。


「悠人様? どうかなさいましたか?」


不思議そうに首を傾げるリリアーナ。いや、君のせいなんだが。

彼女は俺の様子を訝しんだ後、ふと心配そうな顔になった。


「お洋服を買うということは、お金が必要だということですよね? 私はこの世界のお金を持っておりませんが……どうしたら、お金を入手できるのでしょうか……?」

「ああ、それは大丈夫だ。俺が払うから」

「ですが、そんなご迷惑は……!」

「迷惑じゃないって。両親からの仕送りもあるし、バイトもしてるから、服を買うくらいの余裕はある。だから心配するな。……まあ、あんまり高いのは無理だけどな」


俺が苦笑いしながら補足すると、リリアーナは胸の前で手を組み、痛ましげな表情で俺を見つめた。


「何から何まで……。昨日出会ったばかりの私のために、本当にありがとうございます。このご恩は、返しきれる気がいたしません。もし、元の世界に戻ることができましたら、是非ご一緒にいらしてください。私の持つ財の全てを、貴方様に差し上げますので」

「いや、気持ちだけ受け取っておくよ……」


国の象徴である聖女様の財産なんて、想像もつかない額だろう。

だが、それよりも、彼女のその純粋な気持ちが嬉しかった。

それに彼女の世界で生きていける自信もない。

魔物がいる世界でなんて俺みたいなただの人間は瞬殺だろうよ。


家を出て、俺たちは最寄りのバス停へと向かう。

目的地は電車を乗り継いでいく都心よりも、バス一本で行ける郊外の大型ショッピングモールだ。

やがてやってきたバスに乗り込むと、案の定、乗客たちの視線が一斉にリリアーナへと突き刺さった。

男物の服を着ていても隠しきれない、その異次元の美貌。

車内のあちこちから「うわ、すげぇ美人……」「モデルかな?」といったヒソヒソ声が聞こえてくる。


そんな周囲の反応など露知らず、リリアーナは人生初の自動車に大興奮だった。

空いていた後方の座席に並んで座るなり、彼女は子供のように膝立ちになり、窓に両手をぺたりと貼り付けた。


「すごい! すごいです、悠人様! 馬車よりもずっと速いです!」

「ちょ、リリアーナ! 」

「見てください、見たことのない建物ばかりです! あの光る板は、昨夜見た『てれび』という魔道具でしょうか!?」

「それは広告用のモニターだ! いいからちゃんと座れって!」


俺が必死に彼女を座らせようとするが、興奮状態の聖女様は止まらない。

その様子を見て、周囲の乗客たちがクスクスと笑っているのに気づき、俺の顔にブワッと熱が集まる。

リリアーナも、ようやく周りの空気を察したのか、顔を真っ赤にして「し、失礼いたしました……!」と慌てて座り直した。


そんな俺たちのやり取りを微笑ましげに見ていたのか、隣の席に座っていたお年寄りの女性が、にこにことリリアーナに話しかけてきた。


「お嬢ちゃん、バスに乗るのは初めてかい?」

「はい! この世界の技術は本当に素晴らしいですね! これほどたくさんの人を乗せて、こんなに速く移動できるなんて、驚きです!」


満面の笑みで答えるリリアーナ。

おばあさんは「ふふ、変なことを言う子だねぇ」と優しく笑い、ハンドバッグから取り出した飴を1つ、彼女にくれた。


しばらくバスに揺られ、目的地のショッピングモールに到着する。

バスを降りた瞬間、リリアーナはその巨大な建物を前にして、あんぐりと口を開けた。


「……悠人様。ここは、国王陛下のお住まいになるお城……か何かでしょうか?」

「はは、違うよ。ここは、いろんな店が集まった、買い物をするための場所だ」


俺が笑いながら答えると、リリアーナは「こ、こんなに大きなお城全てがお店なのですか……!?」と、さらに驚きを増していた。


自動ドアを抜け、モールの中に足を踏み入れる。

平日だというのに、中は大勢の買い物客でごった返していた。

その人の多さに気圧されたのか、リリアーナは不安そうな顔で、俺の上着の袖をぎゅっと掴んだ。


「どうかした?」

「いえ……その……。私の世界でどこかへ出かける際は、常に騎士や従者の方々が周りを固めて警護してくださいました。ですので、これほど人の多い場所に彼らがいないというのが……少し、怖くて……」


震える声でそう言う彼女を見て、俺はハッとした。

常に護られて生きてきた彼女にとって、この雑踏は脅威に感じられるのかもしれない。

俺は、彼女を安心させるように、できるだけ優しい声で言った。


「大丈夫だよ。昨日も言ったけど、この世界には盗賊も魔物もいないから。それに……」


俺は、彼女の不安を少しでも和らげたくて、つい、口が滑った。


「騎士と比べたら、頼りないかもしれないけど……俺が、一緒にいるからさ」


言った後で、自分の言葉のあまりの恥ずかしさに気づく。

うわ、何言ってんだ俺! キザすぎるだろ! こんなのは俺のキャラじゃないだろ!

顔から火が出るような感覚に襲われ、俺はそれを誤魔化すように早口でまくし立てた。


「と、とにかく! まずは婦人服売り場だ! 行くぞ!」


俺はリリアーナの手を引くようにして、人の波をかき分けながら、足早に歩き出した。

背後でリリアーナが「悠人様……?」と不思議そうな声を上げていたが、今の俺には振り返る余裕なんてなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る