第7話 老村長(おさ)の知恵と外界の影
僕が七歳になった年の秋、ガルドルフ村は活気に満ちていた。僕が教えた発明の数々が村の生産性を高め、ダリアナおばちゃんのパンは近隣の村からも客を呼ぶほど評判になっていた。
僕の世界である村の平和は揺るぎないものに思えた。
その日、村の中央広場に、見慣れない幌馬車が止まっていた。遠方からやってきた商人の一行だ。彼らは村の特産品である毛織物や、ダリアナおばちゃんのパンを目当てに来ていた。
僕は、村長のガルドルフ爺さんの隣で、静かに彼らの様子を観察していた。爺さんはもう六十近くだが、その瞳は穏やかで、村全体を包み込むような優しさを持っていた。
「ソウル、よく見ておけ。商人はな、村の外の世界を運んでくる。彼らの言葉には、外の風と、欲が混じっている」
爺さんは僕の頭を撫でながら、静かに言った。
馬車の前で、ガルドルフ爺さんは外からやってきた一人の商人。恰幅がよく、指に大きな真鍮の指輪をはめた男と交渉をしていた。男の名はバレンティンといい、遠く離れた外の国、ゼーランド帝国の商人だという。
「村長さん、このパンは素晴らしい。わが帝国でも、これほどの技術はありませんよ。ぜひ、大量に買い付けたい。ですが、その代わりに、わが商会の上質な鉄を、通常の半額で提供しましょう」
バレンティンは、いかにも儲け話であるかのように、爺さんに囁いた。
ゾッドおじさんの鍛冶場では、僕が教えた蒸気機関の応用技術を試すために、良質な鉄が常に不足していた。ガルド兄さんは、この話を聞いて目を輝かせていた。
「爺さん! そいつは破格だぜ! 受けろよ!」
しかし、ガルドルフ爺さんは微動だにしなかった。
「感謝するよ、バレンティン殿。だが、その鉄は要らぬ」
バレンティンは驚き、顔に貼り付けていた笑顔を消した。
「なぜです? 村に必要なものでしょう」
ガルドルフ爺さんは、僕に目配せをした。僕は静かに頷き、爺さんの隣に立った。
「バレンティン殿。貴方が提供しようとしている鉄は、確かに質は良い。だが、その鉄には、通常の鉄には含まれない硫黄(いおう)の成分が、微量ながら混じっているはずだ」
僕がそう言うと、バレンティンは目を見開いた。
「硫黄の混じった鉄は、熱を加えると脆くなりやすい。鍛冶の道具や建築材には使えるが、高圧をかける蒸気機関の部品に使うには、向かない。それを破格で売るというのは、不良在庫の処分でしょう。」
僕の知識の断片は、金属の精錬技術についても知っていた。この世界の村人には知り得ない、高度な化学的な知識だ。
ガルドルフ爺さんは静かに続けた。
「バレンティン殿。私たちは、パンを売る。しかし、私たちは、鉄や、他国の道具を必要としていない。私たちは、この村にあるものだけで十分、幸せだからだ」
結局、バレンティンは、爺さんの提示した価格でパンを買い付け、不満を隠しながらも村を後にした。彼の馬車が去っていく後姿は、どこか諦めと、侮蔑を含んでいるように僕には見えた。
商人の馬車が見えなくなった後、ガルドルフ爺さんは深く息を吐いた。
「でも、ガルドルフ爺さん。どうして最初から、その鉄が不良在庫だと知っていたの?」
僕が尋ねると、爺さんは遠い目をした。
「わしは、若い頃、遠い国で商人として働いていた時期がある。外の世界の人間は、嘘をつくことに慣れている。私たちのような小さな村は、常に搾取の対象だ」
爺さんの穏やかな顔の裏に、外界の厳しさを知る影を見た。
「ゼーランド帝国が、最近周辺の小国に対して無意味な高額の武器や使えない鉄を売りつけ弱体化させ、その国を軍事的に従属させているという話を聞いておる。奴はおそらく商売で帝国の先兵を担っておるのであろう」
それは、僕にとって初めて聞く、外界の不穏な知らせだった。
「わしは、この村を、外の争いから守りたい。だから、彼らが求めるものが、僕たちの村には何もないと見せ続ける必要があるんだ」
ガルドルフ爺さんは、僕の手を握りしめた。
「ソウル。お前の知識は、この村を守る盾だ。だが、その力を、村の外の人間には決して見せてはならん。お前が賢いことを知られてしまえば、この村は、彼らの次なる獲物になってしまうからな」
僕が七歳のとき、初めて、この平和な日常が、誰かの意思によって守られている脆いものであることを理解した。僕の秘密が、この村を危険にする可能性があるのだ。
その夜、ユーノお姉さんは僕に新しいシャツを縫ってくれた。
「ソウル、いつか世界を旅するときのために、着心地の良い服を作っておいたよ」
彼女の優しい笑顔と、安らかな寝息を聞きながら、僕は再び、村の平和のために魂のエネルギーを微かに溜め込む。
僕は、この温かい日常が続くことを、強く願う。その願いが、僕の魂を消費し続ける理由だった。
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