第6話 ユーノお姉さんと夏の思い出
僕が六歳になり、ユーノお姉さんが十六歳になった夏。ガルドルフ村は最も輝いていた。僕が教えた水車は村の生活を楽にし、ダリアナおばちゃんのパンは評判を呼んだ。そして、この平和の中心には、いつもユーノお姉さんの存在があった。
ユーノお姉さんは、十五歳で正式に村の大人になってから、食堂での仕事が増えた。幼い頃から僕の世話をしてくれていた彼女は、もう僕の母親そのものだった。
「ソウル、この食器を洗っておいてくれる?お願いね」
彼女は忙しそうに僕に指示を出すが、その声はいつも優しく、僕の行動を信頼してくれているのが伝わってきた。食堂で手伝いをすることは、僕にとっての義務であり、誇りだった。
食器を洗いながら、僕はユーノお姉さんの後ろ姿を眺める。彼女が動くたびに、石鹸と、干したばかりのリネンの布、そして少し汗ばんだ温かい香りが混じり合って漂ってくる。それは、僕が魂とは別に、心の底から安堵する香りだった。
ある日の昼下がり。食堂の喧騒が一段落したとき、ユーノお姉さんが僕の隣に座った。
「ソウル、疲れたでしょ。休憩しよう」
彼女は、僕のために冷たい水をコップに注いでくれた。僕は水では満たされないことを知っているが、彼女の優しさを壊したくなくて、ゆっくりと喉を潤す。
「ソウルは、本当に賢いね。ガルド兄さんは、ソウルの知識がなかったら、今頃どうなっていたか」
彼女は笑った。ガルド兄さんは相変わらずニート気質だが、僕との発明のおかげで、村の皆から「天才発明家の卵」として寛容に見られていた。
「ユーノお姉さんが、ガルド兄さんを褒めるから、兄さんは頑張るんだよ」
僕がそう言うと、ユーノお姉さんは少し恥ずかしそうに頬を赤らめた。ガルド兄さんのユーノお姉さんへの熱烈な想いは、村の誰もが知っている公然の秘密だ。
「もう、からかわないで。でもね、ソウル。私は、いつか村を出てみたいの」
突然の言葉に、僕は驚き、持っていたコップを落としそうになった。
「村を、出る?」
ユーノお姉さんは、静かに語った。
「私、食堂で働いているだけじゃなくて、いつか、村の外の世界を見てみたいんだ。遠い国には、どんな人が住んでいて、どんな美味しいものがあるんだろうって。ソウルが教えてくれる『知識』みたいに、私が見たこともない不思議なものが、きっとたくさんあるんだよ」
ユーノお姉さんの瞳は、遠い空を見つめていた。その憧れは、僕の心を強く揺さぶった。
僕の頭にある知識は、遠い世界のことだ。その世界のことを話せば、彼女の憧れをさらに強くしてしまうだろう。だが、彼女の瞳が輝くのを見たいという、僕の願望もあった。
「遠い国では、空を飛ぶ鉄の箱があるんだよ」
僕は、知識の断片から、飛行機の話を、魔法のような物語として語った。鉄の箱が、鳥のように空を飛び、一瞬で国と国を結ぶこと。人々が、遠く離れた場所の家族に、すぐに声を届けられること。
ユーノお姉さんは、目を輝かせて僕の話を聞き続けた。彼女の憧れは、僕の知識によって、さらに熱を帯びた。
「すごい。私もいつか、その空飛ぶ鉄の箱を見てみたい。ソウル、もし私が出るときは、一緒に行ってくれる?」
「もちろん、行くよ」
僕は即答した。ユーノお姉さんが行くなら、どこへでも。僕の居場所は、彼女の隣にある。
その夜、ユーノお姉さんは、僕が作った「保温庫」のおかげで安定して供給できるようになったダリアナおばちゃんのパンを一切れ、僕に分けてくれた。
「これは、君と私の、秘密の夢のお祝いよ」
パンは、僕の飢えを満たさない。だが、そのパンを分け合う彼女の行為は、僕の「心の渇き」を、深く満たした。
数日後。村はずれの小さな森で、僕はこっそりと魂を集めていた。
狩猟で得た魂は貴重だが、森で静かに絶命した小動物や、枯れた植物の魂も、僕の生存を支える大事な糧だ。
その時、僕は、遠くから聞こえてきた悲鳴を聞いた。
子供たちが森の奥で遊んでいて、村長のガルドルフ爺さんの飼っている大切なヤギが、足を木に挟まれて動けなくなっているのだという。子供たちの声はパニックになっていた。
ヤギはすでに動けず、足を無理に抜こうとすれば、骨が折れてしまうだろう。ベジー爺さんを呼ぶには間に合わない。
僕の体の中には、狩りで得たばかりの、まだ満たされたままの魂の塊があった。
ヤギを助けるには、僕の力を使うしかない。この力は、僕の「願い」をかなえるためのエネルギーだ。
僕は、ヤギにそっと近づいた。ヤギは苦痛に顔を歪ませ、絶望的な鳴き声を上げている。このまま放置すれば、ヤギは足を失い、そして命を終えるだろう。そうなれば、その魂は僕の糧になる。
だが、僕は強く願った。
「ヤギを、苦しみから解放して、助けたい」
このヤギは、ユーノお姉さんやダリアナおばちゃんの乳の供給源だ。そして、村長の大切な家族でもある。この村の平和の小さな一部だ。
僕は、体内の魂のエネルギーを意識に集中させた。
魂が、僕の願いを叶え、願いの力は、物理的な法則を歪ませる。ヤギの足には最初から無理なく木が外れている「現実」を引き寄せた。
ヤギは、驚きながらも自由になり、一目散に村へ逃げていった。
僕の体からは、大きな鹿から得た魂が消費されていた。それは、現実を変える事象が、いかに対価を必要としたかを示していた。
僕は、空になった体内の魂の空間を感じながらも、地面に座り込み、深く息を吐いた。
「助けられてよかった」
僕の生存を脅かすほどの魂を消費してでも、僕は、この村の平和を、小さな出来事一つ一つから守りたかった。
その日の夕方。村長はヤギが無傷で戻ってきたことに心から喜び、子供たちを叱るどころか、皆にパンを配った。
ユーノお姉さんが僕に微笑みかけてくれた。その笑顔だけで、僕の魂の飢餓感は、少しだけ和らいだような気がした。
僕が魂を食らう異質な存在であっても、僕の願いが、この村の幸福と繋がっている限り、僕はここで生き続けられる。六歳の僕は、この優しさに満ちた夏の思い出を、永遠に続くものだと信じて疑わなかった。
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