人虎(ワータイガー)

彼は下級官吏の生まれであるが、屈強な身体と武の才に恵まれ、日々の鍛錬を一日として怠ることなく、その力に比肩するもの無しと謳われ、若くして王の近衛兵として抜擢された剛の者であった。


然し、強さを求めるあまり、周囲との関わりを避け、脆弱なものを蔑み、ひたすら自己研鑽に耽るあまり、城内で疎まれていたのは誰もが知るところである。


その折、砂漠に嵐が吹き荒れて、あの忌まわしき地下迷宮への入口が地上に姿を現し、彼が先遣隊として探索の任に当たることとなった時、軍の中では安堵のため息が漏れた。


彼の者ならば、どんな苦境にも耐えうり、古代の黄金を山ほど持って地上に戻ることができるであろう。同時に、朱に交わらないことで疎じられていた跳ねっ返りを一時的にせよ厄介払いすることもできる。


そんな周囲の思惑を知ってか知らずか、彼は表情一つ崩さず、城内で形式的な激励を受けた後、精鋭を集めた一個中隊を率い、大きく開かれた迷宮の口を降りて行った。


それが一年前のこと。

結局、彼は戻ってきていない。


政治を知らない不器用な男だったが、己の強さのみを執拗に求め続け、賄賂や奸計に屈することは決してなかった。修練で剣を交わす機会は僅かしか無かったものの、武人として生涯を全うした彼のことは、勝手に同志のように感じていた。


むざむざと精鋭を失い、呪いだの祟りだの騒ぎ立て、迷宮の探索を放棄した王に嫌気がさして軍を抜けた俺は、今や新しい仲間達と迷宮に潜っている。


過去の記憶を呼び戻したのは、回廊の奥から聞こえる獣の唸り声だった。

なぜかその声に懐かしいものを感じたのだ。


曲がり角の奥から、人の声が聞こえる。

「あぶないところだった」


その声に、俺の胸に刺さっていた針が抜けるように感じられた。

「その声は、同志、――ではないのか?」


返答を躊躇うかのように一拍の間が空き、「如何にも」と声が応える。


「自分はもはや異形の身となっている。強さを求めるあまり、黄泉の瘴気に当てられて、気がついたら獣になってしまっていたのだ。時折、人であった時の意識が戻ってくるのが恐ろしい。人に還った時はいつも、周りに血と肉塊と骨が散らばっている。転がっていた首が馴染みある者のものだと知った時、俺は喉の奥から出しうるだけの大声を上げた。しかし、その声は飢えた虎の叫び声だったのだ。おお、お願いだ。友よ、君の手でこの哀れな獣を殺してくれ。」


その言葉に、人間であった頃の彼の誉れを浮かべ、胸が詰まる。


仲間達に指示を出し、迎撃のための陣形を組み、彼を待ち構える。


虎が高く短い声を上げて、それが開戦の合図となった。

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