第3話 狂った聖職者
揺れる馬車の中で、僕は喪失感と恐怖に喘いでいた。
あれだけ一緒にいたおじさんとおばさんが助けてくれなかった事。村人がラドウィックの言葉一つで僕に石を投げて罵倒した事。
そして一人だけ信じてくれたエリーの傷ついた姿。
「泣かないでくれます? 鬱陶しいなぁ。これだから子供は嫌いなんだよね。なんかさ? 泣けばどうにかなると思ってるじゃん。なーんも意味ないのにね?」
ラドウィックの苛立ち混じりの声に、僕は思わず手を強く握り込んだ。
どれだけ走っただろうか。随分と長い時間だったと思う。
手足を縛られ、猿轡を噛まされ、目隠しもされた状態で馬車に長時間揺られていたからだろうか。体が悲鳴をあげている。
馬車は目的地に着いたのか、ゆっくりと停車した。
僕は荷物の様に担ぎ出され、地面に投げ落とされる。
視界を覆っていた目隠しが取れ、僕は涙で滲んだ目を辺りに向けた。
「森があるって言ってたけど本当だったんだねー。君のおじさんに感謝しなよ? ここだったら獣が死体を片付けるのにそう時間はかからないし、新しい命のために使われるのは君としても本望でしょ?」
恐怖で顔が引き攣る。
「んー!」
「あーそうだね。最後に遺言くらいは聞いておかないと……はあ。神殿っていうのは本当に寛容だよねえ? 罪深き者の言葉でさえ、それが最期なら聞いてやらなきゃいけないんだから」
ぶつぶつと文句を言いながら僕の猿轡を外す。
解放されて、僕はラドウィックに聞きたかったことを訊ねる。
「……僕は、本当に魔族なんですかっ……!? 僕が、村に災いをもたらすんですかっ……?」
ずっと僕は自分を人間だと思っていた。なのに、突然魔族だと言われ頭の中は混乱しっぱなしだった。
だから、はっきりさせておきたかった。この赤い目は一体なんなのか。僕は自分の事を人間だと勘違いしてるだけの、邪悪な存在なのかと。
言葉を待つ僕に対して、ラドウィックは首を傾げた。
「いや? 知らないけど?」
「──は?」
ラドウィックの言葉に、僕は思わず固まる。
「最初に君のおばさんから相談を受けた時にね? 夜にだけ目が赤くなるって聞いて僕は思ったんだ。ふーん。不思議な病気があるものだなーってね」
「……あ? え?」
「そこまではよかったんだけど、詳しく聞くと君って元々は孤児だったらしいじゃん? それ聞いてなんか虐めたくなっちゃったんだよねー」
──何を言っているのだろうかこの男は。
「……ど、どういう事ですかっ……? じゃ、じゃあ、なんで村の人たちに僕が魔族だなんて言ったんですか!?」
「いやー。僕の言葉だけで村の人たちや、君のおじさん、おばさんが信じちゃうのって面白くない? 僕は正直腹抱えて笑いそうだったよっ。はは、騙されてやんのーってね」
そこでようやく気がついた。目の前のラドウィックという人物は、自分の愉悦感のためだけに行動する狂った聖職者なのだと。
「……僕を、これからどうするつもりなんですかっ……?」
「殺すよ? もちろん。自分の言った言葉には責任を持たなきゃねっ! それに、君も生き延びたところで手遅れじゃん? 帰る場所もないしね。あ、僕が奪っちゃったのか? ごめんねー」
怒りで腑が煮え繰り返る様な気分だった。こんなに一人の人間に対して強い憎悪を感じたのは生まれて初めてだった。
「ふざけるなっ……!」
「はいはい。うるさいうるさい。じゃ、遺言は『ふざけるな』ってことで覚えとくからね。もし生まれ変わったらその続きを聞かせに来てねー」
再び猿轡を噛まされた僕は、恍惚とした笑みで剣を掲げるラドウィックを睨みつける。
絶望と怒りの中、剣が振り下ろされる瞬間、急にラドウィックの体が静止した。
「……?」
ラドウィックだけではなく、他の人たちも動きが止まっている。
何が起きてるいるのかと思っていたら、突然ラドウィックが白目を剥いて泡を吹き出した。
周りの人たちも、糸が切れた人形の様にその場に倒れ込み、僕は思わず後退りする。
「──っ」
何が起きたのかわからないまま混乱していた僕の目の前に、いつの間にか誰かが立っていた。
月夜を背に、真っ黒なローブを深く着込んだその人物は、きょろきょろと辺りを見渡した後に僕を視界に捉える。
視線がぶつかり合うと、ローブの人物は首を傾げながら小さく呟いた。
「赤い瞳?」
それだけ呟くと、その人物は少し焦った様子でウロウロした後、意を決した様に自らの両頬を打った。
そして、僕の身体をまるで壊れものを扱うかの様に優しく抱き上げると、暗い森へと歩を進める。
恐怖と極度の混乱で、僕は辛うじて保っていた意識を手放した。
――――――――――――――――
鼓動が早まる。喉がカラカラに渇いて、今まで笑顔で接してくれていたおじさんとおばさんの顔が不気味に歪む。
幼馴染のエリーの背中が遠のいて、僕は行かないでくれ、と必死に手を伸ばす。
けど、そんな僕の肩越しにラドウィックが言った。
『もう帰る場所なんてありませんよ? ぜーんぶ、僕が奪っちゃったから』
「──うあっ……!?」
そこで僕は飛び起きた。
冷や汗が止まらなかった。意図せず呼吸が荒くなって、心臓が締め付けられる様な痛みを覚える。
「大丈夫?」
霞む視界の端で、誰かの顔が覗き込んできたのが映る。
「だ、誰、ですか?」
僕が寝ているベッドの脇に、黒い髪を伸ばした女性が立っていた。
その人物はアーモンド型の丸くて大きな目をぱちぱちと瞬きし、後ろに手をやって前のめりになった。額がぶつかりそうな程の距離で、女性は口を開く。
「私? あ、名前?」
「え……? はい?」
「私はね。ネフィって言うの」
実際に聞きたかったのは名前ではなく、何者なのか、という事だったのだが。
落ち着かない様子で自己紹介する女性をぼうっと見ていたが、僕は突如喉に痛みを感じてうめき声を上げる。
「あ、まだ無理に喋らない方がいいよ……?」
ネフィは慌てて手をばたつかせる。
痛みに首を抑えると、包帯が巻いてあって少し薬草の匂いがした。
そこで、ラドウィックに喉を殴られたことを思い出して、僕は目を見開いた。
──あれは現実だったのか。
「あのね? 私はこの森で暮らしているんだけど、君が危ない目に遭ってるのを見かけて助けたの。何があったのか聞いてもいい?」
ネフィは腰を曲げ、寝ている僕に視線を合わせる。
「……」
僕は何も言えなかった。
「う、うん。すぐには話せないよね? 君の気持ちわかるよ」
そう言いながら、僕の頭にゆっくりと手を伸ばしてくるネフィという女性に、恐怖心から咄嗟に手を払いのけてしまう。
「ご、ごめんなさい」
「う、ううん。気にしないで。それより、行く当てがないなら、ずっとここにいてもいいからね? とりあえず怪我がよくなるまで私が面倒見てあげるから……」
ネフィは僕の態度に気を悪くした様子はなかった。それどころか、ずっといてもいいなんて優しい言葉をかけてくれた。
だけど、その耳心地いい言葉が今の僕には信じられなかった。
意識を手放す瞬間、泡を吹いて倒れたラドウィックたち。あの光景を思い出すと背中にぞくりと悪寒が走る。
あれは目の前のネフィと名乗る女性がやったのだろうか。
彼女が何者なのかもわからないし、どうして助けてくれたのかもわからない。
あまりに多くのことが一瞬の内に起こってしまって、僕は酷く混乱していた。
「あの……もう少し、眠ってもいいですか?」
「う、うん! もちろん! いくらでも眠りなさい」
今は何も考えたくなかった。掛け布団を引っ張って身体を覆い隠し、僕は外の世界から逃れる様に眠った。
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