第2話 閉ざされる視界
暗くなり始めて家に帰ると、いつもの様に優しい二人が迎えてくれる。
「おかえり。エリーと遊んでいたのか?」
「うん。少し疲れたよ……」
「お腹空いてるでしょう? 育ち盛りなんだから沢山食べなさいね」
夕食を共に食べながら、僕は二人に今日あったことを話した。他愛もない僕の話を、二人は笑顔で聞いてくれた。
僕は抱えていた不安感が薄れていくのを感じた。
そのうち、おばさんが思い出したかの様に話を始める。
「そういえば神殿の人が村に来てね。監査官らしいんだけど、神殿の施設が"魔族"に襲撃されたらしいのよ」
「魔族に? それは物騒だな。近いのか?」
「いえ。この村はその施設との間にあるみたいで、ちょっと休息のために寝泊まりしたいって村長に頼んでたらしいわ」
魔族は人間を食う怪物だ。
大昔に戦争によって人間と激しく争った彼らは、残酷で恐ろしい存在と教えられてきた。
人間とは違う異形の怪物で、鋭い牙や爪を持ち、緑色の血を流すという風説もある。
そんな何もかも人間とは違う存在の話が話題に上がり、僕は思わず身震いした。
「そうなのか。疲れもあるだろうし、ゆっくり休んでほしいところだな」
おばさんとおじさんが話しているのを聞きながら、僕は何故か消え掛かっていた不安感がまたもや首をもたげた様に感じた。
「──それでね。神殿の方にアルベルの事を聞いてみたのよ」
急に自分の話題が出て、僕は思わずおばさんの顔を見る。
「僕のこと?」
「うん。貴方、夜になると目が赤く光るでしょう? 何かの病気なんじゃないかって。治療院の運営もしている神殿の人達なら、何か症状について知っているんじゃないかと思ってね」
おばさんが昼間に村長の家にいたのはそういう事だったのか。
確かにおばさんの言う通り、僕は夜になると目が赤くなる特殊な体質を持っている。
今はまだだけど、きっとあと数時間もすればいつも通り赤く光るだろう。
「ふむ。監査官はなんて言っていたんだ?」
「うーん。特に何も言っていなかったけど、気にかかることがあるって言ってたから、何か調べてくれているみたいよ」
「そうか……アルベル。お前はその赤い目の事で特に不調はないんだよな?」
「うん。夜って言っても深夜だし、殆どは眠っているから。どこも異常はないよ」
この体質は生まれた時からのものだ。普段は焦茶色の目が、夜が耽ると真っ赤に染まる。
それはまるで血の様に鮮烈な色で、夜に自分の目を見ると、まるで自分が怪物になってしまったのかと思う程不気味な体質だった。
他の人とは見た目が違う、というだけの違和感ではない。もっと根本的に、自分は普通の人の枠から外れている様な──。
「ならいい。体調が悪かったりしたらすぐに言う様にするんだぞ?」
「……う、うん。ありがとうおじさん」
その日の夕食の席はいつも通り穏やかだったけど、魔族という物々しい話題が出たため、あまり美味しく感じられなかった。
――――――――――――
自室のベッドに横になりながら、僕は魔族について考えていた。
「魔族はどんな姿をしているんだろう?」
僕は魔族を見たことがない。だから、人から伝え聞いた話しか知らない。
昔、人間と魔族の間で起こった聖魔大戦。
そして、その戦争を終結に導いた人類の英雄レギウス。
彼は魔族の住む大陸である魔界と、僕たちがクラス大陸とを断絶するための強力な結界を創った。
そのおかげで、僕たち人間が暮らしている場所に魔族はやって来られず、人間も同じ様に魔界には行けないようになっていると聞かされている。
だけど、人間界で魔族の話題は度々問題になる。
この辺鄙な村にいても、魔族が現れたという話は噂で聞くし、実際に魔族に殺された人も多くいるらしい。
僕はそれが不思議でたまらなかった。
「どうして結界があるのに、魔族が人間界にいるんだろう?」
僕は結界について詳しい話は知らない。
だけど、結界は人間界と魔界を隔てる壁の様なもので、絶対的な平和の象徴として語られている。
魔族は僕たち人間にとっての敵であるとされている。
なのに、その結界をすり抜け、人間の住む場所にやってくる魔族とはどういった者達なのだろう。
「魔界に帰ればいいのに」
魔族は人類の敵、というのは殆どの人にとっての共通の認識で、魔族からしても人間界は危険な場所の筈だ。
そんな場所にわざわざやってくる魔族が不思議で、思わず独り言が漏れた。
僕の取り止めのない思考は、突然聞こえた大きな音に遮られる。
誰かが家の扉を強くノックする音だ。やがて、足音が二つ玄関に向かって行って、おじさんおばさんが来客の対応をしているのがわかった。
「なんだろ……?」
僕はベッドから起き上がって、部屋の扉を開ける。
二人が話していた相手が、ゆっくりと此方を見る。
「あー。どうやら早めに芽を摘むことが出来そうですね」
独り言の様にそう言ったのは、昼間に会ったラドウィックだった。神殿の監査官で、魔族の事件のために村に滞在しているという。
ラドウィックの後ろには昼間と同じ様に三人の付き人らしき者たちが控えていて、その物々しい雰囲気に僕はたじろいだ。
「──それじゃ、お二人とも離れて下さいねー」
「ま、待ってくれ! どういう事なんだ!? 詳しく話してくれ!」
おじさんがラドウィックに詰め寄る。
「抵抗する様なら斬りますよ? さあ、そこの少年、こっちに来なさい」
「な、なんですか? 僕ですか?」
僕は言われた通りに近づいていく。顔がはっきりと見える距離まで近づくと、ラドウィックは不気味に口角を吊り上げた。
「あー……確かに赤い目をしていますね。魔族で間違いない。粛清します」
突如、ラドウィックの拳が喉に突き刺さる。
僕はあまりの衝撃に息ができなくなって、その場に膝をつく。
「ふふ。まーずはやっぱり喉からですね。変な魔法を使われたら厄介ですし」
「ど、どうか乱暴なことはしないでください!」
「魔族は人類の敵ですよ? 何を甘えたこと言っちゃってんですか。貴方も粛清しますよ?」
咳き込みながら涎を垂らす。
ラドウィックの側にいた仲間の人たちが、僕の腕を縄で縛りはじめた。
「ほら立って。あ、貴方たちは他の村人を起こしたら、村の中央に集まる様に言ってくださいねー? これは命令ですので、背いたら全員しょっ引かれると思ってください」
猿轡を噛まされ、後ろ手に縛られたまま、僕は二人を振り返る。
放心状態のおばさんと、見たことがない様な歪んだ表情のおじさんの顔が目に入った。
「ふんふんふーん」
陽気に鼻歌を歌いながら歩くラドウィックと、それに反して一言も話さないお付きの人たちに、僕は混乱と恐怖で頭が真っ白になりそうだった。
村の中央に投げ出され、無理矢理に膝立ちにさせられる。
何が起きたのかと、村の人たちも続々と家から出てきたのが見えた。
「さあ皆さん! お聞きください。どうやらこの村に未曾有の危機が迫っていた様です!」
「き、危機?」「何のことだ?」「あれはアルベル坊か?」
ラドウィックの言葉に、村の人たちは困惑した声をあげる。
「ご清聴ください。平和な村を襲う悲劇の種。それこそがこの少年アルベルなのです!」
ラドウィックがなんの事を言っているのか、僕にはさっぱりわからなかった。
村を襲う? 悲劇の種? 僕が?
「──私が独自に調べたところ、この少年は魔族だということが明らかになりました。この赤い目が何よりの証拠なのです」
髪を掴まれ、強制的に顔を上げさせられる。
僕の体質について知っている村人はそこまで多くはない。初めて僕の赤い目を見た人は驚きと共に、恐怖に顔を歪ませる。
だが、中には僕の体質を元々知っている人もいたらしく、困惑した様に耳打ちしている。
「今こそ粛清の時っ! さあ皆さんご唱和下さい! 魔族はてーき! 魔族はてーき……あれ? ノリが悪いですねぇ?」
高揚している様子だったラドウィックの顔がすぐに無表情に切り替わる。
「監査官さん……アルベルが魔族っていうのは、本当なんですか……?」
おじさんが動揺した様に訊ねる。
助けて、と言いたかったが口が塞がれていて呻き声が漏れるのみだ。
「もしかして私を疑ってるんですかー? はぁ。嫌になっちゃいますね。私たちは力のない民たちのために日夜魔族と戦っているというのに……言うなれば私たちは対魔族のスペシャリストですよ?」
「……い、いえ。決して疑っているわけでは」
「あーいいんですよ。そういうの僕、慣れてますから? この少年は間違いなく魔族ですよ。だからここで殺しておかないと、必ず後で災いを呼ぶことになります。それ確定なんでね」
おじさんは、ぶるぶると口元を震わせながら瞼を閉じる。
どうして何も言ってくれないのかと、僕はおじさんに聞きたかった。けど、口が封じられていて、微かな吐息が漏れるだけだった。
「アル!」
聞き慣れた少女の声が聞こえる。
「やめなさいエリー!」
「離してよお母さん!? アルが魔族なんて、そんな事あるわけないじゃん! 私はずっとアルと一緒にいたんだから!」
エリーの言葉に涙が溢れる。彼女はいつだって僕を信じてくれた。
「エリーちゃーん。こっちにおいでー」
ラドウィックが手招きする。それを見て、反射的に僕はやめろ、と叫ぼうとした。
「アルを解放して!」
「だー……めっ!」
ラドウィックがエリーの体を蹴飛ばした。
村の人たちの間で悲鳴が上がり、僕は声にならない声をあげた。
「ふう。煩い小娘も黙ったし、じゃ、さっさと処分しちゃおっか?」
ラドウィックが側にいた神殿の人間から剣を受け取る。それを引き抜き、鈍色に光る刀身が月光を反射する。
「ま、待って下さい。監査官さん……どうか、お願いがあります」
「んー? 何かな?」
「アルベルが……この子が魔族だといっても、私と妻は6年の間一緒に過ごしてきました」
「ふーん。それで?」
「どうか……お願いします。彼を殺すというなら、私たちの目の届かないところで……どうか」
心を絶望が支配する。
「んー。でもなぁ。そんな面倒なこと、なんで僕がしなくちゃいけないんです?」
「お願いします」
おじさんが、ラドウィックの手に何かを握らせる。
「ふーん……ほお? へえ……」
「この村より北に行ったところに、人が足を踏み入れない森があります。どうか……」
「仕方ないなー。まあ? 育ての親の頼みなら、聞かないわけにもいかないですからねぇ」
髪を引っ張られ、無理矢理に立たされる。地獄の入り口かの様に口を開けた真っ暗な馬車の入り口が見え、僕は必死に抵抗する。
その最中、背中に何かが当たった。
振り返ると、村人の一人が石を投げていた。それに続く様に他の人たちも僕を魔族と罵倒し、石を投げつけてきた。
けど、僕が痛かったのは、石が当たる背中より、胸だった。
僕が過ごしてきた6年間というのは、何も意味がなかったのだと知って、涙が溢れてくる。
気絶したまま介抱されているエリーと、顔を伏せて泣いているおばさん。そして、僕と目が合って、苦しそうに顔を逸らしたおじさん。
涙で滲む視界を、真っ黒な目隠しが覆う。
──こうして平和な日常は、いとも簡単に崩れ去ってしまった。
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