拝啓、人類諸君へ

緋色

第一次侵攻

第1話 とある日常の場合

ソビエト連邦 カムチャッカ州


協定世界時2025年6月4日10時41分17秒

高度80,000mにおいて球状の異常物体の出現を観測。




協定世界時2025年6月4日10時46分38秒

静止状態から落下状態に遷移。




協定世界時2025年6月4日10時48分45秒

地表へ到達。






以降の記録なし























延べ

死者数    185,064人

行方不明者数 120,668人























ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ゆうが今朝、学校で生徒会長に真っ白な翼が生えているのを見たんだって」


デスクに置かれたスマホのスピーカーから、彼女の声が響く。


海で隔てた遠い遠い国。そこに住む彼女との何気ない日常の会話。


デスク右奥、艷やかな白い花瓶には藍色に輝く無数の釣鐘型の小花が揺れている。


まるで、広大な海の中で互いに干渉し合う波のように。


これは、彼女に会いに行った時にもらったものだ。


もらったといっても沢山のお土産をしまったキャリーケースの中に、いつの間にかに入っていたのだが。


あとで彼女に聞いたら「あげる」と素っ気なく返されたので、ただ気まぐれなのだろう。


そんな花だが、なぜだろうか。


普段は絶対に買うことのない花瓶を用意してまで、こうして部屋で一番目に入る場所に飾っている。


「去年の文化祭で生徒会長を見たことあるんだけど真面目そうな凄い美人だったの。

それが天使のコスプレだなんて、絶対似合うじゃん!」


微かに漂う甘い香りは、目を瞑るとまるで彼女が私の隣で話しているかのように錯覚させる。


目を閉じて彼女の声を聞いていると、直接会って遊んだあの日々の記憶が鮮明に蘇る。


ただ、違う女の話ばかり聞かされるのはどうかと思うが。


「ゆうったら、『絶対に天使様だ!』とか言っちゃって、一日中生徒会長の話してるの。」


途切れることなく続く彼女の声。


口下手な私だが、話題を変えるべく口を開いた。


•••


いつもなら興奮気味に話す彼女の好きな話題。


ただ、すこし待っても返事が来ない。


無理やり話題を変えようとしたのがバレて、怒らせてしまったのだろうか。


ふと違和感を感じた私は、閉じていた目を開いた。


今まで近くに感じていた彼女の感覚が消えるのと同時に、目蓋の裏の暗闇が晴れ、眩しさが訪れると思っていたのだが——それは裏切られた。


部屋は暗闇に包まれ、デスクの上に置かれたスマホの画面は漆黒に染まっていた。


唯一、窓から届く月明かりだけが静かに部屋を照らしている。


今まで気づかなかったが、耳を澄ましても、いつもなら微かに聞こえるはずの冷蔵庫の駆動音さえ聞こえない。


ドクン、ドクン


完全な静寂の中に、私の心臓の音がやけに大きく響く。


窓を覗いてみても、いつもなら目蓋を刺すような街の眩しい光はなく、月光だけが微かに外の世界に輪郭を象っていた。


得体のしれない不安に鼓動が早まる。


さらに耳を澄ますと、心臓の音に紛れて別の音が聞微かに聞こえた。


ギギギギギギィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙ィ゙


高周波の摩擦音のような、あるいは空間そのものが悲鳴を上げているような、今まで聞いたことがない音。


この状況のせいもあるかもしれないが、聞いているだけで不安を掻き立てられる。


時が経つにつれて徐々に音は大きくなっていく。

最初は気のせいかと思ったが、僅かに振動も感じはじめた。


心臓の鼓動が何十回目かに響いた時には、既にたっているのも難しいほどの揺れになっていた。


恐怖で目に涙が浮かびそうになったとき、この異常な音と振動が唐突に止んだ。


再び、静寂に包まれる。


ガチャン!


突然、陶器の割れた音が部屋に響いた。


先程まではあったはずの花瓶が、デスクの上にない。


音がした方に視線を向けようとしたとき、視界の左端に目に焼き付くような光を感じる。


光の方に反射的に視線を向ける、ーーいや、これは割れた花瓶を直視したくなくて、逃避するように視線が音の方から目を逸らした。


視線の先では、凜々と光るテレビの大画面、そこに人影が映っていた。


漆黒で肩まで切り揃えられた髪、左右対称の顔。


私の目に映るその姿は完全に人と同じ形をしていた。


なのに、この不気味な状況がそうさせるのか、その人影の第一印象は到底人間とは思えない、異なる種の、まるで人を喰う恐ろしい怪物のようであった。


静寂の中、人影の口が開いた。


テレビのスピーカーから音が聞こえる。


ただ、そこからだけでなく床からも同じ音が聞こえた。


下に視線を向けると、そこみはスマホが落ちていて、テレビと同じ人影を映しだしていた。


音が重なって聞こえたそれは、聞いたことのない言語であった。


しかし、なぜかその意味を理解できた。


「「拝啓、人類諸君へ」」


まるでノイズのようなその音からは何の意味も感じ取れない。


しかし、なぜか理解できてしまうその言葉の意味は、一切の感情を持たない冷酷さを孕んでいた。


ただ、そこから先、人影が何を話しているのか私が理解することはなかった。


それは言葉の意味を理解できなくなったのではなく、私の心が限界を迎えたからであった。


突然世界が静寂に包まれてからの異音と振動、そこからの未知の言語と、なぜか意味がわかるという不可思議な状況に、私の心は恐怖で満たされ、臨界点を突破してしまったのだ。


•••


いつの間にかスマホとテレビの画面は消え、三度目の静寂に戻っていた。


そこから一拍遅れて、急に今まで消えていた部屋の電気がついた。


微かに冷蔵庫の駆動音が戻ってきて、。窓の外の景色も、強い光を取り戻している。


しかし、私はただ暗いままのテレビの大画面を虚ろに見つめていた。


ルールルルールールルルー


突然流れた音楽に、私の目に光が戻る。


音のした床へ視線を向けると、そこには彼女からの着信を表示するスマホがあった。


私は、スマホへ向けて手を伸ばそうとした。


クシャリ


不意に着信が止まる。


ロック画面に切り替わったスマホには、笑顔の彼女と時計盤が映っていた。


その秒針が、カチリ、カチリ、と刻を一つずつ刻む。


10時48分43秒


10時48分44秒


ふと、スマホの近くに無数の碧色の小花が散らばっていることに気づいた。


それは、スマホに手を伸ばそうとして動いた椅子のキャスターに巻き込まれていた。


美しく咲いていた碧色の花は、茎が折れ、小花が砕け散り、無残に踏み潰されている。


10時48分45秒


「ああ、り

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