第2話 三千年の果て

アスラは千年以上、この空間から脱出する方法を考えていた。


この空間には浮遊物がたくさんあり、それはゆっくりと漂っている。

その浮遊物は、どれも人工物であり、近くの他の空間から来たとしか思えなかった。


そこでアスラは、この空間同士が密接しているのではないかと考えた。


「そろそろここも飽きてきたし、外に出てみようかな?でも人に会ったら怖いな。だけど同じくらい人と話してみたい!」


一年ほど考えた末、アスラは拾ったお気に入りの刀と鎧を身につけ、マントを羽織り、顔には黒い仮面をつける。

女神アテナにバレないようにするためだ。


準備ができると、空間が密接している薄い部分を探す。

多く物が浮かんでいるところに狙いを定め、じっくりと確認した。

すると、大気の壁が波を打っている場所があった。


「ここかな。まあいいや、とりあえず斬るか。」


アスラは刀をゆっくり構えて精神を統一した。

頭にすべてのものを切るイメージを作り出す。

刀の重みが手に伝わり、全身の筋肉が緊張する。

心臓の鼓動が速まり、呼吸は浅くなる。


そして、超高速の真向斬りで大気の壁を切った!


大気の壁が裂ける瞬間、世界が微かに震え、一筋の光が浮かんだ。

それは徐々に広がり、やがて大きな白い線になった。


「お、成功したのか?」


アスラは迷わず線の中に入り、ゆっくりと時の空間を抜けていった。

体を貫く歪み、風の巻きつき、全身に走る緊張。

その刹那、三千年以上の孤独が脳裏をかすめ、アスラは孤独におちいる。


──光の帯の中に体が吸い込まれ、ゆっくりと時の空間を抜けていく。


――――


アスラが出てきた場所は、鬱蒼とした森の中だった。


静寂に包まれた夜。木々の間を風が抜け、葉がざわめく音だけが響いている。

遠くで小動物の気配が動き、空には満天の星。

アスラはその景色を見上げ、わずかに息を呑んだ。


そして、アスラの時間が再び動き始める。


「明らかにさっきの場所と雰囲気が違う、脱出に成功したのか?いや成功している。重力が低すぎる」


足元の感触、肌を撫でる風の密度、すべてが異なっている。


──脱出に成功したのだ。


胸の奥に熱が込み上げ、抑えきれない感情が爆発する。


アスラは確信した!胸の奥に熱が込み上げ、抑えきれない感情が爆発する。

そして胸が苦しくなる。三千年振りの外の空気だ。


大きく深呼吸をする。

肺の奥まで澄んだ夜気が満ち、心が震える。

三千年という時を超えて、ようやく掴んだ自由。


そして夜風を楽しんだ。

冷たく、それでいて懐かしい風。

仮面の下でアスラの口元がわずかに緩む。


先ずは街を探すことにした。

金は異空間で手に入れたお宝を換金すれば手に入るはず!


だが、どこへ行ってもこの森は終わりを見せない。

夜の帳が深まるにつれ、遠くの闇が何かを潜ませているように感じた。

背筋に一瞬、冷たいものが走る。

しかしアスラは足を止めない。


アスラは気分が高揚していた。

三千年も異世界に閉じ込められていたのだ、出られたことが本当に嬉しかった。


嬉しすぎて、夜も寝ないで片っ端から街を探し回った。

その姿は、まるで闇の中を駆ける影のようだった。

葉が舞い、風がうねる。

アスラの黒いマントが翻り、刀の鞘が月明かりを反射した。


――――


森を三日ほど走り回ると、ようやく視界が開け、広大な平原に抜けた。

朝霧がまだ薄く漂い、草原の先には金色の光が揺らめいている。

アスラは小高い丘に立ち、周囲をゆっくりと見渡した。


すると──十キロ先に、巨大な街が見えた。

白い城壁が陽光を反射し、まるで宝石のように輝いている。


「……やっと、見つけた!心の準備をしないとな」


声を漏らすと同時に、アスラは地面を蹴った。

風を切り、獣のような速さで平原を駆け抜けていく。

三千年ぶりに感じる“世界の風”が、頬を裂くように吹きつけた。


──中央都市ベーゼ。


石畳の大通りに足を踏み入れた瞬間、アスラの視界は色彩に溢れた。

行き交う商人、獣人、エルフ、ドワーフ──あらゆる種族が混ざり合う。

香辛料と油の匂い、喧騒、笑い声。

それらすべてが、長い孤独を経たアスラの心を激しく揺さぶった。


「……三千年。俺は、本当に……戻ってきたんだな。」


かつて知っていた記憶は霞のように薄れ、

時間の重みだけが胸を圧し潰す。

どれだけ歩いても、現実感が追いつかない。


「とりあえず、お宝を換金しよう。」


アスラはそう呟き、道端の商店に入った。

袋から古びた指輪や魔石を取り出すと、店主の目が丸くなった。


「こ、これは……古代期の宝じゃねぇか!こいつはすげぇ!」


鑑定の末、金貨百枚。

アスラは淡々とそれを受け取り、宿屋へ向かった。


暖かな布団の感触。

長い年月、冷たい石の上で眠っていた身には、それが夢のようだった。

気を失うように眠りに落ち、朝まで一度も目を覚まさなかった。


だが──

身体の奥には、消えぬ疲労と重い憂鬱が残っていた。


それでもアスラはベッドを離れ、情報収集のため街に出る。

中央都市ベーゼは世界の中心にして、全種族が集まる巨大な交易都市。

見たことのない言葉や文化が入り混じり、まるで異なる世界そのものだった。


アスラは苦手な“人との会話”に挑んだ。

勇気を出して、道端にいた商人に声をかける。


「あのー、ちょっと聞きたいんですけどいいですか?」


「おお、どうしたあんちゃん?」


快活な笑みを浮かべる中年の男が、振り返った。


「ここは、何と言う国なのですか?」


「中央都市ベーゼだよ!その名の通り、世界の真ん中にある街だ。書庫に地図があるから、買っておくといいぞ!」


「ありがとうございます。」


アスラは丁寧に礼を述べ、書庫で地図を購入した。

広げると、その広大さに息を飲む。

自分が立つ場所が、世界の中心──そう記されていた。


「結構大きな世界だな。……心、持つかな。」


ぽつりと呟いた声は、風に溶けて消えた。

胸の奥が苦しくて、重い。

この先、自分はどこへ向かうのか。


宿屋へ戻ると、アスラは窓辺に腰を下ろした。

女神アテナ──その名を思い出した瞬間、心が燃え上がる。

怒りが血管を焼き、理性が遠のいていく。


「アテナ……貴様だけは、絶対に許さない。」


三千年の地獄。

孤独、悲しみ、恐怖、そして絶望。

その全てを与えた張本人が、女神アテナだった。


アスラは拳を強く握った。

考えるまでもなく、答えは決まっている。


──勇者を殺す。


それこそが、女神をこの地上へ引きずり出す唯一の方法だ。


勇者の死。

それはこの世界の均衡を崩す最大の禁忌。

だが、アスラにはもはや恐怖も迷いもなかった。

三千年の孤独が、彼の“人間性”を焼き尽くしていたのだ。


「人間は生きていてはいけない。人間こそがこの世の害悪。奪い、裏切り、踏みにじる……歴史がそれを証明している。」


アスラの心は、静かに闇へと沈んでいった。


――――


──翌朝。

アスラは再び街へ出た。

狭い路地を抜け、活気あふれる広場へ。

そこにある古びた酒場の扉を押し開ける。


中は喧騒に満ちていた。

笑い声、食器のぶつかる音、アルコールの香り。

アスラはカウンターに腰を下ろし、静かに食事を注文した。


周囲の会話に、耳を傾ける。


「また北の海にクラーケンが出たぞ!船が何隻も沈んだらしい!」


「息子が騎士の試験に合格してさー、自慢の息子だよ!」


「本当に君のことが大好きなんだ!結婚してくれ!」

「ごめんなさい。」


日常の喧噪の中──その言葉が耳に引っかかった。


「……勇者様の動き、最近鈍いらしいな。」


アスラの視線が鋭く光る。


「押しているのか、押されているのか……どうも不安定だそうだ。」


アスラはそっと近づき、口を開く。


「すいません、今の話……勇者様に関する話ですか?」


「おお、そうだ。だがな、どうもダンジョン攻略が難航してるらしい。」


「勇者様ともあろう方が、ダンジョンを攻略できないのは何故ですか?」


「噂だが……勇者様は、あまり魔族と戦いたくないらしい。」


「……何だと?」


アスラの声に、僅かな怒気が混じる。


「勇者は魔王を討つために存在する。戦わぬ勇者など……存在する意味がない。」


「まあ待て、若造。あくまで噂だ。誰も真実は知らん。」


だがアスラの中で、何かが切れた。

三千年、封印の中で煮え立ち続けた感情が、一気に噴き出す。

目の奥が赤く染まり、拳が震える。


「……ならば、確かめに行く。」


椅子を立ち上がる音に、周囲の客が一瞬静まり返った。

アスラの瞳は、獣のように鋭く光っている。


「この手で、真実をな。」


アスラは酒場を出た。

風が再び頬を打つ。

向かう先は、勇者が滞在しているという“終極のダンジョン”。


夜の街を駆け抜けながら、アスラの中で一つの言葉だけが響いていた。


──『女神を殺すには、まず勇者を斬れ。』


そして、闇の中にその姿は消えていった。


――――


中央都市ベーゼから〈終極のダンジョン〉まで行くには、通常なら船で七日間、王都セレリアを経由し、そこから馬で一日かかる長旅であった。だがアスラの胸の高鳴りは、それをすべて無視していた。


「泳げば……五日ほどで着けるはずだ」


荒れることのない穏やかな海。波の一つ一つが太陽の光を反射し、銀色の輝きを放っている。その美しさに一瞬見惚れるが、アスラはすぐに集中力を戻した。


全身の力を使い、呼吸を整えながら海を進む。腕を振り、足を蹴るたびに、水の抵抗が皮膚に刺さるように感じられた。しかし胸の高鳴りは、それを苦痛に変えなかった。


……むしろ力が増していく。三日目の昼刻、遠くに黒い塔のような影──〈終極のダンジョン〉が見えた。


ダンジョンの入り口は、昼間にも関わらず薄暗く、巨大な石の門が威圧感を放っていた。入り口周辺には騎士や戦士、冒険者たちが群れを成し、剣や槍を握り、互いの腕前を確かめるように振るっている。


冷たい石畳の上に、無数の緊張と期待が渦巻いていた。


アスラはその隙間に紛れ、暇そうにしている冒険者を捕まえた。


「お忙しいところすいません。現在勇者パーティーは第何階層にいるのか知っていますか?」


「今は六十階層まで行ってるぞ。そこからはあまり進んでいないけどな」


「ありがとうございます!ちなみにこのダンジョンの最下層は何階層になりますか?」


「ここはまだ誰も最下層に到達していない。確認されているのは六十五階層までだ」


礼を告げ、アスラは闇に包まれたダンジョンの中に踏み込む。冷たい空気が肺に流れ込み、息が白く漂った。


だが胸の奥には不安もあった。


「実践経験がない……このまま勇者と戦えば、間違いなく負ける」


それでも彼は決意を固める。


「モンスターで実践訓練を積むか!」


アスラは最下層を目指し、地下深くへと降りていく。薄暗い通路に差し込むわずかな光を頼りに進み、モンスターが現れれば一太刀で切り伏せ、複数現れれば一振りで全て粉砕する。


巨大な敵なら三太刀で仕留め、数が多すぎる場合は魔法で一掃する。戦いは容赦なく、だが単純な作業の繰り返しでもあった。


── 一ヶ月後


薄暗い通路の片隅で、アスラは丸くなって眠っていた。

長期間の潜伏は、体力も精神もすり減らしていく。それでも彼は生き延びてきた。

小さな焚き火を絶やさず、倒したモンスターを食料にし、眠れる時にしっかり眠る──ただそれだけを繰り返す日々。


目を閉じれば、剣を振った時の衝撃や、モンスターの呻き声が鮮明に蘇る。

それは戦いの積み重ね、確かな“経験”そのものだった。


そして二週間が過ぎた頃、アスラの瞳に再び光が宿る。


「……行くか」


立ち上がった彼は、慎重に、だが確かな足取りで階層を下り始めた。

焦らず、落ち着いて、一歩ずつ。

その歩みは静かだが、迷いはまったくなかった。


気づけば──アスラは七十八階層へ到達していた。


この層のモンスターは外皮が厚く、動きも速い。それでもアスラは一閃で切り伏せる。一階層のモンスターも七十八階層のモンスターも、彼にとっては同じ対象だった。


一閃。

また一閃。


倒れたモンスターの種類も、悲鳴も、色も──もう何も覚えていない。

ただ斬る。それだけだった。


── 二ヶ月後


ついにアスラは〈終極のダンジョン〉の最下層、百十五階層に到達した。


が、アスラの精神が壊れていた。


周囲のモンスターは全て倒し尽くした最下層を探索する。珍しい鉱物、白い花が一面に咲き乱れ、清らかな水が水たまりを満たす。静寂と清涼が、深い地下世界にも存在していた。


水たまりの近くで、小さな扉を見つける。扉を開くと、細い通路がまっすぐ伸び、その先には巨大な大広間が現れた。


中央には、圧倒的な存在感を放つ黒いドラゴンが立っていた。


その全身は鱗一枚すら黒曜石のように硬く輝き、手のひら、足、翼には金色の鎖が深く突き刺さり、完全に動きを封じられている。


周囲には焦げたような魔力の痕跡が漂い、かつて暴れた痕がそのまま残っていた。


壊れたアスラは静かに声をかけた。


「あんたは言葉はしゃべれるかい?」


「まだ忘れてはおらぬようだ」


低く響く声。大地すら震えるような重厚さがあった。


「あんたはどうしてここに閉じ込められているんだ?」


「我を気に入らぬ存在が、我をここに閉じ込めた。……ただそれだけだ」


「どのくらいここにいるんだ?」


「二千年くらいだ……」


──その声には、永劫の孤独を飲み込んだ者だけが持つ、深い諦念が宿っていた。


アスラの頭に、熱いものが一気に駆け上がった。

全身を灼くような怒りが血流に乗って暴れだす。

同じように自由を奪われている──それが許せなかった。


「ふざけるな……!」


声にならない叫びを噛み殺し、アスラは鎖の前に歩み出る。

震える手で剣を握り、力任せに剣を振り下ろした。

が、鈍い音とともに、刃が折れた。


砕けた剣先が転がる音だけが、静寂に響いた。


ドラゴンが静かに笑う。


「ハッハッハー!面白いガキだ!それは神の鎖だぞ!もし切れる自信があるなら、我の後ろにある聖剣を使ってみろ、聖剣エストレアだ。」


アスラはドラゴンの後ろに回り、奥の石に突き刺さった聖剣を見つける。手をかけると、微かに剣が震え、力が宿っているのが伝わった。


「よろしくな!聖剣エストレア」


聖剣エストレアを引き抜くと、金の鎖の前に立つ。全身の神経を研ぎ澄まし、呼吸を整える。精神を一点に集中する。今日はきっと成功する。


剣をゆっくり天に掲げ、空気を切り裂くように弧を描く。その瞬間、周囲の空間が軋み、鎖の金属がかすかに鳴る──。


阿修羅一式

── 神鎖断罪アルカ・レクス


刃が落ちた瞬間、空気が弾け飛んだ。

金色の鎖が悲鳴のような音を上げ、光が爆ぜる。


この技は本来──神々の枷を断つために創られたものだ。


衝撃波が周囲に広がり、石畳に亀裂が走る。鎖は必死に抗うが、圧倒的な剣の力に押され、次第に断ち切られていく。


光と音が渦巻く空間は、天地の秩序さえ揺らすかのような威圧感を放った。


アスラは剣を握り直し、全身の力を一点に注ぐ。鎖を断つための衝撃が指先まで伝わり、腕の血管が切れて血が吹き出す。心は怒りに満ちており、その力は神をも脅かす。


──金の鎖がついに断ち切られる瞬間、巨大な衝撃が跳ね返り、空気が逆巻く。石の壁が軋み、瓦礫が舞い上がり、足元から振動が全身に伝わる。


ドラゴンは目を開き、二千年の眠りから覚める。胸を打つ息遣いが広間に響き渡り、翼を広げるたびに強烈な風が渦を巻く。赤い瞳が光り、闇を切り裂くように輝く。


そして、長き鎖の束縛から解き放たれた喜びが、ドラゴンの咆哮と共に全身から溢れ出した。

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