異世界転生失敗弱者、三千年の果てに神を斬る。

@usk1210

第1話 異世界転生失敗

一ノ瀬アスラは、国から生活の保護を受け、底辺の生活を送っていた。

部屋は六畳一間。カーテンは閉め切られ、昼夜の区別すら曖昧だ。

畳の上には、散乱したコンビニ弁当の容器、空になったペットボトル、そして山のようなカップ麺のゴミ。

唯一の光は、モニターから漏れる青白い輝きだけだった。


仕事をすることにも全く興味がない。

夢も希望もない。

趣味もない。

ただ、生きているという現実だけが、嫌でも続いていた。


毎日、夜の二十三時に起きる。

そして、ネットの世界に潜り込み、知らない誰かを叩き、罵倒し、優越感に浸る。

彼にとって、それだけが“生きている実感”だった。


昼近くになると、冷めたカップラーメンをすする。

食後に煙草を吸い、虚空を見つめる。

そして再びベッドに潜り込み、眠りに落ちる。


――そんな日々を、何年も続けていた。


アスラがこのような生活に堕ちてしまったのには、確かな理由があった。

数年前、彼は精神を壊したのだ。心が軋み、音を立てて崩れ落ちた。

医者の診断は絶望的だった――「一生治ることのない病気」。

薬で症状を“抑える”ことはできても、癒やすことはできない。


以来、アスラの瞳には、常に〈死〉が宿っていた。

それは幻ではない。まるで彼の隣に寄り添う影のように、どこへ行っても離れない。


ある夜、街が静まり返り、外灯の明かりがぼんやりと部屋を照らす中、

アスラはベッドの上で体を丸め、声を押し殺して泣いていた。

理由は一つ。自分の現状が、あまりにも惨めだったからだ。


「……もう、やだ……なんで、俺だけ……」


涙は止まらない。

枕を濡らしながら、彼は心の底で――ただ“終わり”を願っていた。


声は震え、喉が痛むほど泣いた。


――その瞬間、部屋の空気が変わった。


微かな振動とともに、床に淡い光が走る。

古代文字のような紋章が現れ、青白い光が部屋を満たしていく。

それは、人の世界には存在しない“異界の魔法陣”だった。


だが、アスラは気づかない。

泣き疲れた彼は、現実から逃げるように目を閉じていた。


光は徐々に強くなり、ベッド全体を包み込む。

空気が震え、電子音のような不協和音が鳴り響く。


そして、アスラの体がゆっくりと浮かび上がった。

髪が宙に舞い、光が彼の輪郭をなぞる。


「……え……なに、これ……」


ようやく異変に気づいた時には、もう遅かった。

光は暴風のように渦を巻き、彼を中心に吸い込んでいく。

抵抗する暇もなく、彼の体は光の中心に飲み込まれた。


その瞬間、世界が歪んだ。

視界がねじれ、空間がひび割れる。

音も、熱も、匂いも、すべてが消えていく。


そして――アスラは、現実から消えた。


最後まで、彼は気づかなかった。

その魔法陣が、“死”ではなく、“新たな世界”への招待であることに。


――――


アスラが気がつくと、そこは光に包まれた不思議な世界だった。

空は白金色に輝き、足元には何もない。

彼の体は、まるで空中に浮かんでいるかのように、柔らかい光の大地の上に座っていた。


周囲には、無数の小さな光が舞っている。

よく見ると、それは羽のついた小さな妖精たちだった。

彼女らは花びらのような笑みを浮かべ、アスラの周りを楽しそうに飛び回っている。


「……ここは……どこだ?」


アスラの胸が苦しくなる。

喋るのも辛いほどだ。


やっとの思いで呟いたその瞬間、前方の光が一段と強くなった。

やがて、その中心から、一人の女性が現れる。


彼女は眩しいほどに美しかった。

長い金色の髪が流星のように輝き、瞳は蒼く、まるで深海のように透き通っている。


その存在は神々しく、ただ立っているだけで空間そのものがひれ伏すようだった。


「一ノ瀬アスラ様、このたびは強制的にこちらに転移させたこと、深くお詫び申し上げます。」


女神は静かに膝をつき、頭を垂れた。


「本当に申し訳ございませんでした。」


光が彼女の輪郭を縁取り、まるで絵画の中のような光景だった。


「私は戦いと知恵の女神アテナと申します。あなたには大切な使命があり、こうしてお呼びしたのです。

――いきなりで驚かれるかもしれませんが、異世界の魔王を討ち、この世界の平和を守っていただけないでしょうか?」


その口調は丁寧だったが、どこか焦りを感じさせるほど早口だった。


「いや、無理ッスね。他を当たってください」


アスラはあっさりと拒否した。

しかも、光の床に寝転がったまま、胸の重苦しさを押さえつつ、投げやりに返す。


女神アテナは、一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐに真剣な眼差しに戻る。


「一ノ瀬アスラ様、あなたは選ばれたのです。多くの民があなたを必要としています。

どうか、魔王を倒す力を貸してください!」


「そもそも、運動もろくにできない俺に魔王が倒せると思うの?そんなの無理に決まってるよ……」


アスラは自嘲するように笑い、そして瞳の奥にうっすらと涙を浮かべた。

自分は、もう“何かを救う”ような人間ではないということを。


だが女神は諦めなかった。


「あなたに全知全能の力を授けます。この力があれば、楽しい旅ができると思いますし、魔王も楽に倒せます!」


「は~……本当にめんどいよ。はやく帰して!」


アスラが心底面倒くさそうに手を振ると、女神の表情が一変した。

柔らかな笑みが消え、その顔に薄い怒りの色が浮かぶ。


「……分かりました。無理なお願いをしてしまい、申し訳ございませんでした。

今から元の世界?にお帰ししますので――そのままお待ちください。フフフ……」


その笑いには、明らかに“何か”を含んでいた。


アスラは寝転がったまま、片手を軽く上げる。


「はいはい。どうも~。お疲れさまで~す」


女神アテナは静かに詠唱を始めた。


『血の環、魂の門、眠る者の声に応えよ。

光を拒み、闇を抱け。汝、死を越え、再び目覚めん。

――転生せよ、《ネクロ・ルーメン=サイクル》。』


青白い光が再び渦を巻き、アスラの体を包み込む。

魔法陣の模様が床に刻まれ、空間が揺れた。


「やっと帰れる……」


アスラが安堵の息を吐いた瞬間、世界がねじれた。

次の瞬間、凄まじい重力が彼の体を押し潰すように沈めていく。


「……なんだ!ここは!」


アスラがかろうじて目を開けると、そこには常識を超えた光景が広がっていた。

宙には、無数の物体が浮かんでいる。


木々、剣、鎧、人、城、水……あらゆるものが空中に漂い、ゆっくりと回転していた。


地面は白く、だがその果ては漆黒。

まるで世界そのものが二色で塗り分けられたような、異常な空間だった。


重力は、容赦なくアスラを削る。


「俺は……元の世界に帰ったんじゃ……ないのか……?」


その声は虚空に吸い込まれ、静寂だけが返ってくる。


アスラの“転生”は、完全に失敗していた。


――――


激しい重力の中、アスラは必死に考える。


「ぐぐっ……どこだここ」


今まで経験したことのない重力が、全身を容赦なく押し潰した。

呼吸すら重く、肺にたまる空気が痛く感じる。

手を伸ばそうとしても、腕は鉛のように重く、思うように動かない。


「何が起こった……くそ!わからない、もしかして、わざとここに転移させたのか?」


立ち上がろうと試みるが、指先をわずかに動かすのがやっとで、全身が力尽きそうだった。

視界はかすみ、体中が痛みに耐えている。


最初は抗おうと必死だった。しかしすぐに悟る。

どれだけ足掻こうと、この重力には勝てない。


もがけばもがくほど、肉体と精神は消耗する。

無駄な抵抗は時間と体力を奪うだけだ。


諦めるしかなかった。

アスラはその場に沈むように身を任せ、心も体も重力に馴染ませるしかなかった。


そして、無気力な日々が続く。

気づけば十年が経過していた──


――――


この頃には、アスラの体は重力を完全に支配していた。

恐らく地球の三十倍はあるだろう重力でも、普通に動き回ることができる。


水を汲み、果物を取る。そんな単純な行動すらも、重力に耐えながら自然にできるようになった。


しかし心はまだ重力に押し潰されそうだった。

孤独は常に底なしで、目に見えない重圧が精神を締め付ける。

呼吸をするたびに胸の奥が痛み、心が壊れそうになる日が続く。


──二十年後


ある日、アスラは自分の体に異変を感じる。

自分の体がまったく老いていないのだ。

肌の皺も、髪の色も変わらない。

むしろ時間が止まっていると考えた方が腑に落ちる。


「だから腹が空かなかったのか……」


理解しても、現状は変わらない。

ネットもアニメもユーチューブもない。

時間だけが無限に流れる、ただの閉じ込められた牢獄だ。


やる気は微塵も湧かず、体はまるで石のように動かない。

孤独が深まるたび、心は凍りつき、涙すら枯れ果てた。

目を閉じても暗闇しかない。

声を出しても反響はなく、空間に吸い込まれて消えていく。


──五十年後


アスラは床で丸まり、虚ろな目で天井を見つめていた。

胸を締め付けるような苦しみと死の衝動が、今日も容赦なく襲いかかる。

涙が頬を伝い、絶望が重く心に積もる。


過去の自分を悔い、悔やんで悔やんで悔やみ続ける日々。

心の中では何度も「なんで俺はここにいるんだ」と問いかけるが、答えは返ってこない。


そしてアスラは思考を止めた。

希望を持たず、未来も求めず、ただ日々をやり過ごす。

体はそこにあるだけ。心は死んでいた。


──そして百年後


ある日、突如としてアスラは筋トレを始めた。


腕立て伏せは一回が精一杯。

汗が顔や体を滴り落ち、全身が悲鳴を上げる。

しかし、時間だけは無限にある。

少しずつ、少しずつ力を蓄える日々。


筋肉が動くたび、心にわずかな自由が戻ってくるような感覚を覚えた。

だが、病に蝕まれていた精神が、体の全てをえぐり取る。

孤独はまだまだ深いが、戦う理由が生まれた。


「あの女神には聞かなければいけないことがある。絶対に奴の元までたどり着く。」


──二百年後


アスラの体は劇的に変化していた。

全身は硬くも柔らかい筋肉で覆われ、瞬発力は爆発的に向上した。


そして拾った魔法書を使い、勉強を始める。

興味があったわけではない。ただ、暇だからだ。

文字が読めなくても、時間をかければ解読は可能だ。


「国語が苦手な俺でも……やればできるはずだ」


独り言を呟きながら、無数の文字と格闘し続けた。

孤独は消えず、時折涙が頬を伝う。

絶望の中でも前に進む意志が芽生え始めても、また消えてしまうのだ。


──五百年後


魔法書の文字を解読し、ようやく内容が理解できるようになってきた。

膨大な魔法書を手に入れ、研究に没頭する。

火、水、風、雷、地、光、闇の魔法を全て掌握し、時には魔法同士を組み合わせ、新たな応用法を試す日々を過ごす。


「右の人差し指の先に炎を、中指に風を、薬指に水を、小指に地を、親指に雷を、緻密な魔力操作で安定させる。」


さらに、幼い頃から憧れていた剣を手に取る。

大木を斬る練習では、反動で吹き飛ばされることも何度もあった。


何百年も繰り返すうち、斬る感覚が体に染み込み、身体と意志が一体となる感覚を覚える。


だが、胸の悲しみを完全に癒すことはできなかった。


──ついに千年後


アスラは剣を極めていた。

自分の斬撃より早く斬撃をとばす。

攻撃をする前に既に攻撃をしている剣撃だ。

斬られたものは、斬られたと認識できないまま死ぬだろう。


アスラはその境地に立ったのだ。

しかし、その力の代償に、彼の胸には深い孤独が刻まれていた。

友も、愛する者も、もはや近づけぬ存在となり、剣の速さの裏で、心は静かに死んでいった。


──千五百年後


アスラは禁術に手を染め、それを自らの手で改変し、さらに強力な禁術を生み出すことに成功した。


これは、世界の理を超える極めて危険な行為であり、誰も成し得なかった領域への挑戦だった。


膨大な魔法書を読み漁り、失われた知識を吸収し、新たな魔法を次々と生み出していく。


だが、いくら力を得ても、孤独の影は決して消えることなく、アスラの心に重くのしかかるのだった。


二千年後――


アスラにはもはや、剣で斬れぬものなど存在しなかった。

対象の"切筋"を正確に見極め、全てを切り裂く剣技を体得したからである。


この剣技は魔法にも有効で、魔法の"切筋"を斬れば、魔法は回りながら収束し、やがて消える。


魔法すらも剣に宿すことに成功し、あらゆる物体が破壊可能となった。


さらに、極限まで魔力を鍛え上げ、その量を増幅し、濃度を限界まで高めることで、剣や魔法から放たれる一撃は世界を裂く破壊の嵐と化した。


そしてついに三千年後──


アスラは完成していた。

剣技、魔法、魔力、制御、剛体、神力、神足。全てを高いレベルで制御できる。


魔法は本を頼りに我流で覚え、無詠唱で発動可能。

剣技も我流だ。


だが、この年月を持ってしても、心の闇は消えてはいなかった。

心を強く捕まえ、絶対に離さない。

それは、三千年という孤独と努力の積み重ねが生み出した、彼の唯一無二の鎧でもあった。


それでも諦めきれなかった。

アスラは、自らの限界を超え続ける覚悟を胸に、静かに未来を見据えていた。


全ては、あの女神に再び会い、この地に転移させられた理由を問いただすためだ。


初期のアスラは寝て過ごす日々が多かった。

しかし今、アスラは自分を鍛え、全身の力を研ぎ澄ませている。

復讐の炎は、三千の時を超えても消えることはなかったが、孤独や苦しみも消える事はなかった。

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