マスターランクの壁と異質の居合斬り
試合開始:波状攻撃への抵抗
ルーク師範の「始め!」という号令と共に、ヒカリとエリス師範代のデュエルは始まりました。
先手を取ったのはエリス師範代でした。彼女は両手を広げ、訓練場全体を飲み込むような波状攻撃の魔術を展開します。炎と氷の螺旋、そして音を伴う幻惑の魔力流が、ヒカリの全身へと容赦なく襲いかかります。
ヒカリは、居合の刀を抜きはしないものの、腰を深く落とした独特の構え――『無の構え』を崩しません。彼は、飛来する魔術の奔流を、わずかな体捌きと、刀の鞘の腹を使った最小限の防御で、しつこく、そして正確に耐え切りました。
エリスの内心:経験値への驚愕
エリス師範代は、自らが放つ強力な魔力に耐え続けるヒカリを見て、心の中で深く息を飲みました。
(流石、リーネ師範代が鍛えているだけあるわね……)
彼女の魔術は、ゴールドランクの下位であれば、一撃で戦闘不能に陥れるほどの威力と範囲を持っています。しかし、ヒカリは師範代の指導によって、己の『異質の力』を防御へと転用する技術を磨き上げていました。それは、単なる耐久力ではなく、魔術の波動を予測し、その『流れ』を断ち切る繊細な技でした。
だが、感心はすぐに恐ろしさに変わります。
(あの成長速度、嫌と言うほど肌で感じるわ。トーナメントの時、まだ彼の防御は荒削りだった。なのに、リーネの指導と、ナイトローグとの戦いを得てからの経験値が凄まじい。この数日でこれほどまでに洗練されるなんて……)
エリスは、ヒカリの底知れぬ成長の可能性に、脅威を感じずにはいられませんでした。彼をこのまま野放しにすれば、ギルドの秩序を乱す存在になりかねません。
エリスは、波状攻撃をさらに激しくしながら、挑戦者であるヒカリの目を真っ直ぐに見つめました。その目には、無言のメッセージが込められていました。
(わたくしも、マスターランクで終わらせようとは思っていませんよ、ヒカリ)
幻影と拘束
ヒカリは、エリス師範代の視線から、その本気の覚悟を読み取りました。このまま防御に徹しては、魔力切れで敗北するだけだと悟ります。
「……最後の一撃っす」
ヒカリは、自らの魔力を解放し、居合の奥義である『五分チャージ居合斬り』の準備に入りました。彼の周囲の空間が、目に見えない力によって圧縮され、全てを断ち切る一振りのためのエネルギーが集積され始めます。それは、時間をかけて溜めることで、空間そのものを断裂させるほどの威力を持つ、異質の技でした。
エリスは、ヒカリが全身の魔力を集中させている間に、静かに高位の幻惑魔術を完成させました。
居合斬りのチャージが完了し、ヒカリが閃光となって一閃を放つ!
「斬!」
その一撃は、エリス師範代の姿を確かに捉え、訓練場を真っ二つにするほどの衝撃波を巻き起こしました。
しかし、斬撃が通過したのは、残像にしてはあまりにも実体感のある幻影(イリュージョン)でした。エリス師範代の本体は、ヒカリの居合斬りの軌道を僅か一秒前に読み切り、訓練場の反対側へと瞬間的に移動していたのです。
そして、ヒカリが居合斬りの後の隙を晒した、その刹那――。
「残念でしたわ、ヒカリ」
エリスは、優雅な声と共に姿を現すと、既に準備していた高位の拘束魔法をヒカリに浴びせました。光の鎖がヒカリの全身を瞬時に巻きつけ、その強力な魔力と体術を完全に封じ込めます。
ヒカリは、一歩も動けなくなりました。
試合終了
その光景を見て、ルーク師範は迷いなく手を上げ、大声で試合の終結を告げました。
「そこまで! エリス師範代の勝利だ!」
エリスは拘束魔法を解き、ヒカリに近づきました。
「あなたの力は確かに異質です。でも、マスターランクに挑むには、『切り札』の使いどころがまだ甘い。それが、マスターランクの壁ですわ」
ヒカリは、全身の力を使い果たしながらも、清々しい表情でエリス師範代を見上げました。
「……さすが、マスターランクっす。完敗っす」
そして、ヒカリはゴールドランクへの昇格を逃したにもかかわらず、その顔には、マスターランカーと戦い、自身の異質な力の限界を理解できたことへの、確かな満足感が浮かんでいたのでした。
報告書の夜
ヒカリとのデュエルが終わった日の夜遅く、冒険者ギルド本部の奥にある、師範専用の執務室。
エリス師範代は、照明を落とした静かな部屋で、今日のヒカリとの模擬戦の詳細な報告書をまとめていました。ペンを走らせる彼女の心には、先ほどまでの激しい魔力戦の残響がまだ残っていました。
「アサクラ・ヒカリ、魔力特性:異質。成長速度:驚異的。潜在的な脅威度:マスターランク以上。懸念事項:『平和の重荷』による戦闘への影響――」
そう書き込んでいると、静かに執務室のドアが開き、ルーク師範とリーネ師範代が入ってきました。
ルーク師範は、大きな体躯を隣の椅子にどっかと座らせ、手に持っていた湯気の立つカップをエリスの机に置きました。
「エリス。ご苦労様。ヒカリとの戦い、大変だったろう」
リーネ師範代は、ルーク師範の反対側の椅子に優雅に腰掛け、自身もカップを手に持ちました。
「ルーク師範が淹れた、とっておきの紅茶よ。渋みが強すぎるかもしれないけど、疲れた身体には効くわ」
エリスは、二人の労いの言葉と、温かい紅茶に感謝し、優雅に微笑みました。
「ありがとうございます。お二人が揃って労ってくださるなんて、光栄ですわ」
ヒカリとナイトローグの評価
エリスは紅茶を一口啜り、報告書を閉じました。ルーク師範は、エリスが報告書に記した内容を察しているかのように、静かに尋ねました。
「どうだった、エリス。ヒカリの『異質性』は」
エリス師範代は、真剣な表情で答えました。
「彼の力は、私の予想を遥かに超えていました。あの『五分チャージ居合斬り』。あれは空間そのものを『断ち切る』、次元干渉の魔術に近い。彼が『平和の重荷』を背負っていなければ、私の幻影ではなく空間そのものを断裂させて本体に到達していた可能性さえあります」
リーネ師範代が、その分析を受け継ぎます。
「あの男は、『愛』や『絆』を『重荷』として切り捨てることを拒否した。その『重荷』が、彼の魔力の制御に微かなブレを生み、お前の幻影を許した、ということね」
ルーク師範は、顎鬚を撫でながら、重々しい口調で本題へと入りました。
「ヒカリは、シルバーランクの身でありながら、マスターランクの領域を侵食し始めている。ナイトローグが『資格』を無視してゴールドランクに上がったのは、ヒカリを覚醒させるための『前座』として、ドミニオンとの戦いを激化させるのが目的だろう」
ルーク師範は一息置き、今回の特例昇格の裏にある思惑を語りました。
「無論、奴がゴールドランカーになったからといって油断はできん。だが、あの男に全くの野良で動かれるよりは、ギルドの監視下に『泳がしやすく』なった。これで、奴の動向から、ドミニオン、ひいては彼自身の情報の特定が容易になる」
リーネ師範代は、冷徹な目でルーク師範の戦略を評価しました。
「私たちの『未来の平和』を賭けた危険な賭けね」
エリス師範代は、ナイトローグの脅威を認めながらも、ヒカリを守る決意を改めて固めました。
「はい。そして、私たちがヒカリをマスターランクに上げれば、彼の『覚醒の舞台』は整ってしまう。彼をシルバーランクに留めることが、この世界の『平和の重荷』を守る、最後の防波堤かもしれません」
三人の師範たちは、それぞれの思惑と、世界の未来を巡る重い結論を胸に、夜の静寂の中で、しばらく紅茶の湯気を眺め続けるのでした。
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