姉妹の葛藤
ルーク師範の新たな提案
ヒカリとナイトローグに関する重い議論が一段落ついた後、ルーク師範は、ふと思い出したかのように、隣に座るエリス師範代に視線を向けました。
「そういえば、エリス。お前の妹、エリアのことだが」
ルーク師範は顎鬚を撫でました。
「彼女は今日、シルバーランクの精鋭たちを、一切の傷なく圧倒した。彼女の『歌声の支配』は、既に深層の探索にも十分通用するレベルだ。そろそろ、彼女をシルバーランクからマスターに上げても良いのではないか?」
ルーク師範の提案は、エリアの実力を考えれば当然のことでした。
しかし、エリス師範代は、その言葉に微かに顔を曇らせました。彼女は再び紅茶を一口啜り、静かに、そして重い口調で答えました。
「ルーク師範、それは……今のところは拒否せざるを得ません」
姉妹の間の取り決め
エリス師範代は、妹の才能を誰よりも理解しています。しかし、エリアの行動原理が一般的な冒険者とは大きく異なることを、師範たちに説明しました。
「エリアがシルバーランクに留まっているのは、彼女自身の強い意思です。彼女は、『自由な闘争』こそが『芸術』の源であり、挑戦者がいなくなるマスターランクの地位を嫌っています」
エリスは、言葉を選びながら、核心に触れました。
「彼女は私に言っています。もしギルドの圧力によって、彼女が望まないマスターランクに強制的に昇格させられた場合、『冒険者を辞める可能性すらある』、と」
ルーク師範は目を見開き、驚きを隠しませんでした。
「冒険者を辞めるだと?あの規格外の才能を持つ歌姫が?」
「はい。彼女にとって、ランクや名声は二の次なのです。彼女は、『舞台』を失うことを何よりも恐れています。もし彼女がギルドを去れば、その支配魔術という規格外の力は、私たちの管理下から完全に離脱します」
エリス師範代の言葉には、妹の意思を尊重したいという愛情と、彼女の才能を世界のために留めておきたいという師範代としての責任感が入り混じっていました。
「ヒカリの『異質性』と、ナイトローグの『脅威』に加えて、今、エリアを刺激して、彼女をギルドから手放すことはできません。ですから、師範。彼女をマスターに上げる話は、もう少し、待っていただけると助かります。この状況では、妹の意思に反して、私が彼女の昇格を拒否できなくて困っている、というのが正直なところです」
ルーク師範は、エリスの苦悩を理解し、深く頷きました。才能が強すぎることが、時に本人と周囲にとって、最大の『重荷』となる。ヒカリ然り、エリア然り、そしてナイトローグ然り。このギルドには、規格外の者たちが集まりすぎている、とその夜、改めて実感するのでした。
ルーク師範の嘆き
エリス師範代が妹エリアの昇格を拒否する苦悩を語り終えると、ルーク師範はさらに頭痛の種を思い出したかのように、額に手を当てました。
「エリアの件は理解した。しかし、もう一人、厄介なのがいるだろう。ジョシュアだ。あいつはなんとかならんのか?」
ルーク師範は、リーネ師範代に視線を向けました。ジョシュアは現在シルバーランクのトップルーキーですが、その実力と過去を知る師範たちにとっては、特異な存在です。
リーネ師範代は、肩をすくめながら静かに同意しました。
「ええ、あいつも強情だよな。師範の階級は彼にとって単なる『肩書き』でしかないのでしょう」
既にマスターランクの実力
ジョシュアは、かつてはギルドの屋台骨を支えるゴールドランカーでした。しかし、彼は自らの意思でランクを降格し、今、ヒカリやタマキと同じシルバーランクで活動しています。
リーネ師範代は、冷たい紅茶を一口含み、その実力について言及しました。
「彼の防御魔法の練度と、状況判断能力は群を抜いている。私たちも知っての通り、彼は既にマスターランクの実力を持っている。全力を出せば、ゴールドの上位でも彼に勝てる者はいないでしょう」
ランクダウンと後輩への献身
問題は、彼の実力ではなく、その『意図的なランクの放棄』にありました。
「なのに、あの男ときたら……」と、リーネ師範代はため息をつきました。
「彼が昇格を拒む理由が、ただ後輩の周りの面倒ばかり見ていたい、という一点なのだから。彼の周りには、タマキやヒカリのような精鋭だけでなく、ゴールドに上がったばかりの冒険者たちも大勢いる。彼らを導き、影から支える役割に固執している」
ルーク師範は、その献身を理解しつつも、困惑を隠せません。
「そればかりか、彼はランクダウンまでして、シルバーランクのルーキーたちと同じ舞台に立っている。上がりたがらないどころか、自ら降りていくとは、まったく……」
エリス師範代は、ヒカリの異質性とエリアの芸術へのこだわりを思い浮かべながら、ジョシュアという元ゴールドランカーの特殊な性質に改めて気づきました。
「エリアもそうですが、ジョシュアも、扱いにくいことこの上ないですね。皆、世界を救う力を持っているにもかかわらず、その『こだわり』を優先して、ギルドの秩序に従おうとしない」
ルーク師範は、疲れた顔で二人の師範代を見ました。
「まったく、シルバーランクにいる者たちに、これほど頭を悩ませるとはな。あの連中は、ギルドの仕組みとは別のところで、勝手に『平和の重荷』を背負い込んでいる」
三人は、ギルドの未来を担う規格外の者たち――ヒカリ、ナイトローグ、エリア、そしてジョシュアの動向に、引き続き神経を注ぐことを確認し合うのでした。
トーナメントの熱狂とジョシュアの評価
ジョシュアとエリアの扱いにくさについて話し終えた後、ルーク師範は、先日行われたシルバーランクのトーナメントを振り返りました。
「それにしても、トーナメントの話に戻るが、ジョシュアとヒカリの対決は、あのシルバーランク戦の中でも、意外性があって一番人気だったな。堅牢な盾と、斬撃の異質さがぶつかり合う、良い試合だった」
ルーク師範の言葉に、リーネ師範代は冷静にジョシュアの実力を評価しました。
「ええ。ジョシュアは彼本来の力を出していませんが、彼の防御魔術と、ヒカリの異質な力への対処を見れば、彼は既にゴールドランク末端の実力は確実に抑えていると考えています。むしろ、彼が本気で動き出せば、ゴールドランクの上澄みも脅かすでしょう」
エリス師範代は、リーネ師範代の分析に静かにカップを置き、深く頷きました。
「納得の返事をするしかありませんわ。彼のあの献身的な防御力は、戦術として完璧です」
ヒカリへの新戦略
ジョシュアの実力再評価をきっかけに、エリス師範代の頭の中で、ヒカリへの戦略が大きく転換しました。
「先ほどの話ですが、ヒカリをシルバーランクに留めるという考えは、やはりやめるべきかもしれません」
エリス師範代の突然の意見の変更に、ルーク師範が目を細めます。
「何だと?つい先ほどまで、それがこの世界の『未来の平和』を守るための防波堤だと言っていたはずだ」
エリス師範代は、その理由を理詰めで説き始めました。
「彼ほどの異質な才能を、私たちが下位のランクに閉じ込めておくのは、彼の成長を妨げ、いずれ私たちにとって制御不能な『重荷』になる危険性があります。それに、マスターランクの壁を見せつけたとはいえ、彼の闘志は消えていません」
エリス師範代は、自らの感情を押し殺すように言葉を選びました。
「むしろ、彼の望み通りゴールドランクに上げて、更なる成長を促す方が、得策だと考えます。現状、ゴールドランクは戦力を必要としています」
そして、彼女はナイトローグの存在を念頭に置いた、冷徹な戦略を打ち出しました。
「ナイトローグの考えに乗るのは癪ですが、彼がヒカリの覚醒を望んでいるのなら、私たちは彼の力を最大限引き出すべきです。もしナイトローグが真の脅威となったとき、対抗策として、成長したヒカリという『カード』を一枚持っておくのは、悪くないのではなくて?」
リーネ師範代は、エリス師範代の冷静な判断に満足そうに微笑みました。
「それでいい。彼の『異質性』は、もう私たちが『制御する』段階を終え、『最大限活用する』段階に入ったということね」
ルーク師範は、大きく息を吐きながら、最終的な決定を下しました。
「……わかった。ヒカリをゴールドランクへ昇格させる。この決定が、吉と出るか凶と出るか。すべては、この世界の運命次第だ」
こうして、ヒカリの戦線復帰と昇格が決定し、三人の師範たちは、新たな局面を迎えるギルドの行く末を、静かに見据えるのでした。
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