第2話 熾之乙女達は英雄を知る
彼女達が、ガレスト冒険者ギルド支部に足を踏み入れた瞬間、にぎやかだった空気がすっと引き締まった。
視線が一斉に集まる。その中心にいるのは、白と金の軽装鎧を纏う剣士、エレノア・フォン・グランシュテル。揺れる金髪と気品ある立ち振る舞い、そして隙のない足捌きは、彼女が貴族出身ながら、S級の名に恥じない存在であることを示していた。
その後ろには、水色のふんわりとしたショートヘアを揺らす回復師のミーナ、黒装束の斥候である黒髪のクロエ、青銀の魔導衣を纏う銀髪の大魔導士、セレスティア。四人揃うと、ギルドの誰もが自然と道をあけた。
「王都ギルドよりの緊急依頼と伺い参りました。内容を確認させていただけますか?」
エレノアが丁寧に声をかけると、受付嬢は胸の前で書類を抱え、緊張しながら差し出した。
「は、はい…!熾之乙女様でございますね!こちらです。大森林の奥に生息するはずのフェンリルが、街の近くにまで出てきていまして……討伐をお願いしたい、とのことで……」
エレノアは紙を受け取り、さらりと目を通す。
眉が、静かに寄った。
「群れで五匹……そのうち一体、推定Aを超える大型個体、ですか」
「五匹って……多くないですかぁ?絶対噛まれますって、これぇ……」
ミーナがほわほわした声で危機感のないことを言う。
「噛まれたら死ぬ」
クロエは軽く溜息をつきつつも、口調はいつも通りそっけない。
「……何かに引き寄せられている可能性もあるわね。フェンリルのくせに、単独行動じゃないなんて」
セレスティアは書類越しでも異質な気配を感じ取っているようで、蒼い瞳を細める。
エレノアは三人それぞれの意見を聞きながらも、受付嬢に向き直った。
「依頼、承らせていただきます。準備が整い次第、すぐに出立いたします」
その一言に、ギルド全体が安堵の空気に包まれる。
熾之乙女が動く。それはすなわち依頼の成功と安全を意味した。
四人はギルドを出て、石畳を歩きながらそれぞれの準備に話を移す。
「ミーナ、セレス。魔力は大丈夫ですか?」
「ん〜……ここに来るときに2回使ったけど、いつも通りなら大丈夫かな〜」
「私はそこまで消費はないわ」
「頼りにしています」
エレノアは仲間一人ひとりを確認しながら歩を進める。
街道に向かう道の途中、彼女はふと空へ視線を上げた。
「それにしても……フェンリルが街近くまで寄ってくるとは、ただ事ではありませんね」
「自然な行動じゃないわね。外的要因──あるいは強い存在が近くにいる場合、魔獣は縄張りを変えることがあるわ」
セレスティアの分析は理性的で、的確だった。
「強い存在……?」
「ええ。魔力の規模としては、上位精霊、古代獣、人なら……そうね。七英雄ぐらいよ」
「へぇ〜……賢者様もそのぐらいなのでしょうか〜?」
「…まぁ、見た目も性格もただの老いぼれ爺ですが、実力は健在ですからね」
ミーナは想像でそう問うと、セレスティアは自分の師匠を辛辣に貶しながら答えた。
「いや、そういう人間は、もっと頭がおかしい。きっと変態」
クロエは逆に怪しい方向へ想像している。
エレノアは苦笑しつつ、三人の言葉を静かに受け入れる。
「どちらにしても、まだ確証はありません。まずは依頼をこなしてから……ですね」
「了解」
「は〜い」
「ええ」
四人の声が自然に重なる。
こうして彼女たちは馬車の手配、装備補充、魔法の最終調整を終え、大森林へと向かう準備を整えていく。
この時点ではまだ知らなかった。
彼女たちがこの日の討伐が、人生最大の危機となることを。
そして、人生最大の出会いとなることも。
◇
森に満ちる冷たい風が、嫌な予感を運んでいた。
セレスが杖を握り直し、小さく呟く。
「……魔力反応、近い……三……いえ……四……!フェンリルです!」
私――金髪の剣士、エレノアは即座に剣を抜き、前衛に立つ。
「全員、構えて!」
四人は息を合わせ、陣形をとった。
「っ…!!!」
その瞬間、エレノアの前に白い影が躍り出た。
白い狼――いや、普通の白狼とは明らかに違う。
毛並みは金属光沢を放ち、口元には蒸気のような魔力が揺らめいている。
(……フェンリル…本当に群れを成しているなんて…!)
エレノアは即座に剣を構え、低く叫ぶ。
「クロエ、右!ミーナは支援魔法!セレス、牽制を!」
「了解」
「は〜い!任せてください〜!」
「わかりましたわ!」
瞬間、五体が同時に動いた。
普通の魔物ではありえない統率された動き。
前衛2、中衛1、後衛1――まるで軍隊だ。
「───
セレスが即座に魔法を唱えると、地表から氷の鎖が伸びる。
その鎖は二体の足を絡め取り、動きを鈍らせた――が。
「っ砕けた?!」
白狼は筋力だけで氷鎖を打ち砕き、轟音とともにこちらへの突進を再開する。
(硬い…!)
ミーナが慌てて聖なる光をかざし、前線のエレノアに補助。
「───
薄い光の膜に包まれたエレノアが、一番前にいたフェンリルの一撃を剣で止める。
同時にクロエが影のような動きで左側へ走り込み、もう一匹のフェンリルへと迫る。
「……速い……けど、まだいける」
短剣の軌跡が白狼の足をなぞる。
深くはないが確かに傷を刻む――が、すぐに再生。
「再生能力っ…!」
クロエが舌打ちする間もなく、別の二体がセレスとミーナへ回り込む。
「ミーナ、そこ動いちゃダメ!横から来る!」
「ひゃっ!?は、はい〜っ!」
セレスはすぐに後方へ下がりながら詠唱を続ける。
「────
空に展開した魔法陣から、数十の氷槍が降り注ぐ。
白狼の毛皮に突き刺さり、足を止める――
だが、やはり致命には至らない。
(本当に……固い!)
エレノアは前衛二体と斬り結んでいた。
剣が弾かれるほどの質量。
それでも後衛に近づけないために必死で攻撃し足止めする。
そこへ、森の奥から――
重く、地面を揺るがす足音。
「……気配っ、もしかして、もう一体!?」
白い巨影。
今いる四体とは格が違う。
巨大で、筋肉の鎧をまとった、まさしく狼の王。
喉の奥から魔力が溢れ、息だけで草木がざわついた。
「っ……セレス、あれは……!」
「……魔力量……さっきの個体の十倍以上……?し、信じられ…」
セレスが青ざめる。
エレノアは必死に剣を構え直す。
五体のフェンリル、しかも、一匹は普通のフェンリルとは格の違う、おそらく上位個体。
これではさすがのSランクでも分が悪い。いや、これはもはや、国の総力を上げて討伐する必要があるくらい…いえ、今はそんなことを考えている場合ではありませんね。
「クロエは普段通りに!セレスは魔力を節約しながら援護!ミーナは支援魔法じゃなく、回復に集中してください!」
「了解した」
「……えぇ……」
「や、やります〜……!」
息を合わせ再び戦闘態勢。
白狼が四方から一斉に跳びかかる――!
「──
エレノアが光をまとった剣で軌道を切り裂き、二体を弾き飛ばす。
その光に紛れるようにクロエは完全に姿を消して背後に回り込み、短剣で急所を狙う。
(心臓は……ここ)
だが――
「っ……皮膚が……刃を弾いた……!?」
上位個体のフェンリルの体に突き立てた短剣が切っ先から折れた。
即座に後ろへ飛び退くが、フェンリルの尻尾が地面を薙ぎ払う。
「クロエ!!」
「くっ……!」
かろうじて回避したものの、クロエは着地でバランスを崩す。
そこへ別の白狼が襲いかかる――
「──
セレスが魔法で壁を作り、ギリギリのところで防ぐ。
「はぁ……はぁ……魔力……消費が……」
だが、セレスもミーナも仲間の被弾が増え、効率を考える余裕もなく攻撃魔法や回復魔法を使っているため魔力の消費が加速していた。
(このままじゃ……持たない……)
エレノアがそう思った瞬間――
巨体のフェンリルが、後衛めがけて飛び込んだ。
「――っ、来る!!」
セレスの目の前に迫る白銀の牙。
エレノアは叫ぶ。
「セレス、避けて!!」
しかしセレスの魔力は限界に近く、反応が遅れた。
その刹那――
「うっ…!!」
セレスが吹き飛ばされ、血飛沫が舞う。
「なっ…早すぎるっ…!!!」
先程までとはまるで違う速さで、白い影が閃いた。
そのあまりの速さに、セレスが反応し、魔法で迎撃するより早く、白狼の爪が彼女の腹を裂いた。
「セレス!!」
振り向いた私の視界に、鮮血が飛び散る。
「み、ミーナ!セレスに治癒魔法を……っ!」
叫ぶと同時に、すぐ後ろからミーナの悲痛な声。
「…ごめんなさい〜…魔力が…切れちゃいました〜……」
最悪の瞬間だった。
後衛を守るためにクロエが位置を変えるが――
「そんなっ…クロエ、あの狼の相手は――」
「無理、速すぎる……!」
クロエほどの敏捷を持つ斥候が無理と言い切るほどの速度。
つまり――本気で死ぬ。
セレスは重症で、回復薬を飲む余裕はない。
ミーナは魔力切れでリタイア。
クロエではフェンリル相手に正面からは無理だ。
私が一人で、三人を守らなければならない。もし逃げたとしても、追いつかれてしまうだろう。
(…ここまで……いや、まだだ、まだ生きてる…!!)
それでも諦めきれず剣を構え直したその瞬間――
森の空気が凪いだ。
何かが流れ込んでくるような、妙な感覚。
(……誰か、いる?)
いや、いるはずがない。気配はしない。
まるで“そこにいるのが自然”みたいに空気と混ざっていて、感じ取れない。
そのはずが――
「――風刃」
聞こえたのは、落ち着いた低い声。
次の瞬間、目の前の五体の白狼が――
音もなく輪切りになっていた。
「「「「……え?」」」」
理解が追いつかない。
クロエもミーナもセレスでさえ、ただ呆然と立ち尽くす。
(なに……なにが起こったの……?)
ゆっくりと、普通のシャツにズボンの青年が木陰から歩いてくる。
敵意は感じない。
だが、その存在感のなさが異常だった。目の前にいるはずなのに、気配がなくそれを人間だと認識できない。
「大丈夫ですか?」
――その瞬間、全員の背筋に冷たいものが走った。
声がした瞬間、その青年の気配が戻る。何が一体どうなって…!?
私は震える声で問う。
「あなた……どこから現れたんですか……?」
本当に、気づかなかったのだ。あの状況だからこそ、周囲の状況には人一倍意識を向けていた。
セレスが信じられないといった声で呟く。
「気配が……ゼロ?いえ、ゼロじゃない、そこに自然な空気のように存在していた……人間がそんなこと……?」
(そんなの、人間にできるわけが――)
続くように、セレスは言う。
「それに、い、いつの間に……背後に……?」
だけど彼は「え?」という顔をしている。
その“普通っぽい反応”が逆に不気味だった。
ミーナが信じられないといった顔で彼を見る。
「…さっきまで居なかったのに突然…もしや、伝説の転移魔法でしょうか〜…?」
転移魔法なんて失われた古代魔法だ。
あり得ない。
でも今の状況は、それぐらいじゃないと説明がつかない。
クロエは彼を観察しながら警戒を強める。
「……黒装束…顔は認識阻害で隠してる……暗殺者?」
そう、彼には顔が見えなかった。
正確には、視界に入ってるのに、後から「どんな顔だった?」と聞かれると説明できない。
いや、本当は仮面をしていたのだろうか?
それすらもわからないほど、魔術的な“何か”のせいで、目が滑ってしまう。
私はそんな中で、ふと思う。
(――この人は、私たちを……助けてくださった…?)
だったら、こんな失礼な推測ばかりは良くない。そんなことを考えるよりも先に、言うべきことがあるはずだ。
私は胸に手を当て、深く頭を下げた。
「……いえ、恩人に質問攻めをするなど失礼でしたね。命を救っていただき、ありがとうございます……“仮面の英雄”様」
ミーナも目を潤ませながら頷く。
「助けてくださって……ほんとうに……ありがとうございます〜……」
セレスも震える声で。
「あなたほどの魔術、見たことがありません……」
クロエでさえ、小さく。
「……借りを作った」
彼は何か言いたそうにしていた。
でも結局、言葉にはしなかった。
(本当に……何者なんだろう……?)
その時――彼が小さく呟いた。
「……じゃ、じゃあ俺はこれで」
そうして振り返ると…
「えっ……消えたッ!?」
「やっぱり転移魔法ですか〜!?」
「完全に……魔力が断たれた……!」
「信じられない……あの男、やはり暗殺者」
思わず驚きの声を上げてしまう。しっかりと目を向けていたはずなのに、まるで霧のように消えてしまったのだ。
まだ、ちゃんとしたお礼もできていないのに。
でも…
(仮面の英雄様……必ず、また会える気がする)
エレノアの胸の中には不思議と、そんな確信があったのであった。
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