エピローグ 薔薇の春

——光の中で、私は一度死んだ。


それなのに、次に目を開けたら

見知らぬ村の孤児院で“教師”をしていた。


木の壁、藁の匂い、遠くで鳥が鳴く声。


どこにも見覚えはない。


けれど——私は確かに、生きていた。


「おはよう、マリアさん」


振り向くと、村の少年が笑っていた。


その笑顔に胸の奥が少しだけ温かくなる。


(クラリッサ……あなたは、私を赦したのね)


白く溶けた最後の記憶の中で、

彼女だけが泣きそうに微笑んでいた。


あれが、私をここへ送った理由なのだと、

なぜか分かった。


夜、窓辺に座って星を見上げる。


この世界には“攻略”も、運命もない。


だからこそ、ここで生きると決めた。


——私はひとりではなかった。


夜になると、私は窓辺に座り、星を見上げる。


幼い頃、教会から見た王国の明かりと、少し似ている。


《ファタリス・シール》起動。


何も起こらない手のひらをくるくると回す。


子どもたちが笑い、泣き、

喧嘩をして仲直りする。


——それが、こんなにも尊いものだったなんて。


私は、何度も小さなノートに書き残した。


『人は、自分の物語を生きるために生まれてくる』


その言葉が、私自身への戒めであり、希望だった。


ある春の日。


村に一人の旅人が訪れた。


金の髪を持つ青年——

杖を持った彼はどこか懐かしい雰囲気をまとっていた。


「あなた、まるで昔に出会ったことがあったみたい」


私がそう言うと、彼は微笑んだ。


「そうですか。このように目が見えませんが、

僕も……貴女の声を

どこかで聞いたような気がします」


それだけの短い会話。


けれど、胸の奥が不思議と温かくなった。


——もしかしたら、私たちは

再び同じ物語に戻る日が来るのかもしれない。


でも今は、この世界で生きる。


“選ばれし主人公”ではなく、ただの人間として。


夜、子どもたちが眠った後、

私はそっと祈りを捧げる。


(クラリッサ。

あなたの世界が、今も光で満ちていますように)


窓辺の花瓶には、庭で摘んだ白い花が挿してある。


その名は知らない。

けれど、不思議と胸に響いた。


——まるで、赦しの花のように。


◆◆◆


春 王城・薔薇の回廊


午後の陽射しが、薔薇のアーチを淡く染めていた。


クラリッサはゆっくりと歩きながら、

花びらを指先で撫でる。


今日は、久しぶりに“父”が王城を訪れる日だった。


回廊の奥から、懐かしい足音が近づいてくる。


「……クラリッサ」


レオポルド・ド・アルベリオン公爵は、

かつての威厳を保ちながらも、

どこか柔らかくなった声で娘を呼んだ。


クラリッサは振り返り、静かに膝を折る。


「お久しぶりです、父様」


公爵は苦笑しながら手を差し伸べ、

すぐに立ち上がらせた。


「王妃に前で膝をつかれると、寿命が縮む」


二人は並んで歩き始める。


薔薇の香りだけが静かに漂っていた。


やがて、公爵がぽつりと呟いた。


「……あのとき、私は声を上げられなかった」


クラリッサは足を止め、父を見上げる。


「追放の日のことですか?」


「ああ。お前を“罪人”と決めつけた連中の前で、

私は記録家門の当主として、ただ黙っていた」


公爵の声が震える。


「娘を貶められるのを見ながら……

私は“家を守るため”という言い訳をした。


——卑怯者だった」


クラリッサは静かに首を振る。


「父様が動いていたからこそ、

私は戻ってこれたんです」


公爵は目を見開いた。


「……なんだと?」


「追放されてからの私は、自分のことしか考えられなくて……

でも、父様はすでに私の無実に賭けて、

王都へ出向いてくださった」


公爵は俯き、長い沈黙ののち、搾り出すように言う。


「……そうか。

役に立てなかった父を、そう言ってくれるのか」


クラリッサは微笑み、父の手を握る。


「父様が動いてくださったから、

ジュリアンと塔で落ち合えた。

母上が祈り続けてくださったから、

私は今、ここにいるんです」


公爵の目尻に涙が滲む。


ぎこちなく、しかし確かに、

彼は娘を抱きしめた。


「……すまなかった。

そして、ありがとう。

お前は、アルベリオンの誇りだ」


クラリッサは父の背に腕を回し、静かに言った。


「私は今、王妃です。

でも——」


少し離れ、真っ直ぐに父の瞳を見る。


「心のどこかで、

いつまでも父様の娘でいさせてください」


公爵は震える息を吐き、

初めて深く頭を下げた。


「……頼む。王妃殿下。

どうかこの老いた父に、

これからも娘として接してほしい」


クラリッサは涙をこらえて微笑む。


「もちろんです、父様」


再び二人は並んで歩く。


薔薇の花びらが風に舞い、

二人の間をすり抜けていった。


——長い冬を越えた春を祝うように。


回廊の先では、エルネストが待っていた。


公爵は王に一礼し、

娘の手をそっと離す。


その手は、今度はエルネストが優しく受け取った。


「娘を、頼む」


「一生、守ります」


クラリッサは二人を見上げ、静かに微笑む。


——これが、私の選んだ家族。


血も、記録も、運命さえも越えて。


薔薇の花びらが春の陽に輝きながら、

どこまでも高く舞い上がっていった。


——終わらない物語は、

今日も確かに続いている。

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アナスタシス・コード ― 悪役令嬢は理を塗り替える ふりっぷ @flip2308

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