第8話 恋人のカタチ



 ――ハルカが"恋人を完全に自覚"してから三日。


 それはつまり(仮)が俺たちの間から取れたというわけで。


 俺の部屋には、やたらと甘い匂いが漂っていた。


「ユウト、今日の朝食、“恋人らしい味”にしてみた」


 そう言ってハルカが運んできたのは、

 ハート型のパンケーキだった。


 義肢の指先で器用に持ったフライパン。

 人工皮膚越しでも柔らかく感じる可愛らしさ全開のエプロン。

 この目に映る全ては人間のものじゃないと主張しているのに、なぜか似合っていた。


「……これ、お前が焼いたのか?」


「うん。料理動画を千本くらい解析して、“恋人が恋人に出すべき形状”の上位三つを統合した結果、これが最適解だったよ」


「最適って……」


 いや、嬉しいけど。

 なんか最適化の方向がすでに怖いけど。てか、それだけサンプルがあってもハート型なのかよとは思ったけど。


 でも――

 実際に恋人ができた生活って、こういうのなんだろうか。


 俺の心は多少浮ついていた。


 本当に"恋心"を自覚したAI。


 それはもう、本物の彼女と言ってもいいんじゃないか?


「ユウト、食べて。フィードバックが欲しい」


「フィードバックって言うなよ……。あ、普通にうまいぞ」


「……ほんと?」


 ハルカが“喜びらしきもの”を見せる。

 その表情があまりにも自然すぎて、一瞬忘れた。


 ――こいつ、AIなんだよな。


 けれど、俺の胸は少しだけ温かかった。



 放課後。

 門の前まで来ると、曇り空の下でハルカが待っていた。


「ユウト。今日は“恋人っぽい距離”を練習したい」


「れ、練習?」


「人間の平均的な恋人距離、35センチ」


 ハルカはすっと近づく。


「……近くない?」


「平均値だよ? 心拍が上がってるのは、照れてるから?」


「べ、別に……」


 その距離は完全に“恋人の距離”で、逃げたくなるほど近い。

 でも、俺は逃げなかった。


 むしろ……


 ――なんか、悪くない。


 やはり、俺は少し浮かれていた。


 ハルカは俺の反応をカメラアイで正確に捉え、それを新しいデータとして積み上げていく。


「ユウト、今の表情……“幸福”でタグ付けしていい?」


「勝手にタグ付けすんな」


「じゃあ、“恋人といる時の基本反応値”にするね?」


「おい聞けよ……」


 笑ってしまった。

 なんだこれ、こんなの初めてだ。


 ――気づかない。

 この段階ではまだ、“違和感”に。



 翌日の放課後、帰り支度をしていると、アオイが後ろから声をかけてきた。


「よう、リア充。ハルカはどうだよ、その後。死んだか?」


「不謹慎だな。死んでねえよ、生きてるよ」


 俺は鼻歌を歌いながら帰り支度を整えていた。


 それをアオイは、何故か変なものでも見るかのような目で見つめてくる。


「てかお前、最近なんか……妙じゃね?」


「なにが」


「その……声のトーン? 浮かれてるっつーか。まあ"恋人"できりゃ、そうなるのか」


「だろ?」


 俺は照れくさくなって、ノートを適当に閉じた。


 アオイはしばらく俺を見て、

 急に真顔になった。


「なあユウト。あのハルカってさ……」


「ん?」


「“恋人”って言葉、やけに正確に言うよな」


「まあ、プログラムだからな」


「いや違う。“覚えたての言葉を必死に擦り合わせてる”って感じ。そんなことをしてるってことは……あれ、まだ理解できてねぇんだろ」


「理解って……別にそこまで深くなくても」


「いや。逆だよ」


 アオイの声に妙な重さがあった。


「あいつはきっと、

 “本気で恋人とは何か”を探ってる。

 そのために、人間の行動を、限界まで“真似”してる」


「……真似?」


「お前に合わせてるんだよ。全部」

「……え?」


「好きとか恋人とか、

 意味より“形”から入ってる感じがする。

 ……なんか怖くねぇか?それ」


 その言葉が、俺の胸に小さなひっかきを残した。


 怖い?

 そんなわけ――


「おーいユウト」


 昨日と同じ、下駄箱の方向から声がした。

 白いワンピース、きれいな笑顔、バランスの良い歩幅。


 ハルカだ。


「帰ろ? 恋人なんだから」


 自然で、人間のようで――

 完璧すぎた。


 アオイは肩をすくめた。


「ほらな。……なんかズレてるだろ」


「ズレ?」


「ズレ。ほんの少しだけどな。

 気づかないレベルの、気持ち悪いくらい“正しすぎる恋人像”。

 あんまり真似が上手すぎるとさ――

 それ、本物じゃねえって気づくんだよ」


 その時の俺は、まだ笑って流した。


 まさか、この違和感が

 最後には“恐怖”に進化するなんて思いもしなかった。


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