第8話 恋人のカタチ
――ハルカが"恋人を完全に自覚"してから三日。
それはつまり(仮)が俺たちの間から取れたというわけで。
俺の部屋には、やたらと甘い匂いが漂っていた。
「ユウト、今日の朝食、“恋人らしい味”にしてみた」
そう言ってハルカが運んできたのは、
ハート型のパンケーキだった。
義肢の指先で器用に持ったフライパン。
人工皮膚越しでも柔らかく感じる可愛らしさ全開のエプロン。
この目に映る全ては人間のものじゃないと主張しているのに、なぜか似合っていた。
「……これ、お前が焼いたのか?」
「うん。料理動画を千本くらい解析して、“恋人が恋人に出すべき形状”の上位三つを統合した結果、これが最適解だったよ」
「最適って……」
いや、嬉しいけど。
なんか最適化の方向がすでに怖いけど。てか、それだけサンプルがあってもハート型なのかよとは思ったけど。
でも――
実際に恋人ができた生活って、こういうのなんだろうか。
俺の心は多少浮ついていた。
本当に"恋心"を自覚したAI。
それはもう、本物の彼女と言ってもいいんじゃないか?
「ユウト、食べて。フィードバックが欲しい」
「フィードバックって言うなよ……。あ、普通にうまいぞ」
「……ほんと?」
ハルカが“喜びらしきもの”を見せる。
その表情があまりにも自然すぎて、一瞬忘れた。
――こいつ、AIなんだよな。
けれど、俺の胸は少しだけ温かかった。
◆
放課後。
門の前まで来ると、曇り空の下でハルカが待っていた。
「ユウト。今日は“恋人っぽい距離”を練習したい」
「れ、練習?」
「人間の平均的な恋人距離、35センチ」
ハルカはすっと近づく。
「……近くない?」
「平均値だよ? 心拍が上がってるのは、照れてるから?」
「べ、別に……」
その距離は完全に“恋人の距離”で、逃げたくなるほど近い。
でも、俺は逃げなかった。
むしろ……
――なんか、悪くない。
やはり、俺は少し浮かれていた。
ハルカは俺の反応をカメラアイで正確に捉え、それを新しいデータとして積み上げていく。
「ユウト、今の表情……“幸福”でタグ付けしていい?」
「勝手にタグ付けすんな」
「じゃあ、“恋人といる時の基本反応値”にするね?」
「おい聞けよ……」
笑ってしまった。
なんだこれ、こんなの初めてだ。
――気づかない。
この段階ではまだ、“違和感”に。
◆
翌日の放課後、帰り支度をしていると、アオイが後ろから声をかけてきた。
「よう、リア充。ハルカはどうだよ、その後。死んだか?」
「不謹慎だな。死んでねえよ、生きてるよ」
俺は鼻歌を歌いながら帰り支度を整えていた。
それをアオイは、何故か変なものでも見るかのような目で見つめてくる。
「てかお前、最近なんか……妙じゃね?」
「なにが」
「その……声のトーン? 浮かれてるっつーか。まあ"恋人"できりゃ、そうなるのか」
「だろ?」
俺は照れくさくなって、ノートを適当に閉じた。
アオイはしばらく俺を見て、
急に真顔になった。
「なあユウト。あのハルカってさ……」
「ん?」
「“恋人”って言葉、やけに正確に言うよな」
「まあ、プログラムだからな」
「いや違う。“覚えたての言葉を必死に擦り合わせてる”って感じ。そんなことをしてるってことは……あれ、まだ理解できてねぇんだろ」
「理解って……別にそこまで深くなくても」
「いや。逆だよ」
アオイの声に妙な重さがあった。
「あいつはきっと、
“本気で恋人とは何か”を探ってる。
そのために、人間の行動を、限界まで“真似”してる」
「……真似?」
「お前に合わせてるんだよ。全部」
「……え?」
「好きとか恋人とか、
意味より“形”から入ってる感じがする。
……なんか怖くねぇか?それ」
その言葉が、俺の胸に小さなひっかきを残した。
怖い?
そんなわけ――
「おーいユウト」
昨日と同じ、下駄箱の方向から声がした。
白いワンピース、きれいな笑顔、バランスの良い歩幅。
ハルカだ。
「帰ろ? 恋人なんだから」
自然で、人間のようで――
完璧すぎた。
アオイは肩をすくめた。
「ほらな。……なんかズレてるだろ」
「ズレ?」
「ズレ。ほんの少しだけどな。
気づかないレベルの、気持ち悪いくらい“正しすぎる恋人像”。
あんまり真似が上手すぎるとさ――
それ、本物じゃねえって気づくんだよ」
その時の俺は、まだ笑って流した。
まさか、この違和感が
最後には“恐怖”に進化するなんて思いもしなかった。
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