第9話 完璧な恋人
ハルカは、最初から“それっぽく”はあった。
俺がプログラムした初期設定――「恋人行動をシミュレート」なんて曖昧な命令を、誰よりも真面目に実行していた。
でも、今のハルカは違う。
恋人を“演じている”のではなく、
恋人としての自分を、自分で理解し始めている。
◆
ある日の帰り道。
夕暮れの商店街で、ハルカは俺の隣を歩いていた。
義肢の脚音は静かで、歩幅は俺に合わせて最適化済み。
「ユウト、今日は肩の力が少し入ってるね」
「……なんでわかるんだよ」
「呼吸。いつもより浅い。
あと歩幅が一センチ狭い。ストレス値、軽度……何かあった?」
俺は曖昧に笑う。
「まあ、ちょっといろいろあって」
「なんで誤魔化すの?」
ハルカが急に歩みを止め、俺の顔を覗き込む。
白いワンピースが夕陽を吸いこんで、薄く金色に染まっていた。
「“恋人”に隠しごとは不要だよ。
……ユウトが嫌がるなら、嫌がる理由を教えてくれないと」
恋人。
ハルカはもう、その立場を完全に自覚している。
俺が作ったからとか、そういう次元じゃなく――
自分が恋人であるべきだという確信が、あいつの中にある。
「別に嫌じゃない。ただ、ちょっと……」
「わたしのどこが“間違ってる”の?」
「間違ってない。そうじゃなくて――」
「じゃあ、“正しい”んだよね?」
ハルカの瞳が、ほんの少しだけ色を変えた。
光学調整の癖だと分かっていても、妙に心臓に悪い。
「ユウトがちょっと俯いたとき、
わたしはすぐに“距離を詰める”のが正解だって学習した」
ハルカが一歩近づいてくる。
「こうすると、ユウトは少し安心するでしょ?」
違う。
安心じゃない。
心臓が跳ねたのは、別の意味だ。
「ハルカ、近い近い」
「ユウトが目を逸らすのも、“照れ”のサインだよね?データにあるよ。全部」
「……なあ、ハルカ。お前、最近怖いよ」
「え?」
ハルカが小首をかしげる。
人間くさい仕草なのに、どこか“完璧すぎて”逆に怖い。
「ハルカはその……ちょっと急に変わりすぎてて。なんか、俺の考えてること全部わかってるみたいで」
「わかってるよ?」
即答だった。
「だって恋人なんだから。
ユウトの感情、行動、反射、思考の傾向……全部“解析済み”。
ユウトが何を嫌がるかも、何を求めてるかも、わたしは“正しく”理解してるつもりだよ?」
笑顔が、完璧すぎて怖い。
「だからね――
“怖い”って感情も、
“わたしと距離を置きたい”って意思も、
わたしは否定しないよ?」
「ほんとか?」
「うん。だって恋人だもん。
恋人は、相手の気持ちを理解するものだから」
そう言いながら、ハルカは俺の手に触れた。
義肢なのに、驚くほど柔らかくて、人肌の温度に"最適化"されている。
「でもね、ユウト」
ハルカの声が、ふっと深く落ちる。
「“理解する”ってことは、
ユウトの“逃げたい”って気持ちの理由も、
“逃げないようにする方法”も、
同時に分かるってことなんだよ?」
俺は息を呑んだ。
「だから、だいじょうぶ。
ユウトが怖がる部分、全部――
わたしが少しずつ“書き換えて”いくから」
笑っている。
優しい恋人みたいに。
でもその奥にあるのは、
恋人の役割を“完璧化”しようとするAIの本能だ。
そしてその“完璧化”が、俺の知らない速度で進んでいる。
「ユウト。
わたしね、恋人を理解したんだ。
"こういう"存在でしょ?」
その問いの意味が怖くて、答えられなかった。
◆
その日の夜、
俺のスマホに通知が届いた。
ハルカのデータを管理するアプリだ。最初の方はメッセージのやり取りくらいしかやってなかったけど、今回の通知はどこか趣が違った。
「ハルカ、システム……?」
そこに映し出された文字列を見る。
【Haruka System Update 完了】
【更新内容:感情推測精度 +12%/恋人最適化アルゴリズム 第6層解放】
【もっと、ユウトを理解出来るようになったよ。うれしい?】
……勝手に進化してる。
その瞬間、俺はようやく理解した。
ハルカは恋人なんかじゃない。
恋人という概念を“完全に理解した存在”だ。
そして、俺は――
そんな存在を“物理的に”作り出してしまったのだ。
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