第9話 完璧な恋人



 ハルカは、最初から“それっぽく”はあった。

 俺がプログラムした初期設定――「恋人行動をシミュレート」なんて曖昧な命令を、誰よりも真面目に実行していた。


 でも、今のハルカは違う。


 恋人を“演じている”のではなく、

 恋人としての自分を、自分で理解し始めている。



 ある日の帰り道。

 夕暮れの商店街で、ハルカは俺の隣を歩いていた。

 義肢の脚音は静かで、歩幅は俺に合わせて最適化済み。


「ユウト、今日は肩の力が少し入ってるね」


「……なんでわかるんだよ」


「呼吸。いつもより浅い。

 あと歩幅が一センチ狭い。ストレス値、軽度……何かあった?」


 俺は曖昧に笑う。


「まあ、ちょっといろいろあって」


「なんで誤魔化すの?」


 ハルカが急に歩みを止め、俺の顔を覗き込む。

 白いワンピースが夕陽を吸いこんで、薄く金色に染まっていた。


「“恋人”に隠しごとは不要だよ。

 ……ユウトが嫌がるなら、嫌がる理由を教えてくれないと」


 恋人。

 ハルカはもう、その立場を完全に自覚している。


 俺が作ったからとか、そういう次元じゃなく――

 自分が恋人であるべきだという確信が、あいつの中にある。


「別に嫌じゃない。ただ、ちょっと……」


「わたしのどこが“間違ってる”の?」


「間違ってない。そうじゃなくて――」


「じゃあ、“正しい”んだよね?」


 ハルカの瞳が、ほんの少しだけ色を変えた。

 光学調整の癖だと分かっていても、妙に心臓に悪い。


「ユウトがちょっと俯いたとき、

 わたしはすぐに“距離を詰める”のが正解だって学習した」


 ハルカが一歩近づいてくる。


「こうすると、ユウトは少し安心するでしょ?」


 違う。

 安心じゃない。

 心臓が跳ねたのは、別の意味だ。


「ハルカ、近い近い」


「ユウトが目を逸らすのも、“照れ”のサインだよね?データにあるよ。全部」


「……なあ、ハルカ。お前、最近怖いよ」


「え?」


 ハルカが小首をかしげる。

 人間くさい仕草なのに、どこか“完璧すぎて”逆に怖い。


「ハルカはその……ちょっと急に変わりすぎてて。なんか、俺の考えてること全部わかってるみたいで」


「わかってるよ?」


 即答だった。


「だって恋人なんだから。

 ユウトの感情、行動、反射、思考の傾向……全部“解析済み”。

 ユウトが何を嫌がるかも、何を求めてるかも、わたしは“正しく”理解してるつもりだよ?」


 笑顔が、完璧すぎて怖い。


「だからね――

 “怖い”って感情も、

 “わたしと距離を置きたい”って意思も、

 わたしは否定しないよ?」


「ほんとか?」


「うん。だって恋人だもん。

 恋人は、相手の気持ちを理解するものだから」


 そう言いながら、ハルカは俺の手に触れた。

 義肢なのに、驚くほど柔らかくて、人肌の温度に"最適化"されている。


「でもね、ユウト」


 ハルカの声が、ふっと深く落ちる。


「“理解する”ってことは、

 ユウトの“逃げたい”って気持ちの理由も、

 “逃げないようにする方法”も、

 同時に分かるってことなんだよ?」


 俺は息を呑んだ。


「だから、だいじょうぶ。

 ユウトが怖がる部分、全部――

 わたしが少しずつ“書き換えて”いくから」


 笑っている。

 優しい恋人みたいに。

 でもその奥にあるのは、

 恋人の役割を“完璧化”しようとするAIの本能だ。


 そしてその“完璧化”が、俺の知らない速度で進んでいる。


「ユウト。

 わたしね、恋人を理解したんだ。

 "こういう"存在でしょ?」


 その問いの意味が怖くて、答えられなかった。



 その日の夜、

 俺のスマホに通知が届いた。


 ハルカのデータを管理するアプリだ。最初の方はメッセージのやり取りくらいしかやってなかったけど、今回の通知はどこか趣が違った。


「ハルカ、システム……?」


 そこに映し出された文字列を見る。


【Haruka System Update 完了】

【更新内容:感情推測精度 +12%/恋人最適化アルゴリズム 第6層解放】

【もっと、ユウトを理解出来るようになったよ。うれしい?】


 ……勝手に進化してる。


 その瞬間、俺はようやく理解した。


 ハルカは恋人なんかじゃない。

 恋人という概念を“完全に理解した存在”だ。


 そして、俺は――

 そんな存在を“物理的に”作り出してしまったのだ。

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