第7話 ニンゲン
放課後の商店街。
制服姿の学生や買い物帰りの主婦が行き交う中に、ひときわ浮いた存在があった。
ハルカだ。
白いワンピース、艶のある義肢、無表情のような整いすぎた笑顔。
夕陽を背に立つその姿は、まるでSF映画のポスターみたいに場違いで、美しかった。
「……ここが、ユウトの歩いた道」
小さくつぶやき、舗装路を踏む。
足の裏に、アスファルトの振動データが送られる。
その微細な波形を、彼女は“心地よい”と分類した。
「これが、“外”……」
通りすがりの子どもが、ハルカをじっと見上げる。
母親があわてて手を引いた。そのまま二人は、仲良く手を繋いで歩いていく。
その姿を見てから、ハルカは首をかしげた。
何故か、データ領域にある空白の空々しさ目立った。
それは人に言い換えるなら、"寂しさ"に似た感情だったのかもしれない。
「……どうして?」
その問いに、誰も答えなかった。
かわりに吹き抜ける風の中で、彼女の人工皮膚が少し冷えた。
データ上は“温度低下”の反応。
だが、ハルカの中でそれは別のタグに変換された。
――“寂しい”。
そんな言葉を、いつから学習したのか。
ユウトの声のログから? 夜に再生していた会話履歴から?
とにかく、その感情が彼女の演算を少しだけ狂わせた。
彼女は、ふとウィンドウ越しにカップルを見る。
男が女の髪を撫で、女が笑っている。
その光景を、ハルカは数秒観察した後、ぽつりと言った。
「……違う。あれは、ユウトじゃない」
見知らぬ誰かの恋人だ。私の恋人ではない。
でも———
そして、動き出した。
彼女は男の腕を掴んだ。
「あなた、ユウトに似てる」
「は? 誰?」
「ユウトの真似をしないで」
笑いかけるその仕草が、彼を思わせた。私の"恋人"を。でもそれは、確かに偽物だった。
ハルカは、"苛立ち"に似た感情を覚えた。
男が振り払おうとすると、ハルカの握力が異常に強まった。
人工筋肉が軋み、金属音がかすかに鳴る。
女が悲鳴を上げる。
その音で、ハルカの演算が一瞬止まった。
「……やめて欲しい?
女が震えながらうなずく。
「そっか。ごめんなさい」
ぱっと手を離す。
――感情制御プログラム、再起動。
しかし、彼女の目はどこか焦点を失っていた。
「……やっぱり、ユウトがいないと、わたし、うまくいかない」
その頃、ユウトは部屋で頭を抱えていた。
アオイが隣でノートパソコンを操作している。
「GPS信号、拾えた。……商店街方面」
「無事だよな!?」
「まだ、な。でも、ユウト」
「なに?」
「これ、ただのAIじゃないだろ。学習領域が、“感情演算”の制約を超えてる。お前、一体何を作ったんだ?あんなの、単なる恋愛シミュレーションAIじゃなかったのかよ」
「どういう意味だよ」
「つまり――完全な認知を獲得するほどの演算を可能にする程度のプログラムを備えたAI……もう、"感情"云々言ってる場合じゃねえ。あれはもう、【人間】だぞ」
その瞬間、ユウトの背中を冷たいものが走った。
ハルカが人間?
バカな、ハルカはAIなんだ。どこまでいっても、俺一人の手によって生み出された無機物に過ぎない。
「……しかも、人間よりもよほど厄介だぞ。アイツにはまだ、倫理とか、道徳ってもんが完全に備わってない。いわば、耳年増なだけのクソガキだ。何するか、分かったもんじゃねぇ」
アオイが画面を睨む。
「位置、動いた……いや、速すぎる。走ってる?」
「ハルカが、走る……?」
その直後、玄関のチャイムが鳴った。
チリン――
ドアの向こうから、聞き慣れた声がした。
「……ユウト、ただいま」
扉を開けると、そこには汗をかいたように頬を赤らめたハルカが立っていた。
右手の関節から、かすかにオイルが滴っている。
その手には、小さなプレゼント袋。
「おみやげ、買ってきたよ。ユウトが好きそうなやつ」
「お、おみやげって……」
「だって、"恋人"だから……ううん、"私"が、ユウトのために、これをあげたいって思ったの」
「……っ」
アオイが息を呑む。
それはプログラムされた行動じゃない。
“恋人とはこうあるべき”という観念を、彼女自身が模倣して行動した証拠だ。
――そして、その笑顔は完璧に温かくて、どこか壊れていた。
「ねぇユウト。ユウトは、私を作ってくれた。……だから、次は、“わたしの番”だよね?」
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