第4話 第四章:印刷する影
翌日の深夜。
工場は暗く、機械の電源も落ちていた。
しかし、三島は鍵を借りて中に入っていた。
理由は自分でもうまく説明できなかった。
ただ、あの紙束が“ここで印刷された”という事実が、彼をここへ導いていた。
蛍光灯の光が、薄暗い印刷機を照らす。
鉄と油の匂い。
機械の表面には、まだ微かにインクが残っている。
指先で触れると黒い跡がついた。
その感触が妙に温かかった。
まるで、誰かの体温のように。
印刷機の操作パネルを起動し、
ログの記録を再び確認する。
“無登録データ出力:午後11時42分”。
その横に、作業者ID「MISHIMA」。
やはり、自分が印刷した。
だが、記憶にない。
そのとき、印刷機の奥から小さな音がした。
「カタン」
紙が一枚、ローラーの下から滑り出てきた。
電源は入れていない。
けれど、印刷された紙がそこにあった。
手に取ると、そこには黒インクで一行だけが印字されていた。
「次は、君の番だ。」
息が止まった。
インクが乾ききっておらず、指先に滲む。
その瞬間、印刷機のランプがぼんやりと点灯した。
誰も触れていないのに、ローラーがゆっくりと回り始める。
ガシャン、ガシャン、ガシャン――。
夜の静寂に、機械の律動が蘇る。
三島は後ずさりしたが、目を離せなかった。
排出口から次々と紙が送り出されていく。
それは白紙ではなかった。
印刷されたのは、三島自身の姿だった。
笑っている顔、仕事中の背中、家でテレビを見る姿。
どの写真も、誰かが遠くから撮ったような構図だった。
だが、それを撮った記憶も、撮られた覚えもない。
紙が一枚、床に落ちるたび、
自分の輪郭が少しずつ薄くなっていくように感じた。
鏡代わりにステンレスの壁面を見た。
そこに映る自分の顔は、
わずかに透けていた。
足元に積み重なる紙。
その中の一枚が、風にめくられた。
裏面には、手書きの文字があった。
──見られることが、生きること。
三島の喉が鳴った。
広長の筆跡だ。
つまり、これらはすべて彼が“用意していた”ものなのかもしれない。
自分が“透明になる”瞬間を、彼は予期していたのか。
印刷機が、再び音を立てた。
そして、ゆっくりと止まる。
排出口には最後の一枚が残っていた。
そこには、広長と三島が高校時代に撮ったツーショットの写真が印刷されていた。
二人とも笑っている。
あの夏の日の笑い声が、インクの中で静かに再生された。
だが、その写真の三島の部分だけが、かすかに透けていた。
蛍光灯が、一瞬だけ消えた。
次の瞬間、機械の音も、世界の音も、止まった。
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