第1章 消えた面影 -3
3 バニッシュ
次の朝、私が目を覚まして居間に降りていくと、ママはにこやかに、
「おはよう、よく眠れた?」
と言った。
「眠れなかったよ、あんなことの後だし」
私がポツリと言うと、ママは不思議そうな顔をして言う。
「あんなこと?」
「あんなこと?って……」
一瞬、絶句する。
言葉を継ぐのに、時間がかかった。
「ママ、昨日、一緒に泣いてくれたじゃん」
しかし、ママは、首を傾げただけだった。
私はテレビを点け、見入る。
昨日、お通夜にマスコミも来てた。
あんまり嬉しいことじゃないけど、仕方ないのかな。大きな事故の、最初に判明した被害者だものね。
ところが、やっていない。
チャンネルを変える。どこもやってない。朝のニュースの時間だけど、ごくごく平和な動物のネタなんか流してる。
まぁ、朝だしね。いいのかもしれないよ、辛いニュースは見たくないよね。
この頃「国民幸福化計画」なる国の計画が出てて、報道なんかもバランス良くのどかなものを入れるようになっている。
なんか、不気味よね。犬猫子供の動画見させられて幸福が云々って。
電車に乗る。
いつものとおりだ。
あのホームを見てみる。なんでもない日常が繰り広げられている。
多くの人が、電車に詰め込まれて通勤先に向かっている。
こんなものなのかしら?
大勢の人が亡くなったり怪我をしたりしているのに、なにも起こらない。
日常は続いていく。
あの時の加瀬くんの姿を思い出して、思わず立ち止まる。──音が止まったような気がした。
腕時計を見る。
ああ、このままだとまた遅刻する。
慌てて自分の電車に飛び乗る。
たった2日前に阿鼻叫喚の現場となったあの場所には、何も無かった──
「おはようございます」
今日も、室長が丁寧にデスクを拭いていて、給湯室からは美味しそうなコーヒーの匂いが漂ってくる。
「おはよう、秋元くん」
何事もなかったように、室長は鼻歌なんか歌っちゃってる。
拍子抜けする。
いつもの朝の匂い、なのに、胸の奥だけ違う温度をしている。
「あ、あの」
とりあえず、休ませていただいたことのお礼を言わなくちゃ。
「室長……ありがとうございました」
「へ?」
一瞬、間ができる。私は一呼吸おいて、また
「お休みをいただいてありがとうございました。頭の整理してきたよ」
と言った。
「お休み?」
室長は──怪訝そうな顔で呟く。
「お前さん、昨日出てきてたじゃないか」
昨日?
昨日は、家で半日泣いていて、そのあと加瀬くんのお通夜に行ったわけで、仕事になんか出てきてない。
室長、何か勘違いしてるんじゃないだろうか?
2日も休んだのに、何を言ってるんだろう?
PCを立ち上げて、出席簿に電子印鑑を押す──ん?
昨日とおとといの欄に、出席のハンコが押してある。
丸に「秋元」と記された朱い印影──これは、私にしか押せないハンコだ。システム上、私の指紋が無いと押せないことになっている。
あれ……?
私、間違って押したのかな?
取り消しはできない。困った。
その上、昨日の欄には「出張」の印がある。これは、午後から出張に行った印だ。
私のマグにコーヒーを入れて、田村さんが微笑む。
「おはよう、秋元さん」
そして、お菓子をひとつ、デスクに置いてくれた。
「昨日の出張で買ってきてくれたお土産、ありがたくいただくね」
そう言うと、彼は室長のところにもお菓子とコーヒーを置いた。
「おう、秋元くん、ありがとな」
室長が手を挙げる。
出張……?
確かに、昨日は出張の予定があった。それも含めて、休ませてもらえるように言ってあったはずだし、実際に私は休んだ。
なのに、まるで私が出張土産にお菓子を買ってきたかのような話になっている。
お菓子は、その出張先に出かけると私が必ず買ってくる、地元銘菓の最中だった。
あんこでずっしりと重い、お気に入りのお土産。
私の朝イチの仕事は、室長が決裁をした文書を、仕分けてそれぞれの担当に渡すことだ。
私、田村さん、そしてそれ以外は後で別部署に持っていく。
私の書類の中に、会議録の回覧文書と、出張の報告書があった。
会議録は一昨日、室長が代わりに出てくれたはずだった。──しかし、起案者は私になっている。
メモがついている。いつも使っているうさぎさんの絵の付箋に「2については要検討」と書かれている。私の字だ。
出張の報告書にも、私の名前があった。
「あ、それね」
田村さんが覗き込む。
「上手に書けてたよ。落ち着いて書けばちゃんとできるんじゃん」
……褒めてくれた。
私が書いていない報告書を。
どういうことなんだ?
腕時計を見る。
これはパパの遺品で、火事にあった私の家で綺麗に残っていたもの。
ちゃんとオーバーホールをして、大事に使っている。
左手首の金属が、やけに「ひんやり」している。その、スマートウォッチじゃない重み。ここだけが、時間を忘れていない気がした。
日付は、今日を示している。
──おかしい。
私が休んでいた2日間に、私のドッペルゲンガーでも出たんだろうか?まさかね。
PCを見る。
庁内LANで私のところに来たメッセージは、全て開封されていた。昨日のも、一昨日のも。
そして、ニュースを見てみる。
総合ニュースサイトであの事故を調べてみる。
──どこにも、事故の話が書いてない。
日付を遡って、一昨日の事故当日の記事も探す。無い。どこにも、一件も、無い。
画面はやさしい緑色で満たされている。
私だけが、昨日の赤を覚えている。
「おかしい」
私は、正面にいる田村さんに向かって、疑問を投げた。
「一昨日の事故の話が、どこにも載ってないの」
「事故?」
田村さんは、首を傾げた。
「なんかあったっけ?」
「電車の脱線事故!一昨日の朝、私のこと車で送ってくれたじゃない」
「一昨日?」
彼はやはり首を傾げたままだ。
「一昨日の朝は、定例会議だったじゃん。部長室で、部長と4人で」
そして、不思議そうな顔をする。
「きみもいたよ?」
──目が回った。
私の記憶は、おかしくなってしまっているんだろうか?
それとも、みんなが私を騙そうとしているのか?ハロウィンは3ヶ月前に終わってるよ?
おかしい。
もう一度、ニュースサイトを見る。
検索をかけて、事故の話を探す。
何もない。
速報も、経過も、何もかも、そこには無かった。
まるで、あの事故が起きていなかったように──
気持ちが悪くなりそうだ。
ありさちゃんにメッセージを送ろうとする。
メッセージ欄に、ありさちゃんの名前がない。
心配して送ってきてくれたメッセージが、無い。
田村さんからのものも、加瀬くんのお父さんからのお通夜のお知らせも、そこには無かった。
『ありさちゃん、昨日はありがとう』
送ってみる。
しばらくして、返事が来る。
『あれ、りんりん、珍しいね、何年ぶりだろう!』
やっぱり──あの2日間が、無かったことになっている。
いや、本当に無かったのかもしれない。
加瀬くんは実は生きていて、何事もなく過ごしているのかもしれない。
私の頭がどうかしてるだけで──長くてリアルな夢を見ていただけなのかもしれない。
試しに、ありさちゃんに聞いてみる。
『あのさ、加瀬くんって、元気だと思う?』
すると、
『加瀬くん?誰?』
──え?
『いや、高校の時の、サッカー部の主将だよ。あの、私が片想いしてた』
スマホを打つ指が引っかかる。うまく打てない。
『え?高校の時にはそんな子いなかったよ。サッカー部の主将は酒井くんだったし」
おかしい。
私の頭がおかしいのだろう、きっと。
意識がぐるぐると回転する。吐き気がしてくる。
自分の記憶が、生々しい夢?
加瀬くんは、いなかった?片思いの記憶まで、夢?
そんな、馬鹿な。
淹れてもらったコーヒーを飲み、最中をかじる。
最高に合う。味覚嗅覚はしっかりしてる。
でも、最中を買ったのは、私?
財布をまさぐる。出てきたのは、昨日のレシート。和菓子屋さんで、8個入りの最中を買った証拠だった。
混乱しながら最中をぺろりと平らげた。
解せない。
こんなにリアルな長い夢、あるのだろうか?
室長と田村さん、それにアンドロイドのナナが、淡々と手を動かして働いている。
いつものとおり。
いつもの──
そう自分に言い聞かせようとして、どこにも「昨日の私」がつながらないことに気づいて、喉がカラカラになった。
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